表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/44



 セント・グレイフォート市警は、管轄である街の面積の割には規模の大きな警察組織だ。四つの局の下にそれぞれ二〜三の部、さらにその下に五つ前後の課を有している。


 その一つである刑事部少年課の懇談室で、ソーシャルワーカーの女性は困惑していた。


 カウンセラーでもある彼女は、本日のお相手が正当防衛で殺人を犯したばかりの孤児の少年と聞いて、心の傷は如何許りかと心して来たのだ。おまけに保護時には酷く動揺していた、とのレポートも上がっていた。それがいざ顔を合わせてみれば、目の前に座るカウンセリング対象は元気どころか反骨心を剥き出しにして突っかかって来る始末だ。


「大体さぁ、カウンセラーとか余計なお世話なんだよね。おまけに何、保護施設? あんなとこ行くくらいなら刑務所のがまだマシ」


 回りすぎる口で長広舌を繰り広げる癖毛の少年──クライヴは、かけられる福祉的な一言につき三倍の嫌味と悪態を返す絶好調ぶりを見せていた。


 結局レーニ殺害の一件は、クライヴの正当防衛として不起訴処分となった。凶器がレーニの持っていた銃であった事、そしてつい先だってクライヴが拐われ暴行を受けていた件も大きく効いたらしい。しかしそれらの手続きのせいで更なる留置場暮らしを余儀なくされたクライヴは、端的に言えば苛立っていた。


 ソーシャルワーカーは興奮している少年を少しでも落ち着かせようと、クライヴの腕にそっと手を伸ばす。


「でもねクライヴ君、君をこのまま帰したら──」

「るっさい、触んな!」


 悪態と共に、クライヴは触れるか触れないかの手を容赦なく振り払った。苛立ちを隠しもせずに溜息を吐くと、ぐしゃりと髪を搔き上げる。


「いいよ、アンタと話しても無駄。俺は勝手に帰るから」


 言い放つや否や、クライヴは音を立てて席を立つ。足早にドアへと向かうと、今回は施錠されていないドアノブに手を伸ばしかけて。


 ──一拍早く開いた扉に、盛大に顔面を殴られた。


「いッ〜〜〜〜!!」

「お、悪い。」


 思わず顔を押さえて屈んだクライヴの頭上から、全く悪びれない謝罪が降って来た。最早すっかり聞き慣れた中音は、しかし自らの凶行を棚に上げてクライヴを非難する。


「つーかお前、また暴れてるのか。ホント堪え性ってもんが無いな、クライヴ」

「リン……」


 涙目になりながら、クライヴはその名前を口にした。


 レーニとの一件について、昨日の昼の取り調べを担当してくれたのはリンだった。だからその時の態度や口ぶりから、ある程度の工作に動いてくれているのは分かっていた。とはいえ余程忙しかったと見えて、今回は夜も留置場には顔を出さず、つまり昨日の聴取からほぼ丸一日顔を合わせていなかった事になる。そのたった一日がいやに長く感じて、心細さのようなものを抱かなかったと言えば嘘になろう。


 だから、どうしてここにだとか今までどうしていたのかだとか、そもそもノックをする事を覚えろだとか、そういう言葉を口走るより先に、クライヴはさっとリンの左隣を陣取った。


「だって、こいつがしつこいから」


 定位置だと言わんばかりにリンの腕を取り、ソーシャルワーカーを不躾に指差して、クライヴは唇を尖らせる。


「しつこいってお前な」


 率直に過ぎる言いように嘆息するリン。呆れた声音も意に介さず、クライヴはここぞとばかり不平をぶちまける。


「精神的に不安定だとかトラウマがどうとか、今更そんな過保護にされてもさぁ。カウンセリングなんてそもそも頼んだ覚えも無いし。大体保護者がいないなら帰せないなんて難癖付けられたら俺、いつまで経ってもオリの中なんですけど?」


