はじめの一稿
【イラスト・瀬戸晴海様】
ペラ……ペラ……
静寂に包まれた部室の中で、諏訪先輩が紙を捲る音だけが響く。
俺は、自分が書いた短編の原稿に目を通している諏訪先輩の横でパイプ椅子に座り、身を縮こまらせている。
――暑い。
十月の気候だ。幾ら閉め切っているといっても、もう暑い時期は過ぎているはず。なのに何で、こんなに顔面が熱いのだろう……?
と、原稿用紙を捲る諏訪先輩の手が止まる。
「……ふぅん……」
彼女の口から、溜息とも唸り声ともつかない音が漏れた。その音に、俺はビクリと身体を震わせる。
――と、諏訪先輩は、トントンと原稿用紙を机で整え、顔を俺に向けた。
俺の顔面は、更に熱くなる。
と、
「……どうしたの? 顔が真っ赤よ?」
小首を傾げつつ、諏訪先輩が俺に訊いてきた。俺はハッとして、頬に手をやると、確かに熱を持っていた。
俺は、その事実に気付くと更に顔を火照らせて、
「……ど、どうでしょう? ――多分、目の前で自分が書いているものを読まれているせいで、緊張と――恥ずかしさで、こうなっちゃったんじゃないかなぁ……と」
と答える。
答えた後に、笑い飛ばされてしまうのではないかと思ったが、諏訪先輩は表情を変えぬままは、小さく頷いた。
「そう……。確かに、目の前で読まれるのは、少し抵抗があるわよね。――特に高坂くんは、これが初めての経験でしょ?」
「あ、ええ……まあ」
先輩の言葉に、俺は小さく頷いた。
「なんか……自分の内面が素っ裸にされてしまうような感じで、こっぱずかしいっすね」
「小説を発表するって、そういう事よ。――ま、じきに慣れるわ」
諏訪先輩はそう呟く様に言うと、パイプ椅子を俺の方に少し寄せて、長机の上に束ねた原稿用紙を広げる。
「――で、読ませてもらった感想だけど――」
「……はい……」
先輩の言葉に、俺は蚊の鳴くような声で答える。
そんな俺の様子に気付いてか気付かずか、諏訪先輩は抑揚の無い声で、容赦なく口を開く。
「まず、字が汚い」
「……スミマセン」
開始十秒で、いきなり顎に良いアッパーカットを喰らっちまった気分だ。
どうやら、俺の書いた小説の欠陥は、文がどうのいう以前の問題らしい……。
脳内のリングに立つ俺は、早くも笑い始めた膝を抑えつつ、グローブを嵌めた両手を上げて、ファイティングポーズを取り直す。
そんな俺を前に、諏訪先輩は淡々と言葉を紡ぐ。
「それに、ひとつの文章が長過ぎ。そのくせ、句点をやたらと打ってるせいで、読んでて物凄くテンポを崩される。もっと、読者が文章を読むリズムやテンポを意識した方が良いわ」
「……はい」
「あと、必ず文末が『~した』で終わってるのもマイナス。ひとつの文中に、同じ単語を繰り返し使うのも止めた方が良いわ。読んでてくどく感じる」
「……」
脳内リングの俺は、胃と肝臓に綺麗なボディブローを喰らい、思わず血反吐を吐いた。思わずガードが下がり、露わになった顔面に、諏訪先輩の更なる攻撃が、情け容赦なく突き刺さる。
「会話文も無闇に長いわね。6行分も、ひとつのセリフに費やしちゃダメ。どこかで一度区切って、間にキャラの仕草や相槌のセリフ、それか場の情景描写を挟みなさい。あまりに長すぎるセリフは、読んでる人の目を滑らせて、嫌気を感じさせるだけよ」
「……あいい……」
「それと、難しい漢字を使いたがりな割りに、誤字が多すぎね。ここは“必用”じゃなくて“必要”よね? もうちょっと漢字をキチンと覚えた方がいいわ」
「……がは!」
デンプシーロールさながらに叩き込まれた指摘ラッシュの前に、脳内の俺は、まるでアンパ〇マンの様に顔を腫らし、遂にリングのマットに倒れ臥した。
そして、文芸部の部室でパイプ椅子に腰掛ける俺も、長机に額を打ちつけんばかりに頭を垂れ、意識が飛ぶ寸前だった……。
だが、先輩の指摘は、自分自身でも、執筆しながら引っかかるというか、モヤモヤしていた点だったので、反論も出来ない。
ダウンした脳内俺は、ぐうの音も出せずに、マットの上で悶絶するだけだった……。
――と、
「……でも」
諏訪先輩の声色が変わった。――先程とは違って、初春の日射しのような、微かだが、穏やかな温もりを感じさせる声に、俺は耳を欹てる。
「……でも、この短編の着想自体は悪くないと思うわ。構成もね。――オチは、もう一捻り欲しいけど」
「……え?」
先輩の言葉に、俺は思わず、伏せていた顔を上げた。
纏めた原稿用紙を俺の方に差し出しながら、諏訪先輩は静かに言う。
「うん。確かに、色々と足りない所はあるし、粗削りだけど……私は面白いと思うわ、君の小説」
「え……」
“面白いと思うわ”――諏訪先輩の言葉が、俺の鼓膜を揺らした瞬間、マットの上で転がり、テンカウントを聴くだけだった脳内俺が、おもむろにムクリと起き上がったのが解った。
俺の冷えかかった心に、小さな火が灯り、みるみるその勢いを増していく――!
