夜空ノクノウ
俺は、寒風吹きすさぶ真夜中の道を歩いていた。
昼間はそこそこ人通りの多い道なのだが、とうに日付が変わった今の時間に、歩いている人は全然いない。
「う~……クソ寒ぃ……!」
俺はそう独り言ちながら、震える己の体を摩る。
さすがに、近所のコンビニに買い物に出るだけだといっても、十二月下旬のド真夜中に、パジャマの上にダッフルコートを羽織っただけの格好で外に出るのは無謀だった……。
夜の冷気は、安物のダッフルコートと、もっと安物のパジャマの生地をいとも簡単に貫通し、俺の肌を凍りつかせようとでもするように苛烈な攻撃を加えてくる。
「……ぶえっくしゅっ!」
俺は、近所迷惑になりそうなボリュームのくしゃみをすると、はるか前方で輝く青い電光看板に向かう足取りを早めた。
……と、その時、
――タッタッタッタッ……
規則正しい足音が、俺に向かって、だんだんと近づいてきているのに気が付いた。
――どうやら、こんなクソ寒い真夜中に、ジョギングをしている人がいるようだ。
俺は、後ろから近づいてくる気配に道を譲ろうと、歩道の端に寄った。
相変わらず軽快な足音とリズミカルな呼吸音が、俺のすぐ後ろに迫る。
……と、急に足音が止まり、聞き慣れた声が、俺の鼓膜を揺らした。
「……あれ? ヒカルじゃん! ――何やってんの、こんな夜更けに?」
「……へ? て、お前かよ……」
足音の主は、ジャージ姿のシュウだった。
俺は、爽やかな笑顔を向けてくるシュウに尋ねる。
「って、こんな時間にジョギング? もう、夜中の二時だぜ?」
「うん、まあ……。何か、眠れなくてさ。――って、そういうお前こそ、どうしたんだよ? もう、夜中の二時だぜ?」
「……お前とおんなじだよ」
俺は、ニヤリと笑いながら同じ質問を返してきたシュウに、苦笑しながら答えた。
「……どうも、明日――つうか、もう今日か……今日の事を考えてたら、すっかり目が冴えちまって。しょうがないから、散歩がてらにコンビニでなんか買ってこようと思って……」
「そっか」
俺の答えに軽く頷くと、シュウは左手首に嵌めた腕時計のストップウォッチ機能を止め、前方の青い電光看板に向けて顎をしゃくった。
「――じゃあ、オレも一緒についてこ。行こうぜ、ヒカル」
◆ ◆ ◆ ◆
「ほらよ。ありがたく受け取れ、持たざる者よ」
俺は、コンビニの袋から熱々のピザまんを取り出すと、シュウの前に差し出した。
シュウはおどけた顔で、行司から報奨金を受け取る力士のように手刀を切ってから、ピザまんを受け取る。
「ありがたくチョーダイ致します、ヒカル様」
「うむ、苦しゅうない」
俺も時代がかった態度で頷いたが、そこで堪え切れなくなって、プッと吹き出した。
そして、コンビニの駐車場の車止めに腰を掛けると、袋から、これまたホカホカの三色チーズまんを取り出し、二つに割った。
「あちちち……」
三色チーズまんの断面から真っ白い湯気が上がって夜の冷気を温め、濃厚なチーズの匂いが俺の鼻腔をくすぐる。
隣の縁石に腰を下ろしたシュウも、その匂いにつられて首を伸ばす。
「お、美味そうじゃん! 限定だっけ、ソレ?」
「そうそう。今アニメでやってる『弱虫バトン』のコラボ商品。結構イケるぜ」
そう、俺はシュウに答えながら、三色チーズまんを一気に口の中に押し込んだ。濃厚なチーズの旨味が、口の中に広がる――が、
「熱ッ! あぢぢぢぢっ!」
表面以上にアチアチのチーズに舌を火傷した俺は、思わず悲鳴を上げる。
「いや、そらそうよ。そんなにがっついたら、火傷するに決まってんじゃん」
「う……うるはいな! おいひいものは、いっひにらふぇふぁいふぁなの、おふぇふぁ!」
「あーはいはい。『おいしいものは、一気に食べたい派』なのね。分かった分かった」
シュウは、呆れながら苦笑交じりに頷くと、ピザまんを一口頬張る。
「うま……」
と、シュウは小さく呟くと、ほう……と白い息を吐き、たくさんの星が瞬く夜の空を見上げた。
そして、ぼそりと呟く。
「明日……じゃなくて今日は、よく晴れそうだな」
「……うん」
俺もシュウと同じように夜空を見上げながら頷いた。
「……告るんだよな、早瀬に……」
「……う、うん……多ぶ――いや、絶対、告る」
無意識に『多分』と口に出しかけた俺は、慌てて首を横に振って言い直した。
だが、シュウの耳にはしっかりと届いてしまったらしい。隣から、「ふふ……」という含み笑いが聞こえてきた。
「そっか……頑張れよ」
「う……うん……」
俺は、自信無さげな声で答えながら、チラリと傍らを見た。シュウは、先ほどと変わらず、天を見上げている。
その横顔に向けて、俺は呼びかける。
「なあ、シュウ……」
「……ん? 何だ、ヒカル?」
シュウが、上に向けていた目線を俺に向けた。
そのまっすぐな瞳の光に、俺は一瞬たじろぐが、意を決して、目の前の親友に一番言いたい言葉を口にする。
「あ……その……、ごめんな、本当に」
「……何だよ、いきなり」
突然の俺の言葉に、シュウはいたく驚いた様子だった。
俺は、急に照れ臭くなって、頬が燃えるように熱を持ったのが分かったが、一気に胸の内を吐き出す。
「だって……お前は、俺の事が、その……アレなのに、俺はお前じゃなくて、早瀬の事がアレ……だからさ――」
「何だよ、アレアレって……」
「しょ、しょうがねえだろ! こういう所で口にするのは、何かこっ恥ずかしいんだよ……」
目を伏せて、俺がもごもご言うと、シュウは困ったように顔を綻ばせる。その口元から覗いた歯が、コンビニから漏れる蛍光灯の光を反射して、白く光った。
「お前の言いたい事は大体分かるけど、それはこの前、しゃぶしゃぶ屋でも言ったはずだろ? 全然、お前が謝る様な事じゃない」
「でも――」
「オレは――」
シュウは、俺の言葉を中途で遮ると、顔に微笑みを浮かべたまま、小さく頷いた。
「オレは……大丈夫だからさ。いいから、お前は自分の事だけ考えとけ。……それが、オレの望みってやつだ。――いいな」
有無を言わさぬ口調で、俺に言うシュウ。
……だが、親友の俺には分かる。こういう笑い方をする時のシュウは、決まって何かを我慢しているんだ。
そして、今シュウが我慢している事は、きっと――。
だけど――俺には、その事を指摘し、本当の気持ちを露わにする事はできない。
してはいけない。
だって、シュウの本当の気持ちを暴いたところで、俺はその気持ちに応える事が出来ないから――。
「……ああ、分かったよ。――ありがとうな、シュウ……」
……だから、俺はシュウの言葉に騙されたフリをした。
「ああ、それでいい……」
俺の感謝の言葉に、シュウは満足げに頷き、再び夜空を見上げた。
多分――、
今のシュウは、俺がシュウの言葉に騙されたフリをした事に騙されたフリをした――。
「……」
俺は、すっかり冷めてしまった三色チーズまんの半分を一口齧ると、シュウに倣って、頭上の星々を振り仰ぐ。
そして、隣には聞こえないように、小さく呟いた。
「……ごめん」