 どーしてくれんの、と見上げる厚かましさに思わず苦笑して、リンはクライヴの頭を宥めるようにポンポンと叩く。


「ああ、それなら心配ない」


 自信ありげに言い切った横顔を、怪訝な顔で見上げるクライヴ。疑念に満ちた視線には御構いなしに、リンはソーシャルワーカーへと向き直った。


「御足労頂いて悪いが先生、そろそろ切り上げて貰えますか? 今日はぼちぼち退勤なんですよ、私」

「は、はぁ……えっと……?」


 唐突に話を振られて目を白黒させるソーシャルワーカーに、リンはいつものしれっとした顔で爆弾を投下した。


「いや、だから。こいつは私が連れて帰るんで。」

「「はぁ!?」」


 クライヴの驚きの声が、期せずしてソーシャルワーカーと絶妙なハーモニーを奏でる。先んじて台詞を続けたのは彼女の方だ。


「こ、困りますよ急に連れて帰るだなんて! というか、そもそも貴方はどちら様です!?」


 ──いや、連携とか取ってないのかよ。


 クライヴがじとりと視線を向けるのにも構わず、リンは爽やかな笑顔でソーシャルワーカーへと会釈してみせた。


「これは失礼。アイリーン・G=フライアーズ警部補、リンで良い。ここ数日、コイツの保護者もどきをやってた者だ」


 ごく自然な動作で差し出された手を、ソーシャルワーカーは困惑混じりに握り返した。「どうも」と笑みを深くしたリンは、如何にもデキる大人の顔をして畳み掛ける。


「まあ詰まる所だ、コイツが成人するまでの間の精神的・経済的な保護者が居れば良い訳でしょう? 収入は十分なはずだし、後見ってだけなら既婚云々の縛りもなかったはずだ。なら、私がやるのが手っ取り早い。他に何か問題が?」

「い、いえ、でも」


 おろおろとまごつくソーシャルワーカーを無視して、リンはクライヴへと向き直る。


「お前は?」


 ちょっとお茶でもどうか程度のノリで恐らく人生の岐路に立たされたクライヴは、こちらもカウンセラー程ではないが困惑していた。リンから一歩身を離し、その顔をまじまじと見つめる。だが均整の取れた顔をどれだけ眺めた所で、前言撤回は為されなかった。


「……いい、の?」


 恐る恐るといった調子で、クライヴは普段通りの顔をしたリンを見上げる。


 一見何の気負いもない様子だが、これがリンにとって都合の良い話ではないのは明らかだ。そもそも彼女は身近に他人を置きたがるようなタイプでもなければ、そう易々と他人を懐に入れられる性分でもない。だからあの夜、一度はクライヴの懇願を退けたのだろう。


 それがどういう風の吹き回しなのかは知らないが、正式に、それも孤児の少年を預かるとなれば、リンは少なからぬ無理を強いられるに違いない。或いはその生き方を大きく変えざるを得ない程に。

勿論、それが予想出来ないほどリンは愚かではない。彼女なりに考えて、その結論に納得したからここに来たのだと、迷いの無い瞳が語っていた。


 けれど今のクライヴは知っている。人生を否定されるのは、酷く苦しい。これまでの在り方を捨てさせて、その苦しみを一方的に背負わせるのは本意ではないし、万が一それに耐え切れなかったリンにまで捨てられるような事があれば、二度と立ち上がれる気がしない──否。


 彼女はきっと最後まで、手を離したりはしないのだろう。だからこそ、その先に待っているのは共倒れの未来だけだ。


 そうと分かっていながらその手に縋る事など、果たして許されるのだろうか。


 それも、これまで散々手を汚して来た、自分などが。


「なあ、クライヴ」


 逡巡する少年に、ぽつりとリンが呼び掛けた。揺れるクライヴの瞳を捉えて、リンは静かに告げる。


「お前がして来た事の中には、確かに許されないものもあるよ。でも、お前にそれを強いて来たのは碌でもない大人達で、お前を救えなかったのは真っ当な大人達の責任だ。他の誰がお前を責めたとしても、少なくとも私はそう思う」


