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5-6



 クライヴは、朝に乗って来た覆面パトカーの中で、一人リンを待っていた。市警本部を出た時と同じ後部座席だが、今はその手首に銀色に光る鎖が繋がれている。


 敗北宣言をしたクライヴと、伸びている二人の男に手錠をかけたリンは、再び港湾分署からの応援を呼び付けた。駆け付けたパトカーに気絶した男二人を詰め込み、応援部隊ごと自分の覆面パトカーを停めた駐車場へと場所を移した。クライヴを覆面パトカーの車中に一人残して、リンは現在、引き渡しの最後の詰めを行っている。


 一人でリンを待つ間、クライヴは自分でも言葉にし難い心持ちを持て余していた。一番を占めるのは、下手を打ってしまったという後悔だ。リンに付くなら付くで、もっと上手いタイミングがあったはずだった。しかしそれを押してまでリンの側に立った事自体には、嫌悪感を抱けずにいる。一方で、これからどうなるのかという不安に紛れた一抹の安堵感は、一体何に対してだろうか。ひとまず生きてあの場を切り抜けた事か、それとも。


 悶々としていると、不意にコンコンと窓ガラスを叩く音がした。見れば、いつの間にか戻って来たリンが、後部座席を覗き込んでいる。下がれとジェスチャーを受け取って、クライヴは自由の利かない両手を使ってゴソゴソと移動する。何故か後部座席に乗り込んで来たリンは、当然ながらクライヴの隣に陣取ると、内側からのロックを外してドアを閉めた。


 何か言われる前に、クライヴは先んじて手を打つ。


「お疲れ様。ちゃんと引き渡せた?」


 愛嬌たっぷりの笑顔を取り繕ったクライヴに、リンが呆れたように眉をひそめた。


「お前な、良く抜け抜けと」

「そりゃ言うでしょ。だって」


 言葉を切って、クライヴは手元の鎖をジャラリと鳴らす。


「俺自身と引き換えだ」


 その発言で更に眉間の皺を深くしたリンを、軽い皮肉を込めてクライヴが笑う。


「何でアンタがそんな顔すんの? バレてたんだろ、どうせ」

「……まあ、大体はな」

「昼の、ファミレスの時のも気付いてた? 電話、アンタも茶番だったんでしょ」


 それに思い至ったのはついさっきだ。リンが応援を呼ぶのに使った携帯が、明らかにそれまで見せていたものよりも古い機種だったのだ。電話を二台持っているならば、自分で自分の携帯を鳴らすことだって出来る。ファミレスでヴォルピーノが接触してきたのは、リンが席を外した丁度その時だった。敵味方の関係を考えれば当たり前のタイミングだが、であればリンはその可能性を狙って、わざと席を外したのではないか、と。思い付いてしまえば単純な話だが、電話という()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が絡んでいたから、つい信用してしまっていたのだ。


「ああ」


 案の定、呆気なくリンは頷いた。口数が少ない所を見るに、向こうとしても多少思う所はあるのかも知れない。


「そうだよね、アンタはそこまでちょろくない。分かってた。分かってた、のに、な」


 段々と弱まっていく語尾の最後に、クライヴは深く溜息を吐いた。そうして気を取り直すように、明るい声音を取り繕う。


「アンタやっぱり凄いね、リン。最初からそのつもりだったんでしょ?」

「まあ、ある程度は」

「……だよ、ね」


 ──そうか。やっぱり、最初から、そうだったのか。


 クライヴは片手で目元を覆い、ズルリと座席からずり下がる。合皮張りの背もたれに、肩甲骨から頭にかけてを預けると、溜息と共に低い天井を仰いだ。


「あーあ、ご機嫌取りにまんまと乗せられて、ばっかみたい。よく考えれば確かに変だよ。だってさ」


 目元に置いた手を持ち上げる。その掌を見つめながら、クライヴは静かに自嘲した。


「俺、こんなにちゃんとされた事、なかったじゃん」


 蔑まれる事もなく、同情で見下される事もなく。人並みの存在として扱われた経験が、これまで何度あっただろうか。


 色眼鏡を通さず、人として対等に接されて。妙だと思う以前に、きっと、浮かれてしまった。それこそが、今回一番の敗因だ。そもそも、自分のような小汚いガキを丁重に扱うだなんて、策略でなくて何だというのか。


