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近年治安の悪化著しいグレイフォートも昼下がりは流石にのんびりしたもので、殆どスラムと化している港湾地区でさえ、柄の悪い連中をパタリと見かけなくなる有様だった。もっともそれは、柄の悪い連中は昼下がりなんぞに進んで外で仕事をする程勤勉でないというだけの話でもある。いずれにせよ、グレイフォート本来の得手であるリゾート地としての優秀さを余さず誇示していた。
穏やかな陽射しに、通り過ぎる潮風が爽快さを添えていく。偶に公道に転がって昼寝に勤しむホームレスの姿が景観を損ねているが、起きて血走った目を向けられるよりは遥かに可愛いものだ。
そんな長閑な午後のひとときに似つかわしくない疲れた声で、リンがぼやいた。
「お前意外と強情だよな。いつまで続ける気だ、それ」
表情に滲み出る呆れを隠そうともせず、リンは左下に視線を落とす。その左腕には、何だかんだでレストランを出てからずっとクライヴが引っ付いたままだった。
「んー、意外と収まり良いから気に入っちゃって。アンタの身長丁度いいんだよね。嫌?」
上目遣いで投げ掛けた台詞は、勿論リンを絆す為の一計である。が、その肩の位置が頭を預けるのに最適なのも嘘ではなかった。眼鏡がずれるのも構わずに、すり、と頰を擦り付ければ、クライヴにとっては嗅ぎ慣れた煙草と硝煙の香りが漂うのも悪くない。下手に甘ったるくて鼻につく匂いを纏っているより数十倍はマシだった。おまけに相手が絶対にその気を起こさないというのは、見方を変えれば約束された安全地帯のようなものだ。どうせこちらもある程度懐いた振りをするのだからと開き直ったクライヴは、傍目にもすっかり寛いでいた。
妙な所で図太さを発揮するクライヴを、一方のリンは珍しく持て余しているらしい。最前から居心地悪そうに身動ぎをしつつ、周囲をちらちらと窺っていた。
「好き嫌い以前の問題だろ……通報でもされたら流石に洒落にならないんだが」
「ふーん、良い事聞いた。何ならこのまま警察本部まで帰ろっか、おねーさん?」
ハートマークでも飛ばしそうな調子のクライヴに、リンは出会ってからこちらで一番肝を冷やした顔をする。
「お前それはマジで社会的に効くから止めろ。何なら昨日の奇襲よりよっぽど脅威だ」
「あっ、それはちょっと腹立つ」
「言ってろ非行少年」
クライヴの抱えた左肘が小突いてくるが、勿論本気の肘打ちではない。抱き着いた身体ごと軽く揺さぶられた程度だ。
──うん、手応えとしては悪くないのでは。
クライヴはリンの表情を盗み見て、一人頷く。まさか本気で気を引けるなどとは考えていないが、少なくともそういう洒落を言っても許される程度には懐に踏み込んでいる。最初に比べれば随分と警戒も解けつつあった。
ならば、ここからは次の仕込みの時間だ。
「ねえリン、一つ頼みが──」
しかし、事はそう上手くは運ばなかった。
「……リン?」
クライヴから見て右斜め上、見上げたリンの顔からは、先程までの弛緩した空気が消えていた。眉間に皺を寄せ、剣呑な視線で虚空を睨んでいる。数歩進んだ所で肩越しに背後を窺うと、リンは小さく言った。
「今の男」
「え?」
今の、と言われてもクライヴには何の覚えもない。今さっきすれ違った奴は言われてみれば男だったかも知れない、という程度が精々だ。だから続くリンの言葉も突拍子の無いものにしか思えなかった。
「銃を持ってた」
「は?」
クライヴの疑問符には構わず、リンは元来た方へと向き直る。
「さっきそこの階段から降りて来た時、奴のコートが不自然に揺れていたのが目についた。円運動で、重い物を仕込んでいるような揺れ方だったよ。気になって眺めてたら階段を降りた途端にポケットに右手を突っ込んだ。ホルスターを使わずにポケットに直接銃を入れていたから、ズレたポジションを直したんだろう。極め付けはすれ違った瞬間だ。ポケットの手ごと、右半身を過剰に引いていた。道がこんなに空いているのにだ。典型的な銃保持動作だよ。決め付けるにはやや薄いが、疑うには十分だ」
言いながらリンが視線で追っているのは、恐らくカーキのモッズコートを着た男だろう。背負った小ぶりなリュックの上、明るい茶色のウェーブ頭がこちらを振り返る様子はない。私服警官に目を付けられた事には気付いていないようだ。
充分に距離を確保してから、リンが男の後をつけ始める。元来た方へと歩き出したリンに追いすがりながら、クライヴはリンに物言いをつける。
「ね、でもさ。あの男が本当に銃を持ってたとして、それ自体は問題ないでしょ。これ見よがしにって訳でもないし」
正直に言えば、クライヴ自身に特段男の立場を庇おうという意図はない。しかし男の進む方向は、件の白金館とは逆方向なのだ。おまけに厄介事にまで首を突っ込んで、時間までにヴォルピーノとの合流地点にリンを連れて行けなくても困る。
しかし、そんな事情を知る由もないはずのリンは、クライヴの意見をあっさりと一蹴した。
「馬鹿お前、隠し持ってる方が危ないだろうが。うちの州は銃の所持も秘匿携帯も免許制だ、逆に言えば免許があれば問題ないが──あの男は、そういう風には見えなかった」
