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6-8



 サイレンを鳴らしたパトカーと救急車が何台も駆けつけて、辺りは俄かに騒然とし始めた。明るくなったのはいいが、こうも赤いと流石に目が痛いなと、クライヴは目を細める。


「ええ、はい。ですから、単独で先行した件につきましては、人命がかかっていましたので。ええ、ええ、それで結構。はい、詳しくは書面で。ではこちらは撤収しますので、失礼します」


 最前から何処か──おそらく市警本部と通話をしていたリンが、最後は半ば押し切るようにして電話を切った。眉間の皺が無い所を見るに、芳しい結果に落ち着かせたのだろう。


「リン」


 クライヴの声に、リンが振り返る。返事の代わりに少年の名前を呼び返すと、にっと悪戯っぽく笑ってみせた。


「おめでとう、お前の勝ちだ。やったな」


 差し出された拳に自らも拳を突き返しつつ、やや不服そうにクライヴは答える。


「アンタの勝ちでもあるだろ」

「私は、ほら。端から負ける算段はしてなかったからな」


 演技がかった口調と共に、大仰に胸を張るリン。わざとらしい茶番を、クライヴは思わず鼻で笑い飛ばした。


「ハッ、良く言うよ! アンタがガキ相手に本気で謝罪したの、俺忘れてないからな」

「そこはそれ、必要経費って奴だ。オトナの嗜みだよ、少年」

「またそうやって居直るんだからなぁもう。……で? どうするの、アレ」


 クライヴは視線を遣らずに背後の状況を指差す。レーニやその一味は、規模や格はともかくとしても、確実にヴォルピーノに繋がっているる組織だ。今回の検挙を足掛かりに、本星に迫る策が何かあるのではと、クライヴは予想していたのだが。


「知らん」

「は?」


 即答も即答だった。間の抜けた声で聞き返したクライヴに対し、もっと緊張感の無い声音でリンが答える。


「こちとらほぼ二徹の上でこの重労働だぞ、流石に疲れた。後は上に丸投げするさ、今日はもう何も考えたくない」


 後半は欠伸を噛み殺しながらの台詞に、クライヴは堪えきれずに笑いを零した。


「アンタでもそんな投げ遣りな事言うんだ」


 くすくすと抑えて笑うクライヴの肩を、つられるように苦笑したリンが叩く。そのまま肩を抱くようにして、リンはクライヴにその場からの移動を促した。


「まあ実際、隠蔽される前にテコ入れする羽目にはなるんだろうが……ああ、お前の調書も捏造しないといけないなぁ」

「捏造って」


 明け透けな表現に思わず吹き出す。とはいえ言わんとする所は分からなくもない。敵の本陣に自ら攻め込んで全滅させましたとは、幾ら何でも報告出来ないだろう。


「下手にお前に外うろつかせて、また残党に掻っ攫われたら堪らないしな。お前のことは重要参考人にしておいてやる。お帰り少年、懐かしの豚箱だぜ」


 人の悪い笑みを浮かべたリンに、クライヴがうえっと顔をしかめる。セキュリティ上安心は安心だが、またあの硬いベッドに不味い飯は正直御免だ。心情をありありと顔に浮かべて見せれば、リンは笑みを深くして再びクライヴの肩を叩いた。


「まあ今回は事情が事情だ、幾らか差し入れはしてやるよ。それに長居もしなくていい、連中の容疑が固まったらすぐ自由になるさ」

「……そう」


 上機嫌だったクライヴが、ほんの僅かに顔を曇らせる。それを確かに見て取ったリンは、しかしその事には触れずにクライヴをエスコートしようとした──が。


「それじゃあ帰、……いや、その前にだ」


 ふと立ち止まると、思い出したかのように呟く。


「寄らなきゃいけない所があったな?」


 何故か確認するように言うリンに、クライヴはきょとんとした顔で首を傾げた。




 リンに連れられてやって来たのは、昨日の昼にも訪れたレストランだった。漂ってくる肉の焼ける匂いに、思い起こせば昼から何も食べていないと気付くクライヴ。すっかり夜も更けた頃合いだが、二十四時間営業の恩恵の前では瑣末事に過ぎない。


 店内に足を踏み入れれば、今回は二人がけの小さなテーブルに通された。クライヴが意気揚々とメニューを選んでいると、八分目にしておけよとリンに釘を刺される。らしくない狭量さを怪訝に思いながら、遅いディナーを頼んで、それも粗方腹に収め切った頃。


「ではこちら、食後のデザートになりますねー」


 ウエイトレスの運んで来た、頼んだ覚えのない品に、クライヴは目を見開いた。


「……これ」


 それは、現在売り出し中のデザートだった。季節のフルーツをふんだんに使ったパフェとケーキが、それぞれ一つずつ。確かに注文の際、リンが手元のメニューを指差す回数が妙に多いと思ってはいたが、まさかそういう事だとは。


 呆気に取られるクライヴに、リンは思わず苦笑する。


「随分迷ってたよな、昨日。食べてみたかったんだろ?」

「そ、」


 そんな事はないと咄嗟に否定しようとして、その無意味さを悟る。こうして物が出て来た時点でリンは確信犯である訳だし、昨日の昼にデザートを頼むべきか否かと、女々しくメニューを往復していたのも事実だ。何より照れ隠しにでも首を横に振れば、その気遣いを反故にしてしまう気がした。


