十一時間目
とりあえず最終回です。
続けようと思えばもう少し書けるのかもしれませんが。
奴らって、やっぱ目立ちたがりなのかな?
ミスコン荒らしや女子アナと理屈は同じではないのでは。
どいうこと?
ああいう女性というのは、子供の頃から、「きれい」とか「かわいい」とか言われまくっていて、自分の容姿に自信をもちまくっていて、そんなにすごい自分を見せつけたくて、さらには、ちやほやされたくて、有名人や金持ちと仲良くなったり、いろいろな名所に行けたり、いろいろな派手なイベントに顔を出したくて、女子アナになったりするのではないのでしょうか? 要は、安定した収入のある局抱えのアイドルになりたいのです。アナウンスが好きで女子アナウンサーになる人などいませんよ。アナウンス能力を鍛えて、「将来、子供が出来たら、その子のために少しでも素敵な声で絵本を読んであげたい」なんて志望動機、絶対、ウソですよ。「そんなんウソに決まってるやんけ! ボケ!」ですよ。
スーパー・ヒーローも自信満々の己が強さを見せつけて、ちやほやされまくりたくてたまらないのですね。自己承認欲求や自己顕示欲の塊に違いないのですね。女子アナがそうであるように。
それって、ちょっと言い過ぎじゃね? 偏ってね? 頭のおかしいスーパー・ヒーローはともかく、そこまで言うと女子アナちょっとかわいそう。
純粋に正義を守りたいから、スーパー・ヒーローやってるっていないのかな?
このプリントの舞台になっている世界ではいないような気がします。いたら、おじいさんを血だるまの半殺しにした正義の味方を許さないのでは。
もしくは、じいさんをボコった現場には居合わせなかった、ってとこかな。
あ、そうかも。
何?
ちょっと思いついた。
このじいさん、もしかして自分の半殺しにされるさまを見せて、過剰な暴力を加える正義の味方を否定したかったのでは? 糾弾したかったのでは? 社会に問題提議したかったのでは? 商店街という人が集まるところで、生でそのさまを見せつけて、それがいかに残酷な行為かを一般市民の人に問いたかったのかも。
人々の業を背負って十字架に打ち付けられたキリストみたいなもん?
何かで読んだけど、十字架刑って国家反逆罪とか国家転覆罪とか企てた者に対して執行されたらしいです。
もしかしたら正義の味方の正体を知っていて、そいつのバッグかなにかの中にマスクと全身タイツが入っていて着替える場所があることも知っていて行動に出たのかもしれないね。
このプリントの正義のヒーローにとって他より秀でてる能力は誰よりも強いってことじゃなくて、マスクと全身タイツに着替えるのがすごく早いってことのような気がしないでもない。
でも、このプリントの世界じゃムダなような気がする。だって、正義の味方の蛮行を止めようとする奴、誰もいないんだもん。
それは皆が正義の味方を恐れたからではないでしょうか。仮にもスーパー・ヒーローを名乗っている人です。いかにも強そうではありませんか。もしくは、単に凶暴な人と関わりを持ちたくなかったのかもしれません。頭のおかしい人と接点を持ちたくはなかったとも言い換えることが出来ます。
今までテレビでしか見たことのなかった本物の正義の味方が突然、目の前に現れたら、ごく普通の人はどういう反応をするのだろうか? ワーキャー騒がれてちょっとした騒ぎになるのでは? 芸能人いたらそうなるでしょ?
女子アナいてもそうなるね。
女子アナはもういいよ。
おじいさん、正義の味方をじかに見たかったのかもね。年のわりにミーハーだったりして。冥土の土産に。
連帯保証人とかやっちゃって、どうにも首がまわんなくなっちゃって、死に場所を求めていたのかも。若い女じゃねえから、風俗に需要はないだろうし。富士の樹海にでも行くつもりがあったのかもね。
蟹○船に乗るとか、臓器を売るとかは考えなかったのかな?
おじいさんの臓器では大した値では売れないのかもしれません。それに蟹○船は激務のようですから若くないと勤まらないのでは? ちなみに、大航海時代の海賊の平均年齢は二十五歳くらいだったといいます。それからいっても、海がらみの労働は年がいっているのはきついと思われます。
そう考えると、町のかっぱらいの方がまだ向いていますよ。
もしかして、この正義の味方は悪というものに復讐したくて正義の味方になったのではないのでしょうか。
どういうこと?
バ○トマンのブ○ース・ウェインでしょ。
確か、彼は幼い頃、映画を家族で見に行った帰り道に暴漢だったっけ? 泥棒だったっけ? とにかく、そいつに襲われ両親を殺されたってやつでしょ? で、犯罪学とかいろいろ勉強して、長じて、晴れて、バ○トマン。ってのでしょ。
かっぱらいのおじいさんへの懲罰は正義のスーパー・ヒーローとして初仕事だったのです。それで、ついはりきって、過剰に暴力をふるってしまった……。だけど、その後、知ってゆくのです。この世には単純な正義と悪とが存在しているのではないことを。やむにやまれぬ悪。仕方なしの悪。本当は正義なのかもしれない悪が存在することを。先の貧しい家計を助けるために不本意ながら悪の秘密結社の最下層のモブに成らざるを得なかった人のように。状況次第でいくらでも、白は黒に、黒は白に、あっさりと覆ります。戦中と戦後の某国のように。正義のスーパー・ヒーローは、彼は、あるいは、彼女は、この先さまざまな悪に出会うことでしょう。敗北して死ぬかもしれません。死なないまでも重症を負い、後遺症で人並みの生活すらおくれなくなったりするのかもしれません。ですが、それはいいのです。死んでしまうならそれが運命だったのでしょう。かろうじて生き残るのもまた運命。敗北して、自分の非力を知り、そこから修行を積み、力をつけ、復讐を遂げるのも、また然り。ただ、どうしても出会うと思うのです。救えなかった命とか、そういうものの類に。そればっかりは、いくら強くなっても、ゼロには出来ないでしょう。そんなことは明らかです。明らかに、物量的にムリです。なぜならば、たとえば、殺人事件なんて、世界規模で考えれば、数秒に一件というペースで発生しているはずです。内戦状態の国だってあるわけですし。そんな国ではばかばか人が死んでいます。殺されています。ですが、多分、そんなことを考えてから正義の味方になる人はいないと思います。彼が、あるいは彼女が、復讐心だけでなく、正義のメンタルをもっていたとしたら、苦悩するでしょうね。って、いうか、そうあって欲しいのです。で、アルコールにはしったり、覚せい剤等の薬物に手を出したりするのかもしれません。それは犯罪なのですが、情状酌量に余地はあるので、裁判員裁判で執行猶予はつくでしょうね。そう考えると、本来ならは、身近なかっぱらいの哀れなおじいさんを半殺しにしている場合などではないのですが……。
ねえねえ。
何ですか?
もっと、おじいさんに同情しようよ。
基本を思い出そうよ。
道徳の意味を。
というと?
だって、電車やバスで「老人には席を譲りましょう」ってのが、道徳でしょ?
完
また何か脱線しまくれる〝道徳資料〟を思いついたら、こんな感じのを書くかもしれません。あと時間があれば。