この冬、赤と黒のExamination
「ちょ……ちょっと待って、早瀬さん!」
ノリノリで、手元の『遠足のしおり』の読み合わせをし始めた早瀬に、俺は慌てて声をかけた。
説明の初っぱなを俺に止められた早瀬は、訝しげな表情を浮かべながら、首を傾げる。
「――うん? どうしたの、高坂くん?」
「あ……いや、その――」
彼女のクリッとした大きな瞳に見つめられた俺は、ドギマギしながら言葉を続けた。
「実は……、今シュウが再試験中で……」
「うん。知ってるよー」
俺の言葉に、キョトンとした顔で頷く早瀬。もう一度首を傾げて、俺に訊き返す。
「――それがどうしたの?」
「あ……それで……、コッチは知らないかもしれないだけど……、再試験でシュウがまた悪い点を取ったら、冬休み中の補習が決まっちゃうんだよ」
そこまで言うと、俺は机の上に乗った、独創的なキャラが描かれたしおりの表紙に目を落とした。そして、オズオズと話を続ける。
「……つ、つまり。シュウの結果次第で、早瀬さんがせっかく立ててくれた、この“遠足”自体が決行できなくなる――って事な訳で……うん」
「――それが?」
「……へ?」
早瀬にあっさりと問い返され、俺は呆気に取られた。
すると、彼女は俺にニッコリと笑いかける。
「だいじょぶだよ! 工藤くんは、絶対に再試験をクリアできるから!」
「え……えぇ……?」
俺は、やけにはっきりと言い切った早瀬の自信満々の態度に、驚きを隠せない。
「な……何でそんなにキッパリと言い切れるの? な、何か確証でも……?」
「かくしょう? ううん。そんなの無いよー」
「ファッ?」
俺は、これまたあっさりと首を横に振った早瀬に、今度は困惑を隠せない。
「じゃ……じゃあ、どうして――」
「だって、工藤くん、とっても一生懸命に勉強したんでしょ? 高坂くんと香澄先輩も、昨日は徹夜で、工藤くんの勉強に付き合ったんでしょ?」
「ま……まあ……うん」
早瀬の問いかけに、俺は躊躇いがちに、コクンと頷いた。
それを見た彼女は、後光が差してきそうな満面の笑みを浮かべると、力強く親指を立ててみせる。
「なら、大丈夫! 工藤くんはキチンと合格してくれるよ、絶対!」
「い……いや! だからどうして――?」
「それは――」
そこまで言うと、早瀬は一旦口を止め、大きく息を吸うと、一気に言葉を吐き出した。
「――ズバリッ、“愛”の力ですッ!」
「あ――?」
「ぶ――ブふぉっ?」
「……す、諏訪先輩?」
早瀬が口走ったブッ飛んだフレーズに、目を丸くして唖然とした俺だったが、その直後、飲みかけたコーヒーを思い切り吹き出した諏訪先輩にすっかり意識を奪われた。
「ちょ、だ、大丈夫っすか、諏訪先輩ッ?」
咄嗟に、机の上のボックスティッシュから引き出したティッシュペーパーを諏訪先輩に渡しながら、慌てて俺は声をかける。
「ど……どうしたんすか、いきなり?」
「あ……ありがとう、高坂くん。……な、何でもないの。ちょ、ちょっと……噎せただけ……」
俺が渡したティッシュで口の回りを拭きながら、心なしか顔を赤くした諏訪先輩は答えた。
諏訪先輩の答えに少し安堵した俺は、今度は早瀬を手招きして、先輩に聞こえないように声のトーンを落として囁く。
「ちょ……ちょっと、早瀬さん! せ、先輩の前で、あ……愛とか言っちゃダメだって! 先輩には、俺とシュウの事はまだ話してないんだから……!」
「――あ」
俺の抗議に、早瀬はハッとしたように目を見開いた。そして、慌てて俺に向かって両手を合わせる。
「そういえば……。ご、ごめん、高坂くん!」
「う……うん……」
俺は、謝る早瀬の顔に見とれて、思わず首を縦に振って許してしまう。……あんな顔で謝られたら、許すしか無い。
――早瀬結絵、恐ろしい子!