「……うん、まあ、そうだけど……」


 だがそれはそれとして、決まり悪そうにクライヴは頷く。渋々といった様子を見て、リンはニッと口角を上げた。


「奢ってやる。ご褒美だ」


 押し出されたパフェのグラスを、クライヴは迷いながらも受け取った。自分の目の前まで滑らせて、細いデザートスプーンに一口掬うと、そろそろと口に運ぶ。


 じわりと口中に広がったのは、普段口にしている駄菓子とは違う、染み入るような甘みだ。


「……甘い」


 思わずそう零せば、リンが片眉を跳ね上げる。


「うん? 甘いのは苦手か?」


 だとしたら悪かったなと頰をかくリンに、クライヴは慌てて首を横に振った。


「ううん。ただ、慣れてないだけ」


 クライヴはパフェをもう一口分、スプーンで小さく掬ってそっと口元に寄せる。口内に広がる甘酸っぱさを堪能して、遠慮がちに微笑んだ。


「おいしい」


 それは擦れた少年には珍しい、小さな至福を煮詰めたような呟きだった。つられたように、リンもくつくつと喉を鳴らす。


「そんなちまちま食べなくても。ケーキだってあるんだからな?」


 苦笑混じりの言葉に、クライヴはそうだね、とだけ頷いておく。だが、リンの指摘は少しだけ的を外していた。


 クライヴにとっては、別に甘味自体がそこまで特別だという訳ではない。これまでその気にならなかっただけで、払いのいい客さえ見つかれば、あるいは少し出費を抑えれば、ケーキやパフェの一つくらい自力でだって食べられるだろう。ただ、今目の前にあるこれは、そういうことではないのだ。


 これは、リンがわざわざクライヴの内心を察して、選んで、善戦のご褒美にと敢えて寄越してくれたものだ。心遣いの塊も同然のそれが勿体無くて、名残惜しくて、クライヴはつい、小さな一口を目一杯味わうようにして食べ進めてしまう。


 リンからの厚意をのろのろと口に運ぶクライヴを、当の贈り主は文句の一つも言わずに見守っている。日の当たらない場所から柔らかな日差しを眺めるような、そんな穏やかさで細められた目に、常のような剣呑な光は無い。


「なぁ。お前さ」


 丁寧にパフェを崩すクライヴの手元をぼんやりと見詰めながら、ふと、リンが口を開いた。


「あの話、レーニ達にはしなかったんだな」

「……ん」


 クライヴは歯切れ悪く頷く。どの話かなど、今更問うまでもないだろう。


 リンの過去について口を閉ざし続けた事は明確にリンを慮っての行動だった訳で、それに気付いてくれたこと自体は嬉しくない事もないのだが、いざ言及されるとやはり何となく気恥ずかしい。


 思わず視線を逸らしたクライヴの耳朶を、リンの深みを帯びた中音が打つ。


「……馬鹿だなぁ。さっさと話しちまえば良かったのに」


 その声音は揶揄うようでいて、何処か甘やかな憂いを含んでいる。一つ小さく息を吐いて、リンはそっと目を伏せた。


「話せば、あんなにボロボロにされずに済んだのに」

「ううん。だって、言ったろ」


 迷いのない口調に、リンが意外そうに目線を上げる。それを正面から捉えて、クライヴは真っ直ぐに言い放つ。


「俺は、アンタに付くって」

「……そうか」


 溜息のような呟きと共に、再びリンが視線を落とした。何かに躊躇うように揺れた眼差しは、しかしほんの一瞬の事だ。吹っ切ったように微笑んで、敬礼を一つ。


「本件の収束にご尽力頂き、大変感謝致します。本庁を代表して敬意を表します、ミスター。

 ──ありがとな。良く頑張ってくれた」


 形式張った挨拶から一転語調を和らげると、身を乗り出したリンがこちらへ手を伸ばす。そのままくしゃりと癖毛を撫でた手を、クライヴは振り払えなかった。代わりに、そうか、と得心する。


 ──俺、褒められたかったのか。


 皆が当たり前に持つものさえも持てなかった不遇を、誰かに聞いて欲しかった。聞いて、たった一言、認めて欲しかったのだ。


 良く、頑張ったな、と。


 ──けれど。


「……ううん。だって、そういう取引だ」


 静かに目を伏せ、クライヴはゆっくりと項垂れる。


 自分はここで、頷く事は叶わない。そうだろうと胸を張るには、頑張ったのだと笑うには、この手は余りに汚れている。他のやり方を知らなかったとはいえ、そのやり方が間違っている事くらい、自分でちゃんと理解していた。たった一度の善行で同じ側に行けるだなんて、そこまでの夢は見ていない。


 だからせめて、ほんの少し。頭を押し付けるように、触れられた掌を惜しむように。俯いたまま、ゆっくりと首を振るくらいは許されるだろうか。


 ──分かっている。分かっていた。だって、これは所詮、最初から。


「ただの、取引だよ」




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― 新着の感想 ―
[一言] ようやく片付けてほっと一息、な様子が良かったです。食べたそうにしてたのに気づいてサプライズで注文してくれるあたり素敵です。 一緒に食べるかと思いきや一人で二つは、ちょっと周りの目が気になる気…
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