 だからさ、とリンは微笑む。


「だから、お前の犯した間違いは、私が預かる。同情でも道徳心でもない、こんなのはただの依怙贔屓だ。それでも、お前を庇いだてするその罪ごと、まとめて私が抱えてやるよ。

その代わり、お前は私のエゴを背負ってくれないか。どんなに間違ったって、どんな地獄を見て来たって、真っ当に生きて行けるんだって。しあわせにだってなって良いんだってさ」

「そんなの」


 釣り合う訳ない、と目を逸らしかけたクライヴは、ふと違和感を覚えてリンの様子をもう一度窺ってみる。こちらをじっと見つめる視線、そこに今までにはない迷いのようなものを見出して、ああ、と一つ息を飲んだ。


 測られている。試すのではなく、窺われている。もしも自分が首を横に振って見せれば、きっと呆気なく引き下がるのだろう。この人は今、自ら選ばれる側に回ってくれている。

だから、きちんと告げねばならない。自分の言葉で、自分の意志で。


「俺は、──」


 小さく開いた口から溢れた声は思った以上に震えていて、クライヴは思わず視線を落とす。決定権を手にした事など、これまでに何度あっただろうか。いざ委ねられると、不安と躊躇いの方が先に立ってしまう。


 ──本当に、本当に良いのだろうか。自分なんかが、こんな我儘を口にして。


「ちょっと、彼が戸惑っているでしょう!? 少しは──」


 沈黙に耐えかねたのか突然声を上げたソーシャルワーカーに、クライヴがびくりと肩を跳ねさせる。更に言い募ろうとする彼女を、しかしリンが片手で制した。その視線は、離れる事なくずっとクライヴに注がれている。見守るような眼差しと目が合って、クライヴはようやく覚悟を決めた。


 ──ああ。ちゃんと、待っていてくれるんだ。

 ──なら、ちゃんと応えなくては。


「ねぇ、リン」

「うん、どうした?」


 応じる声音はいつになく穏やかだ。その声に背中を押されるようにして、クライヴは言葉を紡いでいく。


「俺さ、あの時アンタが俺を突き放した理由、多分分かるよ。それがアンタの本音だったってことも」


 瞬間、ほんの僅かに強張ったリンの顔を見て、クライヴは自身の正しさを確信する。だが少年の語気が弱まる事はもう無い。リンの無言の本心を察せたという事実は、むしろ追い風となってクライヴに言葉を続けさせる。


「だから、これはきっとお互いに、最善の選択なんかじゃないんだ。だけど、だけどさ」


 リンの目を見て、正面から、クライヴははっきりと宣言した。

 


「俺は、アンタが良い。」

 


 何の飾り気もない、その代わりに本心から出たそのままの、端的な言葉。それを少年から受け取った瞬間、少しだけ目を見開いて──そうしてリンは破顔する。


 それが少年の初めて見た、彼女の何の屈託も無い笑顔だった。


「良く言った、良い子だ!」


 勢いわしゃわしゃと髪を乱される。撫でると言うには余りにも雑な手付きに、流石のクライヴもその手を掻い潜って不平を述べた。


「ちょっと! ガキ扱いはやめてくれる?」

「バーカ、ガキだから後見人つけられてんだろーが」


 からかい半分に貶したリンだが、続く台詞を紡ぐ声音には柔らかさが滲んでいる。


「どうせ成人まで二年かそこらだろ? 嫌でもあっという間なんだから、そんなに生き急がなくて良いんだよ。今までひとりで頑張ってきたご褒美だ。自力で人生歩く前に、少しくらい甘えてけ」