 けれど──確かに、嬉しかったのだ。


 都度用意されたちゃんとした食事、悪目立ちしないようにという名目で提供された小綺麗な服。手を引かれながら歩いた事も、有能だと褒めてもらった事も、怪我の手当てをしてくれた事も。ずっと焦がれて、けれど手に入らなかったもので。


 ──嬉しかったんだ。

 ──全部、嘘だったけど。


「……手ぇ出せ」


 不意に、リンが呟いた。ボソリと零されたそれが指示だという事を察するまで数拍を要したが、何にせよ随分と脈絡の無い要求だ。突然の事にクライヴは思わず小首を傾げる。


「リン?」

「良いから、手を出せ」


 有無を言わさぬ物言いに、クライヴは困惑しつつも拘束された両手を差し出す。リンはそれを片手で支え、もう片方の手で懐から小さな鍵を取り出すと、手錠の鍵穴に差し入れた。


「え」


 クライヴがまともに疑問の声を発する前に、カシャリと音を立てて手錠が外れる。


「何で……」


 戸惑うクライヴに対し、リンはぶっきらぼうに告げた。


「無駄に拘束する必要はないからな。どうせ明日の昼にはお前、釈放だし」

「釈放って……だって俺、アンタのこと」


 そこまで言って、クライヴはリンから視線を逸らす。伏し目がちに、幾らか落ちたトーンで先を続けた。


「殺そうと、したんだよ。それも、二回も」


 端的に言えば殺人未遂。それも、未遂で済んでいるのは偶々リンとクライヴの間に大きな実力差があったからに過ぎない。それが無ければ間違いなく、初手で息の根を止めていただろう。


 しかし、対するリンの反応は淡白だ。


「私もお前の立場だったら同じ事をする。……まあもっと上手くやるが」


 余計な一言と共に、リンはクライヴの行為を肯定する。


 自分でもそうしただろうという言葉は本心だった。強大な権力同士の板挟みを無傷で切り抜けようと思えば、それくらいの立ち回りは必要になる。それが理解できる程度には、リン自身も場数を踏んで来ていた。


「その上で、これだけの戦果があれば今回は十分だ。一度取り決めた契約は守る」


 土壇場の掌返しとはいえ、クライヴの協力でヴォルピーノの下っ端を二人捕らえ、残りの一人も逃す形とは言え撃退したのは確かな事実だ。リンにしてみれば、自分なら二重スパイ云々と誤魔化すだろうなと思うくらいに、それは効率的な働きぶりだった。だから純粋な結果論と、咄嗟にそういう誤魔化しに走れなかった青さに免じて、今回は見逃してやろうと決めていたのだ。


「だったら、何であんな眼で……」


 予想外のリンの譲歩に、クライヴがおずおずと問いかける。ボクサーとの戦闘中、敵愾心に満ちた眼で睨み付けられたのは、クライヴの勘違いなどではないはずだ。


 しかしリンは印象に薄いのか、暫し記憶を探る素振りを見せる。やがてああ、と昨日の夜食でも思い出したような調子で呟いたリンは、苦笑混じりで真意を告げた。


「あの時ああ言ったのは、お前が腹ぁ括ってなかったからだ。だからそれなりに本気で敵視したんだよ、お前がやってんのはそういう事だぞってな。日和見で付く側決めんのは結構だがな、自分の選択にくらい責任を持て」


 ガキじゃないんだろ? と揶揄うように付け足すリン。しかしクライヴの表情は晴れない。


「……わかんないよ、そんなの」


 ぽつりとそう零すと、肩を落として項垂れる。


 これまでの人生、やった事のツケは自分で払って来た。それが立ち行かなくなったのは、今回が初めてなのだ。代償の大きさを考えずに衝動的に動いてしまう事も、そのツケを他人が幾らか肩代わりしてくれる事も。


 視線を落としてしまったクライヴは、リンが困ったように微笑んだのには気付かない。


「さっきはありがとな。助かった」


 ポンと、撫でるというより軽く叩くようにライヴの頭に手を遣ってから、リンは後部座席から降りる。勿論ドアの内側のロックをかけ直すことも忘れない。


 運転席に改めて座ったリンが、車のエンジンをかける。ゆっくりと進み始めた覆面パトカーの後部座席で、クライヴは依然俯いたままだ。


「……わかんないよ……」


 頼りなげな呟きは、エンジン音に紛れて消えていった。


 


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