7-1
レーニ一派壊滅から一夜明けた、翌日。
今回は反社会的組織からの保護という名目で警察の管理下に置かれたクライヴは、あからさまな特別待遇を受けていた。
昨晩クライヴが留置場に入ったのは、時計の短針が天辺をゆうに超えた深夜だった。そのせいか、朝の起床時間に叩き起こされることもなく、形だけの聴取は昼過ぎからゆっくりと始まった。リンに連れられて移動した取調室で、無難な質問をいくつか受け、無難な答えを返す。後はリンがでっち上げてくれた事情に頷いているだけで、巻き込まれた無辜の一市民という扱いが出来上がって行った。
そうしてその晩の、消灯時間も過ぎた後。獄中のクライヴの前に、リンは三度姿を現した。
「よう、相変わらず暇そうだな。羨ましい限りだ」
肩を竦めたリンに、クライヴは思わずくすくすと笑う。
「なぁに? こんなとこに何度も何度も、アンタこそ実は暇なんじゃないの?」
「失礼な。こちとらお前の聴取も含めて、一日事後処理に駆け回ってたんだ。朝一番からついさっきまでだぞ? その上その戦果をわざわざ伝えに来てやったってのに」
何て言いようだ、と苦笑して、リンは持参した『朗報』を告げた。
「まあでも、こっちの仕事も一段落。連中も無事豚箱行きが決まったし、今回のお前の事情聴取は今日のでお終い。明日の朝イチでお前は晴れて自由の身だ。良かったな」
「そ、っか」
頷くクライヴの言葉は、どこかぎこちない。それを敢えて無視する形で、リンは念を押すかのように続けた。
「私が言うのもなんだが、また捕まるようなヘマはするなよ。次は無いぞ」
「ん……」
視線を落とし、クライヴは歯切れの悪い返事を寄越す。その心中を察して更に駄目押しと口を開こうとしたリンを、「あのさ」と少年の躊躇いがちな呟きが遮った。
「もし、もしもだよ。俺が自首するって言ったら、」
「クライヴ」
少年の『if』を断ち切って、リンが嗜めるように名前を呼ぶ。
「お前が仮に自首したとして、起訴されたあと待ってるのは七面倒臭い裁判だけだ。その後ぶち込まれる刑務所はここじゃない。お前が欲しがってるようなものはそこには無い。ついでに言えば、ここにもだ」
リンはいっそ酷な程にきっぱりと言う。そうして少しだけ声の温度を上げると、はあ、とわざとらしく息を吐いた。
「大体自首って簡単に言うけどな、うちのアホ上司どものお陰で、そもそもお前が自首出来るような罪は書類上存在しないんだよ。あんまり馬鹿なことを考えるな」
半ば茶化すような言葉尻をリンが敢えて選んでいることくらいは、クライヴも察している。そしてそれこそが、数手先を読んだリンからの、明白な回答だという事も。
そんな事は十分過ぎる程理解していて、それでも、少年は問わずにはいられない。
「……だって」
掠れた声で呟いたクライヴは、次の瞬間には激昂している。
「じゃあ、じゃあどうしろって言うんだよ!」
怒声と共に、自分とリンとを隔てる檻に掴みかかる。その結末をある程度まで予想していたリンは、ただ小さく顔をしかめるだけだ。あまりに些細なリアクションにも構わず、クライヴは声を荒げる。
「自由の身だって⁉︎ あんなの自由なんかじゃない、ただ何もないだけだ、何も、なんにも無いんだよ! 食べる所も、寝る所も、ただ居るための場所すら無くて! それなのに、ここを出てどこに行けって言うの⁉︎ 戻る場所なんて、帰る場所なんて俺には最初っから無いよ!」
込み上げる感情のまま、衝動に任せて叫ぶそれは、怒号に良く似た悲鳴だった。身を切るような咆哮を受け、リンが痛ましげに眉根を寄せる。
「……やっと。やっと、アンタなら俺を見てくれるって、聞いてくれるって、思って。なのに、ここを出たら俺、また、ひとりだ」
消え入りそうに震える声で、クライヴは呟いた。肩を落として俯いてしまったクライヴを前に、リンはかける言葉を見失う。
「クライヴ、お前……」
思わず零した声に応じるように、クライヴがゆらりと顔を上げた。
「──ああ、そう、そうだ。ねえ、アンタが俺を買ってよ」
そこに浮かんでいたのは歪んだ笑みだ。出来損ないの愛想笑いで、クライヴはリンへと手を伸ばす。
「ううん金なんか要らない、何も要らないし、何でもするから。ね、悪い話じゃないでしょ? 全部アンタの言うとおりにする、どんな危ないことだってやるから、だから!」
「クライヴ!」
言い募る声を遮って、リンが少年の名前を叫ぶ。叱り付けるような響きに、クライヴは一瞬びくりと身を竦ませた。しかしすぐに、駄々をこねるように首を振る。
「なんで、怒るの。やめてよ、今更、だって俺、それしか知らない……!」
欲しいものの為に、身を削って、対価を払って。これまでそうやって生きてきた。無償の愛情だなんて幻想には、一度だって触れられなかった。
何かを乞うなら、相応の何かを差し出すしかないのだ。
檻に縋り付くようにして、クライヴはリンに懇願する。
「ねえ、リン。お願い。全部、ぜんぶ、あげるから」
「──……駄目だよ。」
しかし。
ゆるゆると首を振ると、リンは残酷にも、檻から一歩後退る。自分の身体を抱くように腕を組んだ姿勢は、或いは怯えているようにも見えた。クライヴから目を逸らしたまま、リンは躊躇いがちに言葉を落とす。
「だって。私にだって何も無いんだ、誰かにやれるようなものなんか。お前が本当に欲しがってるものは、きっと私じゃくれてやれない」
悔やむような響きを、クライヴは暫し呆然と聞いていた。
これまで関わって来た人間は、自分の都合でしか物を言わなかった。だから、こんな風に思いやられた事などなかった。そんな真摯な拒絶があるだなんて、知らなかった。
惚けたように固まっていたクライヴは、やがて力なく首を振る。
「要らないよ、何も要らない、大事になんてしてくれなくて良いよ……! だって、だって俺には、アンタし、か、──」
今一度食い下がろうとして、クライヴは不意に言葉を止めた。ハッとしたように目を見開いたクライヴは、無言のままに自問する。
──アンタしかいない、だって?
──それじゃあ、まるで。
「……ああ、そっか。何言ってんだろ、俺」
は、と小さく吐いた息は、歪な嘲笑。
「そうだよ。俺には最初から、なんにもなかった。」
誰もいないし、何もない。それが少年の人生だった。
なのに相応の何かだなんて、全てを差し出せば等価だなんて、烏滸がましいにも程がある。誰かに必要とされるだけの価値なんて、端から持ち合わせていなかった。結局は今回だって例外でなく、ただそれだけの話に過ぎない。
──だって。
──最初から、俺は『要らない子』だったじゃないか。
ただ周囲を写すだけの視界の中、檻の向こうで、クライヴの顔を鏡写しにしたかのようにリンの表情が歪んで行く。
「──クラ、」
「いいから。」
呼ばれかけた名前を、切り捨てるように遮った。
「もう、いい。忘れて。……ごめん」
ふらふらと簡易ベッドまで後ずさると、クライヴは崩れ落ちるように腰掛ける。
これ以上は聴きたくなかった。あの人の声で綴られる、いずれ忘れ去られる自分の名前も、何もかも。