「お――面白い! 面白いですか、俺の小説ッ?」
俺は、興奮して叫ぶと、勢いよく立ち上がった。
諏訪先輩は、俺の突然の行動に、眼鏡の奥の目を丸くして固まる。
そして、俺の勢いに気圧されたように、先程までの批評の勢いが嘘の様に、小さな声でボソボソと答えた。
「……う、うん……い、色々と手直しすべきところは……あると思うけど……。ストーリーは……個性的で、面白いと……私は思った――けど」
「――マジっすか! 面白い……マジっすか!」
諏訪先輩の答えに、俺は興奮して捲し立てる。
……何でだろう? 自分でもビックリするくらい、「面白かった」の一言が嬉しかった。散々ダメ出しをされて、二度と立ち上がれない程のダメージを受けて、マットに這い蹲っていたのに、その一言だけで全ての怪我とダメージが癒えてしまったようだ。――何だこりゃ? まるでベホ〇かケア〇だ。
俺は小躍りして、机の上の原稿用紙を愛おしげに持ちながら、声を弾ませる。
「ありがとうございます、諏訪先輩! 何か、スゲエやる気が出ました! 俺、頑張りますよ――ええ、頑張りますともさあっ!」
「あ……そう。えと……が、頑張って……ね」
諏訪先輩は、テンション上げ上げの俺を前にして、少しだけ表情を引き攣らせながら頷いた。
そのヒいた顔を見て、俺はハッと我に返る。――今度は、さっきとはまた意味の違う頬の熱さを感じ、俺は無言のまま、パイプ椅子に腰を下ろした。
「……すみません。つい……」
「……」
俺の言葉にも、諏訪先輩は黙ったままだ。俺は、チラリと横目で先輩の顔を窺う。
――彼女は、俺に横顔を向けて顔を伏せていた。……が、心なしか、その頬が紅く――。
ピロリン♪
「フえっ?」
と、その時、俺のブレザーのポケットから軽快な電子音が聴こえ、同時にぶるると振動した。不意打ちを喰らった俺は、ビックリして妙な悲鳴を上げてしまった。目の前で、諏訪先輩がキョトンとした顔を向けている……恥ずかしい。
「あ――えと……LANEの通知っすね……あはは」
俺は、誤魔化すような愛想笑いを浮かべつつ、ポケットからスマホを取り出した。電源ボタンを押して、明るくなった液晶画面に目を落とす。
――“YUE♪”さんから友達申請が届いています
画面中央に浮かんだポップアップには、そう書かれていた。
「ワイユーイー……誰だ、コレ……?」
気まずさを紛らわす為に、諏訪先輩に聞こえるくらいの声で独りごちながら、俺はポップアップをタッチする。LANEが起動し、ホーム画面が開く。
『友達申請が来ました』という表示と共に、“YUE♪”というアカウント名と、ピンク色のアイコンが表示されている。
俺は、その不審な友達申請に、言い知れぬ不安感と興味を覚えながら、吸い込まれるようにアイコンをタッチした。
画面が切り替わり、“YUE♪”からのメッセージが表示され、俺はそれを読――
「……ッ! ふ……ふふぇっ?」
――んだ瞬間、俺は仰天のあまり、さっきとは比べものにならない奇声を上げて、目を剥いた。
「ちょ――ど、どうしたの、高坂くん……?」
尋常ならざる俺の様子に、思わず諏訪先輩が気遣ってきたのにも気付かず、俺は小さな液晶画面に目と魂を釘付けにされていた。
何故なら、そこには“YUE♪”からの『こうさかくん! 友達追加ヨロ~☆』というメッセージと――目元でピースサインを作って、ニッコリと可愛らしい笑みを浮かべる早瀬結絵の自撮り画像が載っていたからだ――!