「……」
俺は、恐る恐る諏訪先輩の様子を窺うが、ブレザーに飛んだコーヒーを拭き取る先輩の様子に、特段変わったところは見られない。
……どうやら、勘づかれずに済んだようだ。
と、その時、
「……ん?」
早瀬がピクリと眉を上げると、ドアの方に身を寄せて、耳を澄ました。
そして、嬉しそうに顔を綻ばせて、俺たちに言った。
「……ほら、噂をすれば! 終わったみたいだよ、工藤くん!」
「「!」」
彼女の声に、俺と諏訪先輩の顔は緊張で強張った。
――確かに、古い板張りの廊下を軋ませながら、だんだんと足音がこの部屋に近付いてくる。
そして、ガラガラと音を立てて、引き戸が開き――、
「……ただ……いま……」
憔悴し切って、すっかり老け込んだシュウが、フラフラと入ってきた。
「しゅ、シュウぅっ? だ、大丈夫か……お前!」
足を縺れさせ、グラリとよろめいたシュウを、俺は慌てて支えた。
「……キャぁッ!」
背後で、誰かさんの黄色い悲鳴が聞こえてきたが、聞こえなかったフリをして、シュウをパイプ椅子に座らせる。
「し……しっかりしろ、シュウ! き……傷は浅いぞォッ!」
「何よ、そのノリ……」
「あ……いや、何となく……」
白け声の諏訪先輩のツッコミに、照れ笑いを浮かべて答えた俺は、パイプ椅子の背もたれに身体を預けて、グッタリしているシュウの顔を覗き込んだ。
「……つか、どうだったんだ、再試は……?」
「……」
俺の問いには答えず、シュウは微かに震える腕を伸ばし、自分のカバンの中をまさぐった。
そして、一束の紙を掴み上げると、無言のまま俺に向かって突き出した。
「……これが、答案……か」
紙束を受け取った俺の問いかけに、シュウは無言で頷き――、親指を立てた。
「お――?」
「……や……やったぜ、ヒカル……! 見事……補習……回避だ――!」
「おおおっ! ま、マジか!」
シュウの勝鬨の声に、俺は手にした答案用紙に目を通す。
――確かに、この前見たテスト用紙よりもマルの数が多い! ……当社比。
「……いや、これ、結構ギリギリなラインじゃねえか!」
答案用紙に書き殴られた、赤点と紙一重レベルな数字に、俺はゾッとしながら叫んだ。
「えー、そうかなぁ? スゴいよ、工藤くん。中間テストの時の私の古典は、これよりも悪かったよー」
「……早瀬さん、ややこしくなるんで、少し待ってて……」
「あ、ごめん……」
ニコニコ笑いながら会話に加わろうとする早瀬を制して、俺は一枚のテスト用紙に指を突きつけて叫ぶ。
「……特に数A! あと3点で赤点だろ、これ! あっぶねえな、オイ!」
「い……いいんだよ。赤点じゃなかったら、100点も28点も同じだろ?」
冷や汗を流す俺とは対照的に、ケロッとした顔で言ってのけるシュウだったが――、
「……いいえ? 全然良くないけど……っ?」
「ひ、ひ――!」
俺の背後からユラユラと立ち上る、憤怒のオーラに気圧されて、椅子から転げ落ちた。
一方、幽鬼のような形相の諏訪先輩は、俺の手から答案用紙を奪い取ると、ジロリと一瞥すると、眼鏡を昏く輝かせながら口を開いた。
「……何、この点? 昨日、徹夜までして、私があんなに一生懸命教えたのに……その結果が、コレ?」
「ひ……あ、あの……す、スンマセン……」
諏訪先輩の気魄に圧されて、シュウは戦慄きながら、殊勝に頭を下げる。
と、諏訪先輩は大きな溜息を吐いた。
「……やっぱり、一日じゃダメね」
「……へ?」
「あれだけ一生懸命やったのに、こんな点で満足されちゃたまったモンじゃないわ……」
そう呟くと、諏訪先輩は眼鏡のブリッジをクイッと上げ、答案の束をシュウに向けて突きつけて、毅然と言い放った。
「……決めた! 学校の補習は無くなったかもだけど、代わりに私が補習する。冬休みが終わるまでにあなたを、せめてテストで平均点を取れるレベルにしてあげるわ、工藤くん!」
「え……ええ? えええええええッ!」
夕日差し込む文芸部の部室に、シュウの悲痛な叫びが響き渡った……。
サブタイトルの元ネタは、邦画『天と地と』のキャッチコピー『この夏、赤と黒のエクスタシー』からです(笑)。
朽縄咲良が、戦国時代(&武田信玄)にハマるキッカケになった作品なので、一度観てみて下さい。
合戦シーンが迫力あってオススメです♪