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6-2



 それから暫く悪足掻きを続けてみたものの、結局足の結束バンドは素手ではどうにもならなかった。仕方がないのでひとまずレーニに取り入る方針で行こうと決めてしまえば、この小休止は丸々潰れるだけの無駄な時間だ。リンチの後半戦に向け体力を温存しておくのが重要だとは分かっていても、椅子に足を縛り付けられたままでは休みようにも限りがある。


 浪費される時間に辟易していると、部屋の外から複数人分の話し声が聞こえてきた。クライヴは慌ててコートを身体に巻きつけ直すと、さながら乱暴されて放心状態、逃げ出す気力もありませんとでも言うようにぐったりと椅子にもたれる。


「ヒュウ! 良いザマだな、『狂犬』」


 ガチャリと扉の開く音と共に、場違いなほど能天気な声が響いた。クライヴが気怠さを装った顔を向ければ、二十代頃の男が四人、連れ立って部屋に入って来る所だった。そこにボクサーの顔はなく、よくよく見ればそもそも全員がさっきのメンツとは違っている。


「誰だよ、アンタら?」


 不躾だがもっともなクライヴの問いに、先頭に立っていた金髪の男がつれねぇなぁと肩を竦める。


「随分な言いようじゃねぇか、テメェのショーに邪魔が入らねぇよう、すぐそこで見張っててやったってのによ?」


 入り口を示しながらズカズカと近付いて来る金髪に顔をしかめつつ、クライヴは素っ気なく言葉を返す。


「つまり本番に参加出来なかった下っ端ってことだろ。それが今更何の用だよ。ああもしかして、こんなガキ相手にコーフンしちゃった?」


 見るからに全員三下なのは残念だが、それでもナントカとハサミは使いようだ。思い至ったクライヴは、纏ったコートの襟元を少しだけはだけて、素足をちらちらと見せつけると、男達を挑発するように婉然と微笑む。


「いいぜ? 条件次第じゃナイショで相手してやっても」


 それはクライヴにとってはあくまで交渉手段の一つに過ぎない。返答次第では良い思いをさせてやると、目先にちらつかせるニンジンだ。しかし少年にとって予想外だったのは、目の前にぶら下げられたそれに、本命ばりの反応を示す馬鹿が──あるいは変態がいた事だった。


「ああああ我慢出来ねぇ!」


 叫んだ男は余程堪え性が無い好き者か、それとも特殊な性癖の持ち主だったのか。男達の中でも後ろの方にいた彼は、目の前の金髪や他の男達を押し退けてクライヴへと迫る。


「ちょっ、待て、条件次第って」


 クライヴの制止も耳に入れずに突進して来る男。その頭の両脇に、突如二本の腕が生える。腕は男の首に絡みつくと、ギリギリと締め上げた。


「うっ」


 小さな呻き声を最後に男の手から力が抜け、垂れ下がった。首を締め上げていた腕が緩むと、男の身体が重力に任せて崩れ落ちる。その向こうから、腕の本体が姿を現した。


 パーカーを目深に被った男だ。室内だというのに外す様子のない大きなサングラスは、あくまでファッションのつもりだろうか。


 仲間内であるはずのパーカーの男の突然の凶行に、まとめ役らしい金髪が慌てたように声を上げた。


「ちょっ! お前、何して……」

「バカが先走ろうとするからだ」


 ハスキーな声音で答えて、フードの男は金髪の肩に手を置く。


「それは、」


 言い終わらぬうちに、金髪男の顎にフードの男の強烈なアッパーが炸裂する。何の構えも取っていなかった金髪は、不意討ちの一撃に為すすべもなく昏倒した。


「おいテメェ!」


 最後の一人、スキンヘッドの男がフードの男の左腕を掴むが、フード男の逆の手中には既に大口径の自動式拳銃が握られていた。慌てて腕を離した最後の生き残りに銃口を向け、フードの男は一歩歩み出る。


「お、おい、何なんだよお前……何でそこまで……」


 怯えて後ずさるスキンヘッドに対し、じわりじわりと距離を詰めるフード男。ヒッと小さく悲鳴を漏らした男が踵を返そうとした瞬間、フードの男が一気に踏み込んで間合いはゼロに。同時に手中の拳銃をくるりと回してグリップから銃身へと持ち替えると、スキンヘッドの首の真後ろ、頸椎にグリップを叩き込んだ。


