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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

怪奇短編群

死骸が食べたいときに聴こえる音

作者: 鬼々


(カッコン)


 ――それは軽い音だった。

 例えるなら、流水を受けた鹿威しが石を打ったような音。


 その怪音が聴こえた最初の記憶を遡ると、僕が小学三年生の頃の暑い夏に体験したある出来事に行き着く……。


 夏休み真っ只中のその日。

 僕は友達の渡辺君と一緒に携帯ゲーム機で遊んでいた。


 当時遊んでいたゲームは所謂ファンタジーRPGというジャンルの物であり、液晶画面に写る中ボスは異常な程強かった。


 渡辺君がゲームに耽っている最中、僕は部屋の片隅にあった虫カゴに、ふと目を止めた。

 虫カゴ自体は、何の変哲もない普通の代物である。 

 しかしその中には、大きなカマキリが入っていた。


「あのさ……渡辺君」

「なんだよ、どうかしたのか!」


 渡辺君は液晶画面に写る中ボスとの戦闘に苦戦しつつ、額の汗を懸命に拭いながら答えた。


「あの虫カゴの中にいるのって……?」

「ああ、そのカマキリか。原っぱで遊んでたら偶然見つけたんだ」


 僕はそれを聞き、そう、と空返事を返す。

 実際のところ、心ここにあらずといった感じだった。


「なんだよ、そんなどうでもいいこと今聞くなよ!もう少しで中ボス撃破なんだぞ。

 協力プレイなんだから口より先にコントローラーを動かせよ!」


 渡辺君の言う通りだと思う。

 しかし、僕の指の動きは今や完全に止まっていた。

 動かす気すらも失せていた。


 それより今は、あのカマキリだ。

 虫カゴの中に入った、魅惑の宝石……。


 僕はあれにすっかり目を奪われていた。

 一目惚れだった。


 とはいっても惹きつけられた理由は、見た目が格好良いだとか、友達に嫉妬しただとか、そんな子供じみた理由では断じてない。


 うまく形容出来ないが、とにかくあのカマキリから不思議な魅力を感じたのだ。


 何故あのカマキリに惹きつけられるのか。

 僕はその理由が知りたくなった。


 それには機会をうかがい、あのカマキリの傍にもっと近づき、あわよくば触ってみることである……。


 そのとき。


「あ、ちくしょー負けたあ。お前のせいだかんな!」


 渡辺君はそう言って、自分の携帯ゲーム機を床に放り投げた。

 緊張の糸が瞬間的に切れたようだった。


「あーあ、何だかやる気が失せちゃったよ。今日はもうゲームやめて外でサッカーでもしようぜ!」


 渡辺君はそう言うと、新品のサッカーボールを抱えて家から出て行った。

 静まり返った部屋の中には僕と虫カゴだけが残る。


 来た、これはチャンスだ。

 僕は瞬時にそう悟った。

 あのカマキリを触る、絶好のチャンス!


 僕はカゴの傍にそろりと近づき、上蓋をゆっくりと開けた。

 やはり思ったとおり、かなりの大物だ。

 ここまで大きいカマキリを僕は生まれてこのかた見たことがない……。

 僕はカマキリの背中より下の腕の付け根部分をゆっくりと指で摘み、高々と持ち上げる。


「はあ、はあ……」


 なんだか異様に興奮してきた。

 普段の僕からは考えられないことである。

 寧ろそれまでの僕は、昆虫に夢中になる人をどこか白い目で見ていたはずなのに……。


 カマキリを摘みながら、僕はそのしなやかな肢体を愛でるように観察した。

 鎌の先端から脚の先まで、それはそれは丁寧に……。


「おーい、サッカーやんないのかあ?」

「!」


 そのとき僕は酷く焦った。

 まずい、渡辺君が僕を呼んでいる!


