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6-1



 ──まだ、生きている。


 内心でそう独りごちたクライヴは、半ば宙に浮かせていた意識を手繰り寄せる。


 今この地下室にいるのは、一糸纏わぬ姿で椅子にしなだれかかるクライヴ一人だけだった。正確には椅子の脚に縛り付けられた両足首の所に、脱がせ切れなかった下着とカーゴパンツが引っかかってはいる。しかしどちらも滴るほど水に濡れていて、衣服としての役割は果たしていない。足の拘束は結束バンドによるもので、簡単には解けそうになかった。血流が止まりそうなほど締め付けられてはいないだけ御の字というものだろう。


 ボクサーを筆頭に、総勢五名のゴロツキによって執行された私刑。それが途中から性的な趣旨を増したのは、他ならぬクライヴ自身によるコントロールだった。


 椅子に両手両足を拘束されたクライヴは、当初こそレーニの言い捨てた通り、男達のサンドバッグと化していた。殴る蹴るを繰り返しては呻く少年を嘲笑していたボクサー達だったが、レーニによる制約──怪我を負わせるとしても、その後レーニの相手をさせられる程度でなければならない──付きでは大した暴行も加えられない。中途半端な暴力を小一時間も続けた所で飽きが来たのだろう、こんな貧相なガキの何処が良いのかと服を捲られた所から、全ての衣服を剥ぎ取られるまでそう時間はかからなかった。


 その時点では単なる嫌がらせの域を出ていなかったストリップショーに、どこかの馬鹿が媚薬を持ってきた時点で、クライヴは活路を見出していた。


 粗悪品の媚薬が効いた振りをして、わざとらしいほどに身をくねらせて喘いでやれば、場の雰囲気を妖しく乱す事は造作も無かった。熱っぽい視線とはしたない台詞で男達の欲を煽りに煽り、我慢ならなくなった連中の相手をする事を口実にして、両手の拘束だってあっさりと解かせた。一方でボスの言いつけを破って本番にまで臨む程の猛者もいないとあれば、体力的にも殆ど損害はない。そして馬鹿な外野は何だかんだと囃し立てていたようだが、男に慰み者にされて受ける精神的ショックなど、クライヴにとってはゼロも同然だ。


 ──だって。ずっと、そうして生きて来たのだから。


 もっとも思いの外色々と汚れたクライヴを、ボスの相手をさせる前に洗おうなどと、最後にバケツで水を掛けられたのは想定外だった。お陰で辛うじて手元に──というか足下に──残っていた衣類はびしょ濡れだ。どうせやるなら水の一杯でも持って来て口の中まで洗わせろと内心で苦言を呈しつつ、濡れた服を纏う気になれなかったクライヴは、最中に自由にされた両手を床に這わせる。前方に上体を投げ出し、這いずるようにして腕を伸ばせば、ゴロツキ共に放り投げられた服のうち辛うじてコートに手が届いた。折角拾った服を濡らさないように気を付けながら、クライヴは器用に椅子に座りなおすと、冷え切った身体をコートで包む。


 出す物を出して満足したらしいボクサーとその取り巻きは、一服だか酒だか飯だか、そんな算段をしながら先刻部屋を後にしていた。暫くの間は戻って来ないだろう。身体は最初の暴行が尾を引いて痛むが、どうにか足の拘束が解けさえすれば走って逃げる事も不可能ではない。部屋の鍵は連中が持っているから、逃げる隙があるとすれば帰って来た瞬間だ。


 今脱走を企てるか、それともレーニの相手をする時に取り入るか。クライヴはコートにくるまって考える。


 レーニという男は比較的脇が甘い。増して事の最中とあれば、懐に入るにしても勝算はあるだろう。ただ、彼よりは短絡的故に隙がなく、かつ好色なボクサーが、自分も混ぜろとでも言い出した場合はかなり難しい事態になる。


 あるいは──と、脳裏を掠めた名前を、クライヴは首を振って追い出した。


 まさか全てを察して助けに来てくれるだなんて、そんな都合の良い事は考えていない。あの人は確かに誠実ではあったが、それでも自らの本分を忘れるほど愚かではない。仮に何らかの幸運により自分の窮地が知れた所で、護るべきもの、取るべき行動と天秤にかけて、正しい選択をするだろう。