 どさりと音を立てて倒れた最後の一人を見下ろしていたフードの男が、ゆっくりとクライヴを振り返る。不気味に光るサングラスが、身動きの出来ないクライヴを捉えた。


「おいおい……俺の事独占したかった、って感じじゃないな?」


 流石に両手放しで軽口は叩けなかったクライヴが、やや硬い声音で問い掛ける。しかしその緊張を無に帰すように、フードの男はフッと笑いを漏らした。


「まさか。こちとら二人っきりになりたくて仕方がなかったんだ」


 そう答えた男の声は──否。その声は、男にしては角がない。先刻までよりワントーン高くなった声色には心当たりがあり過ぎて、クライヴは思わず目を見開いた。


 眼前の人物が、フードとサングラスを取る。現れたのは黒い髪と鉄色の瞳、そして不敵な笑みだった。


「待たせたな。お迎えだぜ、仔犬君」


 予想通りでありながら、決してこの場に現れるはずのなかった人物に、クライヴは思わず言葉を失う。


「アン、タ……何で」

「これでも急いだつもりだったが……悪かったな、遅くなって」


 戸惑うクライヴに構わず、リンは腰につけたポーチからサバイバルナイフを取り出すと、少年の足と椅子を括り付けていた結束バンドに刃を入れる。未だ状況にも心境にも整理が付いていないクライヴだったが、何をおいても伝えなければならない事を思い出し、慌てて口を開いた。


「そうだ、アンタの相方!」


 だが、対するリンの反応は思ったよりも淡白だった。


「ハマーの奴なら今は檻の中だ。お前を拉致したのに噛んでたんだろ?」


 リンは当然のように頷いて見せる。


「前から目は付けてたんだがな、お前のお陰で漸く尻尾を出しやがった。あの野郎、よりによってお前が『逃げた』だなんて適当抜かしやがって。リサーチが甘いにも程がある、右腕ぶるなら誰に信用を置いてるかくらいは察して見せろっての」


 やれやれ、と首を振ったリンが、クライヴの拘束を解き終わる。「立てるか?」と差し伸べられた手に掴まりながら、クライヴはおずおずとリンに問うた。


「アンタは……俺が裏切ったとか、逃げたとか、思わなかったの」

「は?」


 端的な返答を寄越したリンにふざけている様子はない。まるでクライヴこそが失言をしたかのような顔つきだ。


「『は?』ってアンタな」


 思わず突っ込んだクライヴに、リンは今度はおかしそうに笑い出す。


「いやだってお前良く言うよ、あんだけ勝つ気満々の顔しといて」


 言われた所でクライヴ本人にそんな自覚は無い。そんな顔をしただろうかと首を捻る少年に、リンは駄目押しのようにいつもの推理を披露する。


「お前の性格からしてビビッて逃げたってことは無いし、やっぱり女狐側につくって話なら黙って釈放を待ってりゃ良かっただけだしな。まあ演技の可能性もゼロではなかったが、堪え性の無いガキにしちゃあやり口が回りくどい」

「……後付けだよ、全部」


 いつになく浮かない口調でそう零した少年に、リンは困ったように頰を掻く。そうして間を空けず、やや悪戯っぽく呟いた。


「バレたか」

「え?」

「お前の言う通りだって言ったんだよ。今のは口から出まかせの後付けだ。白状すると、今の今までその可能性は失念してた。まあ、お前の言葉を借りるなら」


 リンはニヤリと口の端を吊り上げる。


「今回はお前の側についてやるよ、少年」


 思わぬ意趣返しにクライヴは一瞬目を丸くしたものの、すぐに訝しげな声音で切り返す。


「そんなお人好しには見えなかったけど」

「そうだな。自分でも驚いてる」


 諦めたように苦笑するリンは、しかし何処か楽しげでさえあった。手近に落ちていたクライヴの服を拾うと、適当に丸めて押し付ける。


「ほら、服。これ着てさっさと──」


 だが、クライヴはそれを中々受け取ろうとしなかった。訝るリンに対して、重たい口をゆっくりと開く。


「アンタに」


 ぼそりと呟いたクライヴは、顔も窺えない程に俯いている。漸く受け取った服ごと自らの身体を抱くようにして、震える声で、クライヴは続けた。


「アンタにこんな惨めなとこ、見られたくなかった」


 どんな醜態を晒してでも生き残る──その方針自体に恥じるところは無い。だが、単身助けに乗り込んで来てくれたリンと比すれば、己の無様が嫌でも浮き彫りになる。薄汚いやり方しか出来ない自分が、リンの隣に並び立つ資格があるとは思えなかった。