 もし、この状況が渡辺君に見つかってしまったら僕はクラスの間で泥棒扱いされかねない。


「い、今行くから!!ちょっと待ってて!!」

「……おう!待ってるぜ」


 結局、渡辺君が部屋に戻ってくることはなかった……。

 ふう、と僕は安堵し、再びカマキリを見つめる。


 手の中のカマキリは死んでいた。


 僕は驚愕した。

 指に力が入りすぎてしまったのだ。

 僕の指圧でカマキリの内臓は潰れていた。


 僕は頭を掻き毟り、目眩を起こす程苦悩した。

 できることなら、なんとかこいつを生き返らせてやりたいところだが、土台無理な話である。


「カマキリを殺してしまったことが、もし渡辺君にバレたら……。まずいなぁ」


 いっそ正直に話してしまうか。

 君の飼っているカマキリを誤って潰してしまった、と。

 いやいや、それは駄目だ。


 もし、渡辺君が自身のカマキリを僕に殺されたと知ったら、僕と渡辺君の友情には深い亀裂が入るだろう。


 それだけは嫌だ。

 何しろ、渡辺君は僕の数少ない友達であり、僕が心を許せる稀少な存在の一人なのだ。

 こんなことで、大事な友達を失いたくない……。


 僕はカマキリの身体をじっと見つめる。

 とりあえず、死骸をどうにかしなければならない……。

 僕が思案していると、何処からか軽い音が聴こえてきた。


(カッコン)


 それは、軽い音だった。

 例えるなら、流水を受けた鹿威しが石を打ったような音。

 それが聞こえた瞬間、僕は溢れる欲望が抑えきれなくなった。


 僕はそのカマキリの死骸を太陽の日にかざしながら持ち上げると、ゆっくりと口に入れた。


「くちゃ、くちゃ、くちゃ。ぺろ、ぺろ、ぺろ……」


 時節、ぷちっとした感触と共に体液が口内に溢れだす。

 最初はカマキリの頭部、その後に鎌や羽根、そして最後に脚。

 それらを口内へと丁寧に収納していった。


 最後に指に付いている体液を、親指から順番に丹念に舐めあげて完食した。


 僕はその瞬間、えも言われぬ程の快楽に包まれたのだ……。

 そして、一目惚れの理由を悟った。


 僕は決して、渡辺君の持っていたカマキリが欲しかったわけでも、羨ましかったわけでもない。


 ただほんのちょっぴり、喰ってみたかったのだ……。





 それから数年間、僕はこの奇妙な食道楽に熱中することになる。

 友達の家へ遊びに行くと、隙を見てそいつの飼っている虫を指で潰し、死骸を貪り食った。


 対象は決して昆虫だけは無い。

 イナゴ、バッタ、クモ、ゴキブリ、蝶々、蛾等々。

 美味い物もあったし、不味い物もあった。

 しかし、正直なところ味はどうでも良かった。


 珍味愛好家の中には虫の味が好きだからという理由で虫を食す者もいるだろうが、僕の場合は違う。


 死骸を喰う、という常識から逸脱したその行為自体に興奮を覚えるタイプだった。

 特に、友達の飼っている虫を握り潰して喰うときなど、もう最高である。


 僕が遊びに来ると、必ず飼っていた虫が消えるというので、友達と言い争いが起こることもあった。


 しかし、僕は一向にしらを切り続けた。

 まさか当時の友達も、自分の飼っていたペットの行き先が僕の腹の中だったとは思うまい……。

 

 無論、自分の中で多少の葛藤も生まれた。

 クラスメイトを裏切っているという罪悪感、虫の死骸を喰うという異常な行為に対する背徳感。

 それが起こる度に、僕は虫を喰うのを躊躇った。


 しかしそんな時、何処からか決まってあの音が聴こえてくる。

 常人には決して聴こえないあの音。悪魔の奏でる魅惑の音色が……。


(カッコン)


