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5-10



 腹部へ重い衝撃を感じて、クライヴは思わず咳き込んだ。と同時に、いつからか沈んでいたらしい意識も浮上する。どうやら地面に寝かされているらしい──否、土よりも硬く冷たいこれは、おそらく室内の床だろう。起き上がろうとして、両手も両足も縛られている事に気が付いた。激しい咳き込みで乱れた呼吸を整えながら、クライヴはどうにも嫌な予感を覚えていた。


 まだ靄のかかったままの頭の上から、刺々しい声が響く。


「ようやくお目覚めか眠り姫? ……よくもやってくれやがったなこのクソガキが」


 困惑の中、動かせる範囲で顔を上げればまたも見覚えのある顔。確かこの男は、つい先刻レーニとかいう名前だと判明した、例の猿山のボスだ。


 クライヴはそのまま更に周囲へと視線を巡らせる。薄暗い部屋は蛍光灯の光のみで照らされていて、見る限り外からの日差しは無い。クライヴを取り囲む幾人かの男達は、その服装から物腰から、一様に育ちの悪さを主張している。鼻先を掠める黴臭さに混じって、うっすらと潮の香り。それら最小限の要素だけでレーニ一派に拉致されたのだと理解して、床に転がされたクライヴは至極つまらなさそうに呟いて見せた。


「……グルだったのかよ、あの刑事。だったらこんな真似せずそう言えっての」

「あぁ⁉︎」


 この期に及んで小生意気な態度を取るクライヴに、レーニが声を荒げた。それに同調するように、周囲の男達も野次を飛ばす。しかしクライヴは同じ調子で、呆れたように畳み掛けた。


「わっかんねぇかなぁ。もう少しであの番犬を飼い馴らせたのにって言ってんの」

「……何?」


 思わせ振りな台詞に、うって変わって訝しげな声を上げるレーニ。その変化に、クライヴは密かに口の端を吊り上げた。


「あれだろ、アンタ昨日の件でキレてんだろ? それでわざわざあの刑事使って、俺をここまで拉致したと」


 一度言葉を切ったクライヴは、ハッと態とらしく鼻で嗤って見せる。


「言ったよな? 俺は勝つ方につくって。昨日のはアンタが三人しか寄越さなかったのが敗因だろ。早々に二人もくたばりやがって、サシじゃ番犬は倒せない。だからあの場では番犬に恩を売っておいた、それだけだ。実際アレのお陰で、向こうはもう随分俺のこと信用してたんだぜ? あっさり釈放したのもその証拠だろ」

「テメェ、ここまで来てまぁだコウモリ続ける気か? いい根性じゃねぇか」


 レーニの低い恫喝。周囲の男達が俄かに剣呑な雰囲気を纏い始める。


「ほんっと頭悪いな、アンタら」


 しかしクライヴは、その脅しさえもせせら笑ってみせた。


「正義の味方気取りのアイツは金じゃ動かないだろうな。けど、俺は金で動く」


 挑発的なクライヴの言葉に、漸くその意図を察したレーニがハッとする。


 クライヴが市警の番犬の信頼を真実勝ち取ってしまえば、情報を抜く事はおろか行動を操る事だって出来た、かもしれない。どんな美味い誘いにも乗らないが故の『番犬』だが、それがガキ一人に金を積むだけでコントロール出来るなら安いものだ。


「潰し合ってもらう筈だった戦力を両方とも味方につけるチャンスだったんだぜ? それをわざわざ台無しにしてくれちゃってさ。落ち合おうっつったとこに俺が居なかったら、あの女俺が逃げたと思うだろうな。もう俺のことは信用しないぜ。なぁ、どーしてくれる訳?」

「それは……」


 高圧的なクライヴの態度に、レーニが思わず口籠った。ここまで来れば完全にクライヴのペースだ。更に追い討ちをかけようと口を開きかけた、その時だった。


「おいおいおいおい何言ってんだぁ? だーれがあの女を味方にしてぇっつったんだよ!」


 喧しい声がクライヴの死角、背後のドアの方から響く。男達が一斉にそちらに視線を投げる中、レーニが闖入者の名を呼んだ。


「ボクサー」


 フン、と鼻を鳴らした音と共に、ゴツゴツと乱暴な足音が近付いて来る。


 ボクサーはクライヴの頭の脇を通り過ぎると、真っ直ぐにレーニの方へと向かって行った。仮にもこの場の最高権力者であるレーニを相手に不躾にも人差し指を向け、威嚇するように捲し立てる。