 すっかり顔を伏せてしまったクライヴに、リンは正面から相対する。


「……死んでるかと思った」


 ぽつりと零された言葉には、これまでにない響きが混じっていた。それは不安か、はたまた恐怖の類だろうか。驚いて顔を上げたクライヴに、リンは静かに語りかける。


「急いだんだ、出来る範囲で、最大限。だけど結局、ここまで来るのにこれだけかかった。人間ってのは案外簡単に死んでしまうから、最悪の事態も想定したさ。生きてさえいてくれれば助けてやれる、怪我の治療だって、心的外傷のケアだって何だってしてやれる、だけど死んでしまえばもうどうしようもない。墓の前に犯人引っ張って来て土下座させて、それが一体何になる? 生きててくれなきゃ助けられないんだ、我々は」


 そこで言葉を切って、リンは唐突に、クライヴの頭へと手を伸ばす。緩い癖毛をわしゃわしゃと混ぜ返されて、クライヴはわっと声を上げた。その様子に小さく片頬を上げ、リンは続ける。


「その点お前は致命的な大怪我もせず、随分強かに生き延びてくれた。惨めだなんて言葉は間に合わなかった我々が使うものであって、手段を尽くして生き残ってくれたお前が言うことじゃない」


 髪を掻き回していた手がするりと降りて来て、クライヴの頰を撫でる。慈しむような手付きに、労わるような微笑。その中音を穏やかに響かせて、リンは言う。


「しんどい思いをさせて悪かった。ありがとな、助けさせてくれて」


 これまでに見た事のない柔らかなリンの表情に、クライヴは一瞬大きく目を見開いた。しかし、すぐにふは、と笑いを漏らす。


「アンタがそんな事言うなんて。まるで警察官みたいだ」

「失礼な、人を何だと思ってるんだ」


 つられたように喉を鳴らして、リンはクライヴの頰をぺたぺたと軽くはたいた。


「さ、風邪引く前に服を着ろ。撤収するぞ」

「え?」


 さらりと告げられた予想外の台詞に、クライヴがあからさまな疑問の声を上げる。対するリンは言うと思ったという顔をして、こちらも分かりやすく頭を抱えた。


「お前な、頼むから攻めに出ようなんて言ってくれるなよ。こちとらお前を助ける為だけに内密に──っつーかここだけの話、無断で単独先行してるんだ。辺りに一応の警戒網こそ張ってあるが、突入の許可は貰ってない。目的を果たした以上はさっさと離脱する。良いな?」

「良くない」

「クライヴ」


 嗜めるように名前を呼ばれても尚、クライヴは一歩も引かずに言い募る。


「いい訳ないに決まってるだろ? こっちは手の内を晒したんだ、ここで引いたらまた逃げられる」

「それはそうだが」

「……ね、アンタここに来るまで何人潰してきた?」


 唐突な問いに「うん?」と訝しげな声を上げたリンだが、促されるまま指折り思案する。


「えー……外で見張ってた奴が二人と、通路で二人、あとは今の三人だが」

「だったら今ならあと二十もいないはずだ、しかも全員そこそこの上層部だよ」


 ボクサーは私刑の間に随分と色々な事を漏らしていった。クライヴを「単なる人質」、あるいは「良いように痛めつけられるガキ」としか見ていないボクサーにとって、口走った諸々を利用される可能性など意識の端にも上っていなかったのだろう。


「夜逃げの方の後処理で、肉体労働が専門の連中は皆出払ってるんだ。今残ってるのは大半が頭でっかちの幹部どもだけ、数だって揃ってない。だったら、ねぇ──俺達二人で、充分でしょ?」


 囁くように告げるクライヴからは、先程までのしおらしさは微塵も感じられない。幾ら勝算があるとは言え、死地へ飛び込むよう唆そうとする笑みは魔性のそれだ。


「お前な……」

「それにアンタら警察だけじゃなく、俺にだって今しかない」


 呆れ声を無視して更に先を続けるクライヴに、リンが首を傾げる。その反応は予想通りだと、クライヴは好戦的に笑ってみせた。


「手伝ってくれるんでしょ? 俺があいつらボッコボコにするの」

「……全く。本っ当堪え性の無いガキだな、お前は」


 此の期に及んで相も変わらぬ生意気な態度に、リンは思わず苦笑した──つもりだった。故にリン自身は微塵も気付いてはいない。


 その顔に浮かぶのが、少年に負けず劣らずの剣呑な笑みであることに。




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