 けれど。


 ──裏切ったと、そう思われているのだろうか。


「……それは、やだなぁ」


 クライヴは、そう弱々しく独りごちる。


「リン──ねぇ、リン」


 戯れ半分、もう半分は祈りのように、クライヴはその名を声に出す。


 ──こんな自分を、最後に信じてくれたひと。


 あの人は、救いたかったのだと言った。そうしてその思いをただのエゴだと断じてもいた。しかし、裏を返せばそのエゴは、義務感でも同情でもなく、自らの意思でそれを求めたという事に他ならない。例え誰かを重ねていたとしても、クライヴ自身の境遇や立場を汲み取って、たったひとり、それらを貶める事なく手を差し伸べてくれた。懺悔にも似た昨晩の吐露に、どれだけクライヴが救われたかなど、きっとリンには分かるまい。


 だからクライヴは今度こそ、徹底的にリンの側に立つと決めていた。


 レーニの前での方便は、これまで同様幾らでも有耶無耶に出来る話だ。それでもクライヴの中では、あれはレーニに対して吐いた嘘だった。


 ボクサー達に辱めを受け、レーニに身体を開いて取り入ってでも生き残る算段をしているのは、とにかく次に繋げるためだ。ここで終わらなければ、どんなに惨めな思いをしようと死ぬことさえしなければ。次の一手を、きっとあの人は持っている。


 そもそも、とクライヴは思う。


 ──自分は最初から、無傷でこの場を切り抜ける方法を知っていた。


 本当に自分の身が大事なら、レーニの前でリンの過去を暴いてしまえば良かっただけの事なのだ。どれだけ裏が取れるかは知らないが、ゴシップ記事を流せる程度の情報にはなるだろう。


 真偽の定かではない醜聞そのものがリンを失脚に至らしめるまでは行かずとも、恐らく彼女はそれが流れた時点で辞職する。世間がそれを信じなくても、ただ一人それを事実だと知る本人が、それ以上表舞台に立つ事を良しとしないだろう。その確信が、この数日接して来たクライヴにはあった。


 そうすれば「市警の番犬」は排除出来たも同然だし、警察官という特権が無ければ今ほど大っぴらな立ち回りも難しい。アイリーン・G・フライアーズという個人をどうこうするだけなら、今の数倍は簡単なはずだ。


 そして。


 その全てを、クライヴは胸の内に秘めていた。交渉材料として仄めかす事さえしなかった。具体的な収穫は何一つ無かった振りをして、ここまでやり過ごして来たのだ。


 その事実が、本人に伝わる事は無いのだろうが。


 それでもまだ、それは良い。この黙秘は、クライヴが自分の意志で勝手にしている事だ。頼まれた訳でもない以上、最初から省みられる道理などない。単なる経験則としてだけでなく、それで構わないと納得出来る程度には、クライヴはリンに肩入れしていた。


 だからこそ。


 ──一番の苦痛は、あのひとに、裏切り者だと思われる事だ。


 クライヴは、リンに包帯を巻いてもらった左手をきつく握り締める。


 リンからしてみれば、クライヴは何処の馬の骨とも知れない、自分を殺そうとしてきた相手でしかない。それをリンは最初から対等に扱い、有能だと褒め、あまつさえ信用までしてくれた。


 だから信じてみようと思った。力になりたいと、初めて思えた──それなのに。


 その信用に応えるどころか、このままではあのひとを裏切り、傷付けた側に数えられてしまう。あのひとにとっての敵に類されるであろう未来が、こんなにも耐え難い。


「ねぇ、リン。俺、アンタにつくって言ったよね。嘘なんかじゃない、俺、裏切ってなんか、」


 ないよ、と。小さく零したところで、届かない。届くわけがない。


 両手で顔を覆って、身体を縮こめて、クライヴは囁くように本音を吐き出す。


「ああ、くそ。くやしい、な」


 掠れた声は、誰に拾われることもなく霧散した。



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