オレ、再試
終業のチャイムが鳴り、教室は解放感と安堵感に包まれる。
明日23日が終業式の為、今日は、いつもよりも一時間早く授業が終わった。
短縮授業の為、部活動も休みの生徒も多く、クラスメイト達は、どこかウキウキとした顔つきでカバンを肩にかけて、次々と教室を出ていく。
……だが、シュウにとっては、これからが本日の本番である。
何せ、ヤツはこれから、補習で惨憺たる得点だった古典・英語、そして数学Aの再試験に挑まなければならないのだ。
……それなのに、
――これは、もうダメかも分からんね。
俺は、自分の机に突っ伏したまま微動だにしないシュウの姿を目にした途端、絶望感で目の前が真っ暗になるのを感じた。
い……いや、まだだ、まだ慌てる時間じゃない……!
俺は、気を取り直すと、大股でシュウの席に向かい、ゆっくりと上下するその肩を乱暴に揺すった。
「……オイ、シュウ! 起きろォ!」
「ん……? おふくろ……もう少しだけ……あと5分……Zzz……」
「ボケェッ! 誰がおふくろだぁっ! 俺は、お前みたいなウドの大木を産んだ覚えはありませんッ!」
俺は目を吊り上げながら、シュウの座る椅子の脚をガンガンと蹴りつける。
「ほらっ! 寝てる場合じゃねえぞッ! お前はこれから再試験だろ? 早く起きろ!」
「むにゃ……ふ、ふわぁああ……」
耳元で怒鳴りつけて、シュウはようやく目を覚ました。両腕を上に突き上げながら、大きく口を開けて欠伸をする。
「う、うーん……! よ、オハヨ、ヒカル」
「おはようじゃねえよ! もうすっかり昼下がりの放課後だよ!」
実にのんびりした調子のシュウに、思わず俺は声のトーンを上げ、それから大きな溜息を吐いた。
「まったく……そんな調子で、これからの再試験、大丈夫なのかよ……?」
「おいおい、ヒカル。心配すんなよ。今のは、昨日の徹夜が響いて、ちょぉっとだけウトウトしてただけだって。つうかよ、ここ数日であんだけ勉強したんだから、再試験なんてラクショーだぜ!」
「……その根拠のない自信は、どっから来るんだよ、お前」
ふんぞり返って胸を叩くシュウとは裏腹に、俺の不安は雪だるまのように、どんどんと大きくなる一方だ。
「心配性だなぁ、ヒカルは。――これでも、授業中は寝ないで、ずっと試験対策の勉強しまくってたんだからよ! 泥船に乗ったつもりでいろよ、なあ!」
「泥船じゃ沈むだろが……」
いつもの調子のシュウを前に、俺は頬をひくつかせる。
そんな俺の顔を見たシュウが、ムッとした表情を浮かべた。
「何だよ。そんなに不安だったら、試しにオレに問題を出してみろよ!」
「え……? じゃあ――」
突然のシュウの提案に、俺は不意を衝かれつつも頷き、カバンの中から英語のテキストを出して、適当な問題を出してみる事にする。
「じゃあ……、『ノートを学校に置いてきたはずが無い』を、英文にすると?」
「えーと……『I…… can't have leave……いや、left my notebook at school.』――かな?」
……お。当たりだ……多分。
「じゃあ、『How would you feel if you were the last person on Earth?』を和訳したら?」
「ええ……と……、『もし、あなたが……地球上で……最後のパーソン……人間だとしたら、どう思います――感じますか?』――じゃね?」
「へえ……合ってるよ!」
俺は思わず感嘆の声を上げた。
その後も、英語だけではなく、数学Aや古典の問題も出してみたが、驚いた事に、なかなか良い正解率だった(全問正解では無かったが)。
俺は目を丸くして、自慢げに鼻を鳴らすシュウを見た。
「すげえじゃん、シュウ! これは……ひょっとするとひょっとするぞ!」
「ふっふっふっ……さあ、もっと崇め讃えるがいい、ヒカルよ」
「いや……さすがにそこまでは持ち上げられない」
「んだよ、ケチ!」
俺が無表情で首を横に振ると、シュウがむくれる。
そんなシュウに、俺は苦笑いを浮かべながら言った。
「でも……まあ、ビックリしたよ。あれだけヒサンな成績だったっていうのに、ここまで出来るようになるなんて……」
「ま、教えてくれた先生が優秀だったからな」
「……またそういうクサいセリフを、しれっと吐くなよ」
……何か、涙が出そうになるじゃねえかよ。
一応、古典部門の担当をしていた俺は、何か鼻の奥がツンとしたのをごまかそうと、鼻の頭を掻く。
と――、
「――それに、さ」
おもむろにシュウがフッと表情を消して、言葉を継いだ。
「……せっかくの、親友が勝負を賭けようって日を、オレの補習なんかで台無しにしちまう訳にはいかねえよ。だから……超頑張った」
「! ……シュウ……」
シュウの言葉に、俺はハッとした。
そうなのだ。シュウが再試を無事にクリアするという事は、クリスマスイブに、俺が早瀬に告白出来るという事。
そして、万が一……いや、億が一……兆が一かな……、早瀬が俺の想いを受け入れてくれたならば、シュウの恋は完全に潰える事になるのだ。
それなのに――、シュウは俺に、こうまで協力してくれている。多分それは、本心から俺の幸せを考えてくれての事なのだ……。
そう思ったら、俺は自然にシュウに向けて頭を垂れていた。
「シュウ……ありがとう。本当に……ありがとうな」
「な……何だよ、急に!」
シュウは、俺の様子にビックリした様子で、オタオタと手を振っていたが、
「工藤くーん! 都司先生が呼んでるよ~! 遅いって怒ってるって~!」
という、ドアの向こうから聞こえてきた、クラスメイトの女子の声に、顔色を変えた。
「や――やべっ! もう時間だ!」
「うぉっ、マジか! 遅刻で失格とか、シャレんなんねえぞ!」
黒板の上に掛けられた時計が、再試の時間を指している事に気付いたシュウと俺は、焦りの表情を浮かべた。
シュウは、慌ててカバンを肩に掛けると、俺に向かって言った。
「じゃ、じゃあな!」
「お……おう! 頑張れよ、シュウ! ……武運を祈る!」
俺は、そう激励の言葉を贈ると、おどけた様子で敬礼をしてみせた。
それを見たシュウもまた、ニヤリと笑うと、俺に向かって敬礼を返した。
「――行ってくる!」
「――行ってこい!」
そして、俺たちは互いに手を高く掲げ、パァンと音を立ててハイタッチを交わしたのだった。