「あのアマは殺す。痛め付けて殺す。嬲って殺す。生まれて来た事を後悔するほど苦しめて殺す。それがボスの方針だ。余計な事考えんじゃねぇよ」


 人差し指でレーニの胸を小突くと、ボクサーはぐるりと方向転換をする。そうして初めてクライヴと視線を合わせたボクサーの目には、明らかな憤怒の色が浮かんでいた。


 床に転がされたままのクライヴに歩み寄り、その胸倉を掴むと、ボクサーは少年の矮躯を易々と身体を引きずり上げる。ギリギリと食い込む衣服に小さく苦悶の声を漏らすクライヴには構わず、ボクサーは怒りの混じった低い声で告げた。


「おいガキ。変わり身が早えのか、それとも口車が上手いのかは知らねぇがな。テメェはこの俺に弾丸ぶち込んだ時点でもうどうしようもなく許されねぇんだよ。俺に喧嘩を売るってのはってのはボスにそうするのとおんなじだ。生かしちゃおかねぇ」


 クライヴのすぐ眼前で、ボクサーは凶暴な笑みを浮かべる。


「だが喜べよ、テメェにゃまだ利用価値がある」


 それを聞いたクライヴは、眉間に皺を寄せながらもニヤリと口の端を歪めた。


「だろ? 俺があの女──」


 瞬間、頭部に強い衝撃。きつい左フックを受けると同時に支えの手を離されたクライヴは、転がるように床へと崩れ落ちる。


「誰が喋って良いって言ったよ、あぁ⁉︎」


 横たわったクライヴを踏み付けにして、ボクサーが一喝する。クライヴは切れた口の端から血を流しつつ、それでもボクサーを睨み付けた。その態度が気に入らないのか、載せられた足に徐々に力が込められていく。


「テメェあの女と随分よろしくやってたんだってなぁ。一発ハメたのかハメられたのかは知らねぇが、あの女にも情って奴が無くもねぇだろ、なぁ⁉︎」


 上がったボクサーの語尾と共に、クライヴの鳩尾に鋭いローキックが叩き込まれた。


「ぁぐっ!」


 苦悶の声を漏らしたクライヴを見て、ヒヒ、と嗤いを漏らすボクサー。


「適当に痛め付けて、犯して、唆る姿になった写真を、だぁい好きな番犬サマに送ってやるよ。嬉しいだろ?」

「──はっ。」


 しかしクライヴはその脅しを鼻で笑い飛ばす。


「それが何になる? 俺みたいのを助けに、アレがのこのこ敵地に出て来るとでも?」


 それに返されたのは、こちらも酷薄な嘲笑だった。


「まさか! テメェ如きにそこまで期待しちゃいねぇよ。これは単なる嫌がらせだ。一応誘いはかけてやるが、それで来ねえって事はつまり見殺しだ。正義のミカタにはお辛かろうさ。ま、万が一ヒーロー気取りでほいほい現れたらテメェは人質として使ってやるが、ヤツが来なかったらそこまでだ。テメェの最期はちゃーんとヤツに語ってやるから、精々派手に泣き喚いて死ね」


 楽しくて堪らないと言わんばかりのボクサーの調子に、クライヴは苦々しい顔で吐き棄てる。


「このサイコ野郎」

「その減らず口がいつまで持つかだな。さ、お楽しみの時間と行こうぜ、狂犬」


 クライヴの襟首を掴んで引きずり始めたボクサーの背に、「待て」と声がかかる。振り向けば、レーニがニヤニヤと嫌らしい笑いを浮かべていた。


「パーティーを開くのは構わねぇが、おっ始めるのは俺の手が空くまでお預けだ。てめぇらに汚された穴に突っ込むのは御免だからな。それまではサンドバッグ程度にしておけ」

「はっ、潔癖かァ⁉︎ どうせ初物でもねぇのによ!」


 ボクサーの切り返しに、周囲の男達の口からも下卑た笑いが溢れ出した。低俗な視線に晒されながら、クライヴは舌打ちを零す。


「地獄に落ちろ、ド変態ども」


 少年の小さな怨嗟の声は、誰に顧みられる事もなく沈んでいった。

 



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