 すると、途端に欲望が抑えきれなくなる。

 僕はこの音のことを、“欲望のタガが外れる音”だと考えた。


 日本語には“タガが外れる”という言葉の言い回しがあるが、僕の身には実際本当にそれが起きるのだ。


 死骸を喰うことへの欲望をいくら我慢しても、その音が聴こえた途端、歯止めが一切効かなくなるのだった……。





 そんな僕も成長し、中学校に入学、高校へと進むうちに、ようやくその奇妙な食道楽も()()を潜めた。

 例の音も、いつしか聴こえなくなっていった。


 高校卒業後、一流大学に入り、一流企業へと就職した。

 まさに人生のエリートコースである。


 そして、会社では勤勉に働き、すぐに昇級。 

 数年後には美人社員を口説き落とし、後に結婚。

 ささやかだが、幸福の積み重なる暮らし。


 何もかもが順調だった。

 僕は自分を程々の幸せ者だと思っていた。


 そんなある日のこと。

 僕は残業のため、会社に夜遅くまで残って仕事をこなしていた。

 会社には数人程度しか人が残っておらず、俺はパソコンを見つめながら大きく欠伸をした。


 その瞬間。


 窓に大きな一つの影が走った。

 その影は上方から現れ、下方へと通り過ぎる。


 僕は見逃さなかった。

 あの影はまさか、まさか……。

 仕事そっちのけで、僕は勢いよく階段を駆け下りた。

 一階にたどり着き、玄関から外に出てそれを見つめた。やはり、案の定だ。


「自殺か……!」


 そこにはひしゃげた血だらけの死体があった。

 若い男性のようだ。

 恐らく自社の社員であろう。


 なんらかの理由を苦に飛び降りたのだ。

 そこまで思い詰めていたのなら、一言僕にでも相談してくれれば良かったのに……。


「とにかく早く救急車を呼んだほうがいいだろうな……。んはあ、んはあ、んはあ」


 そう呟きながら僕は自分が異常に興奮していることに気づいた。

 目の前にある死体、ひしゃげた死体、真っ赤な死体。微かな記憶が蘇ってくる……。


 それは、少年の日に見たあの光景。

 僕の手の中で、体液や内臓を飛び散らせて死んだあのカマキリ。


 鮮血を撒き散らして潰れているこの若い男性社員は、あの死骸の姿によく似ている……。


「んはあ、んはあ、一回喰ってみたいなぁ!ああ喰いたいっ、喰いたいっ、喰いたいっ…………はっ!」


 すんでのところで、正気に返る。

 いやまずいだろう、それだけは。

 一体全体何を考えているんだ、僕は……。


「しかし、これ以上この場所に居てはいけない!きっとまた、()()()が聞こえてくるぞ……!」


 それは、あの“カッコン”という音。

 あの音色が聴こえてくれば、僕は自分の欲望を抑えきれない。

 僕は夢中になってその場から逃げ出した。





「ちょっと!聞きました皆さん、あの件……」


 次の日。

 会社は例の飛び降り自殺の話題でもちきりだった。


 積極的に会話に加わることはないものの、僕も耳をすまして事情を聞く。

 あのとき、男性社員の死体を見て僕は確かに食欲をそそられた。


 今まで虫の死骸に食欲をそそられることはあった。

 しかし、人間の死骸に食欲をそそられたのは初めてだ。


 百歩譲って、虫の死骸はまだセーフだろう。

 虫を喰う人はこの地球上に一定数いるからだ。

 しかし、人の死骸を喰うのは色々とまずい。

 下手したら、いや下手しなくても犯罪行為だ。


 人喰いとは、やってはならない禁忌の行為。

 太古の昔ならいざ知らず、現代人が人を喰いたいなどと考えることは、絶対にいけないことなのだ……。


「主任、主任!主任ってば!」

「――ハッ!」


 後輩社員の声で僕はすっと我に返る。

 どうやら思考の世界に行ってしまっていたようだ。

 昔からの悪い癖である。


「こほん、どうしたのかね?」

「垂れてますけど。よだれ……」





 その日は少し早めに業務を切り上げた。

 自宅への道中、僕は自問自答する。


 僕は子供の頃から真面目に勉強して、

 やりがいのある仕事に就き、

 明るい友人がいて、

 愛しい妻もいるのだ。


 常に人生のエリートコースを歩んできた。

 会社を、友人を、妻を、人生を、安直な欲望に従って破滅させるわけにはいかない。


 そう!

 死骸を喰いたいなどという異常な欲望は、この際きっぱりと捨ててしまうことだ……。


 僕は考えをまとめると、自宅の玄関のドアを叩いた。妻が僕を出迎える。


「あら、貴方。おかえりなさい!早かったのね」

「ああ、なんだか今日は体調が優れなくてね、早めに仕事を切り上げてきたんだ。それより君はやけに嬉しそうだな」


 妻はふふっと笑う。


「何故喜んでいると思う?うふふ。実はね……私達に赤ちゃんが出来ました!」

「……ああ!子供」


「そうよ、貴方も嬉しいでしょう!」

「うん、そりゃあ勿論嬉しいとも。そうかあ、赤ちゃんかあ。それはさぞかし……」


 柔らかい肉質をしてるだろうなあ、僕はそう言いかけて口を塞ぐ。

 しかし溢れ始めたよだれは、もう止まらない。



 ……勘違いしないでほしい。

 僕は決して危険人物ではない。


 優秀で真面目な人間なのだ。

 自分の子供を潰して喰ったりなど、絶対にしない。

 神に誓おうじゃないか!


 しかし、あの軽い音。

 流水を受けた鹿威しが石を打ったような音。

 あの“カッコン”という音が聴こえてくれば、あるいは……。








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[良い点] 江國香織のすいかの匂いを思い出しました! こういう何やら不気味で怖くて不思議な話、大好きです! 文章にも引き込まれてどうなるのか、と最後まで気づけば読んでおりました…… 最後に主人公が人間…
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