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赤いベンチ

 「……寒ッ!」


 まだ薄暗い北武園ゆうえんち駅に降り立った俺は、朝靄を散らしながら吹き付けてきた北風を全身に受けて、思わず絶叫した。

 俺は、堰を切ったように流れ出てくる鼻水を啜りながら、ダッフルコートのポケットから取り出したスマホの液晶画面を覗き込む。


 12月24日――午前6時45分。


「……しまった――さすがに早すぎた……」


 俺は、顔を引き攣らせた……。


 ――結局、コンビニでシュウと話した後、家に帰って布団を被ったものの、まんじりともできずに朝を迎えてしまった。

 それは、いよいよあと24時間を切った、早瀬への告白を前に盛り上がってきた緊張によるもののせいなのか、コンビニの駐車場でシュウと話した事が心に引っかかったままな為なのか、それとも、食べた三色チーズまんが重くて、胃がもたれているからなのか――?

 ……あるいは、その全部か――。


 ――そんな訳で、結局一睡もできなかった俺はやむを得ず、夜が明けぬうちに身支度を整えて、家を出たのだった。

 もう、気が逸るやら、気が重いやらで、一刻も早く動き出したい衝動を抑えられなかったのと、羽海やハル姉ちゃんが目を覚ます前に出かけてしまった方がいいと判断したからだ。

 昨日の夜、ハル姉ちゃんは、大学のサークルだか何だかで開催された“クリスマスイブイブパーティー”とやらに出席していた。

 家に帰ってきたのは真夜中過ぎで、したたかに酔っていたらしく、そのまま風呂にも入らずに寝てしまったようだった。

 ――俺は、羽海と同じく、ハル姉ちゃんにも今日の事は話していない。

 だが、昨日の夕方の時点で、羽海にはバレてしまった以上、朝起きたハル姉ちゃんに真っ先に“ご注進”が届くのは確実だ。

 そうなったら絶対に、


「ひーちゃぁん! 私もいっしょに連・れ・て・っ・てぇ♪」


 と、昨日の羽海とは比較にならない圧を伴った“お願い”をされるに違いなく、その姉の“命令”を拒絶できるほどの胆力は、俺には無い。

 ――だから、ハル姉ちゃんが今日の事を知るよりも早く、そして羽海が起きてくるよりも早く出かけてしまおうと、6時前には家を出て、北武遊園地行きの電車に乗り込んだのだが……。


「……どうしよう。遊園地どころか、売店も開いてないもんなぁ……」


 北武園遊園地は、山の真っただ中にあるだけあって、その周辺には見事に何も無い。駅を出ても、時間をつぶす術がないのだ。

 だが、みんなとの集合時間である9時までは、優に2時間はある……。

 途方に暮れた俺は、駅のホームに立ち尽くしたまま、キョロキョロと周りを見回した。

 ――と、ホームの真ん中に、ベンチがポツンと置かれているのに気が付いた。

 俺の頭に、ふとある考えが浮かぶ。


「……そうだ。みんなが来るまでの間、あそこのベンチで仮眠すれば……」


 俺はそう呟き、赤く塗られたベンチに向かって、てくてくと歩き出す。

 ぶっちゃけ、全然眠くはないのだが、ベンチに座って目を瞑っていたら、いい感じに眠れるんじゃないか――そう考えたのだ。

 背もたれ部分に、色褪せた広告が印刷されている赤いベンチは古ぼけてはいたものの、座る分には問題なさそうだった。

 俺は、背負っていたリュックを下ろして胸に抱くと、硬いプラスチック製の椅子に腰かける。

 ――次の瞬間、


「――冷たッ!」


 俺は悲鳴を上げて、腰を浮かせた。

 夜の間、山から吹き下ろす冷気でキンッキンッに冷やされたベンチは、まるで氷のように冷たかった。


「……んだよ、あんまり冷たくてビックリしちゃったじゃないかよ……」


 俺は、ベンチの赤い座面に向かって毒づくと、着ていたダッフルコートの裾をギリギリまで引き下げて、尻を覆うようにし、再び腰を下ろす。


「うう……ち……ちべてぇ……」


 ダッフルコート越しでも、ベンチの冷気が尻の地肌まで伝わるが、ギリギリ耐えられない事は無い……と思う。

 俺は、少しでも自分の体温が逃げないように、体を小さく縮こまらせると、ぎゅっと目を固く閉じた。

 

 ……。

 …………。

 ……………………。

 ………………………………。


「……いやっ! やっぱムリッ!」


 俺は、カッと目を見開くと、弾かれるように勢いよく腰を上げた。


「無いわぁ、無いない! 眠る以前に、座る事自体拷問だぞ、コレ! 普通に凍死するっちゅーねん、こんなモンッ!」


 俺は、歯をガチガチと鳴らしながら、ベンチに向かって毒づいた。

 決して大げさではない。ベンチに腰かけていたのはたった数分だったが、俺は間違いなく三途の川を渡りかけていた――!


「……はあ、どうしよう……」


 俺は、冷え切ったあまりにヒリヒリと痛む尻を摩りながら、大きな溜息を吐いた。

 ベンチで仮眠することもできず、かといって、駅の外に出ても何も無い……。

 ――こうなったら……、


「……よし」


 遂に、俺は決断した。

 表情を引き締めると、俺はリュックを背負い直した。


「――決めた」


 そして、視線をまっすぐ前に向けると、敢然として一歩を踏み出した。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 「……おはよう、高坂くん」


 駅の前で、改札を出てきた諏訪先輩に声をかけられたのは、8時半を少し過ぎた頃だった。


「――あ、おはようございます、諏訪先輩」


 俺は、少し息を荒くしながら、片手を挙げて挨拶を返す。

 諏訪先輩は、そんな俺の顔からつま先までを、冷めた目で舐めるように見ると、怪訝そうな顔をして首を傾げた。


「……少し前から見てたけど、駅の前をぐるぐる回り続けて……何やってるの、あなた……?」

「あ……これはですね……」


 諏訪先輩からの、当然と言えば当然の問いかけに、俺は目を泳がせながら、おずおずと答える。


「実は……早く来すぎちゃったんで、みんなが来るまで、駅の前をグルグルグルグル回って、身体を温めてました……」

「ふぅん。……どのくらい?」

「ええと……し……7時くらいから――ですかね……?」

「……ふーん……」


 諏訪先輩は表情を変えぬまま、手首に巻いた腕時計に目を落とし――呆れ顔で俺の顔を見た。


「……一時間半も、ずっとグルグルしてたの?」

「ま……まぁ、一応……」

「……バカなの?」

「あはは……ですよねぇ~……」


 諏訪先輩の辛辣な言葉に、俺は顔を引き攣らせて苦笑いするしか無かった……。

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