 仕上げのようにポンポンと頭を叩くリンに、しかしクライヴは不服そうな顔を向ける。暫しそうして拗ねていたクライヴだが、やがて一つ大きく息を吐いた。


「……だったら、遠慮なく!」


 半ば自棄くそでそう言って、クライヴはリンの腕に飛び付く。ぎゅっと腕を抱いて肩口に顔を埋めれば、いつかと同じ煙草と硝煙の香りがした。


 その様子を見たリンは、満足気に鼻を鳴らす。そうしてソーシャルワーカーの方へと改めて向き直ると、駄目押しとばかり捲し立てた。


「では我々はこれで。先生ももうお帰り頂いて結構ですよ、報酬はきちんと満額出ますのでご心配なく。お帰りの際は事務室に一言お願いしますね。──さ、行くぞ」


 人好きのしそうな愛想笑いをソーシャルワーカーへと投げてから、リンは小さくクライヴを促す。ドアを開けたリンに続いて、クライヴもするりと部屋を出た。支えの手を離された扉がゆっくりと閉まる寸前、クライヴはリンの目を盗んでこっそり室内を振り返る。

 

 べ、と舌を出してやった先では、取り残されたソーシャルワーカーがひとり唖然とするばかりだった。

 

 


 先導するリンの後について、クライヴは勝手知ったる庁舎裏手の通用口へと向かう。レーニの件でなし崩しに立ち消えた先日の有給に代え、今日の午後から明日いっぱいまで休みを取らされたというリンの足取りは、常より幾分か気怠そうだ。流石に疲れも溜まっているのだろう。


 程なくして辿り着いた無機質なドアを、リンが開ける。それに続いてクライヴも外へと一歩踏み出せば、眼前に広がるのは目も眩むほどの快晴だった。クライヴは数歩も歩かぬ内に、その鮮烈さに足を止める。


 ──眩しい。

 ──空って、こんなに青かったっけ。


 自問に答えは返って来ない。これまで、そんな事に気を払うだけの余裕などなかった。


 初めてなのだ。空が青いと意識したのも、それを美しいと感じたのも。


「クライヴ?」


 少年が付いて来ていない事に気が付いたのか、駐車場を数メートルほど先に進んでいたリンが振り返る。


「どうした」

「ううん。ただちょっと、眩しくて」

「そうか? ああ、何だかんだで娑婆に出るのは久し振りだもんな」

「ちょっと。言い方」


 折角人がセンチメンタルな気分に浸っていたというのに。不服を声に滲ませ、クライヴがじとりとリンを睨む。リンは揶揄うように笑うと、すいと左手を差し伸べた。


「ほら。おいで、クライヴ」


 柔らかな中音に、とくり、と一つ鼓動が跳ねた。歓喜も感慨も憧憬も、込み上げる万感をごちゃ混ぜのままに抱えて、クライヴはリンの元へと駆けて行く。呼吸も足取りも、こんなにも軽い。


 ──ああ、そっか。

 ──俺、今、生きてるんだ。


 差し出された手を両手で包み、クライヴはくるりとリンの正面に回り込んだ。


「ねぇ、リン。帰ろう?」


 そうリンを誘うクライヴは、未だリンの家が何処にあるのかも知らない。それでもそこにこの人が居てくれるのならば、そうすべき場所に、やっと正しく『帰れる』気がした。


 リンは意外そうに片眉を跳ね上げた後、表情を緩めて微笑む。


「そうだな、帰ろうか」


 そう言ってリンが示したのは、駐車場の数メートル先、ここ数日乗り回していた覆面パトカーだ。どうやら既に半私物化しているらしい。


 少し考えたクライヴは、小走りに車ヘと駆け寄ると、後部座席ではなく助手席のドアの前に陣取った。得意げに笑って催促すれば、その意図を察したリンが苦笑と共に鍵を開ける。弾むように助手席へと滑り込んだクライヴに肩を竦めて、リンも運転席へと乗り込んだ。


 軽快なエンジン音を響かせて、二人を乗せた車がゆっくりと動き出した。




(了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