こちらを見もせずに答える敏腕刑事はすっかり仕事のスイッチが入っているらしい。何を言っても引き下がりそうにない態度に、クライヴは諦め混じりで嘆息する。
「あっそう……ったく、女の勘ってやつは怖いんだから」
肩を竦めたクライヴの目の前に、突然リンが人差し指を突き付けてきた。ビッと音でもしそうな勢いにクライヴが驚いていると、眉間の皺を深くしたリンが不愉快そうに訂正する。
「刑事の勘だ。つべこべ言わずに少し付き合え、晩飯に色くらいは付けてやる」
「……ふぅん。アンタのそういう、話が早くて物分かりの良いとこは好きだよ、俺」
これ以上食い下がっても埒は開くまいと判断して、流れるようにゴマすりへと切り替える。精々早めに飯を強請ろうと心に決めて、クライヴはリンと共に歩を進めた。
「失礼、少々宜しいですか?」
そう声を掛けられて、茶髪にモッズコートの男が振り返る。彼が目にしたのはスーツ姿の柔和そうな女性であった事だろう。相変わらずの変わり身の早さに舌を巻きながら、クライヴはその横を通り過ぎた。
流石のリンと言えど、クライヴを連れたままで職質はかけられない。クライヴは男に話しかける直前で場を離脱し、男の背後、本人には気取られないがリンの視界には収まる辺りにいることになっていた。
条件をあげつらうのは簡単だが、実際に位置取るとなるとこれが意外と迷いどころだ。クライヴは暫く辺りをうろついた挙句に、近くの電柱の陰に寄りかかった。
幸いにもクライヴには意識を向けていない男は、声を掛けてきたリンに向け、やや高めのテンションで応じる。
「何だいお姉さん? ナンパなら残念だけどお断りだよ、急いでるんだ」
人懐こく笑う彫りの深い顔立ちはラテン系だろうか。明るい茶色の髪は細かなウェーブがかかっていて、件のコートはクライヴよりは体格に合ったサイズを着ている。リュックの肩紐は、遠目の印象よりやけに上等な造りをしていた。
「いえ、私こういう者でして。少々お時間頂けます?」
訊ねつつ、リンは懐からバッジホルダーを取り出して見せた。輝く警察バッジに男の表情が固まる。同時に、クライヴまでもが眉を歪ませた。
──分かる分かる、嫌だよなぁあの瞬間。
クライヴが知った風な顔で頷く傍ら、相手が警察と知った男は怯んだように言葉を選び出す。
「……え、何? 警察? 警察が俺に何の用? 俺、何も悪いことしてないんだけど」
「ええ、存じてます。少しだけ、お話を伺いたくて」
応じるリンはあくまで相手の主張を否定せず、笑顔のまま、しかし立場は譲らない。
「ひとまず、お名前とご職業をお教え頂けます? 身分証があればご提示を」
「何で。俺何も悪い事なんて──」
「ええ。ですから、お伺いしてもよろしいですよね?」
男の発言を遮って再び問うリンは、その笑顔の圧力が尋常ではない。側からはどうやっても男が悪役にしか見えない程だ。勿論、それは職務質問を拒み続けている男の方にも非がある訳で、この手応えなら黒だろうとはクライヴも感じているところだった。並外れたリンの観察眼に、今からこれを敵に回すのかと薄ら寒いものさえ覚えてしまう。
一方、現在進行形でリンを向こうに回している男は、すっかり落ち着きを無くしていた。身に覚えがあってここまで追い詰められた場合、屈するか逃げるかしかない。男は無謀にも後者を選ぼうとしたようだ。
「嫌だ。犯罪者扱いされてるみたいで気分が悪い。俺はこれで失礼するよ」
渋面でそう言い放った男は、リンの脇をすり抜けようとする。
「お待ちを。ではこれだけで構いません」
柔和な声を崩さずに、しかし毅然とリンが食い下がる。男の進行方向に割り込んだリンは、一つの妥協案を告げた。
「ポケットの中身を拝見させて下さい」
その一言で、男の顔から表情が消える。
次の瞬間、男は踵を返して走り出した。
「待て!」
リンが咄嗟に叫んだのは警官としての性だ。逃げる当人は待たずとも、周囲が何事かと動きを止めれば対象を浮き彫りにする事が出来る。しかし今回放った鋭い制止は、リンにとっては意外な人物の反応を引き出した。
男が数歩も進み切らないうち、脇から強烈なタックルをかましたのは誰あろうクライヴである。体格差もあり、不意を討たれた男は大きく体勢を崩した。どうにかバランスを取ろうと振り回した右腕を、クライヴが抜け目なく抑え込む。そのまま体重を乗せて地面に叩きつければ、男が息を詰まらせるのを感じた。その隙に左腕も捕らえ、肩の関節を極めて抑えつける。
ほぼ完璧な無力化をこなしたクライヴに──というよりは、実質的には目の前に急に飛び込んで来たクライヴに、一瞬呆気に取られるリン。しかし瞬時に気を取り直し、硬い声で男に問いかけた。
「何故逃げようとしたんです?」
リンの問いを無視して、男はクライヴを振り解こうと試みる。しかし関節が上手く極まっているようで、碌な抵抗が出来ていない。
「ポケットの中身、拝見しますね」
形式的に断りを入れ、しかし有無を言わせずリンが男のポケットを弄る。探すまでもなく右のポケットから見つかったのは、小型のリボルバーだった。小口径で軽いそれは戦闘用としては勝手が悪いが、護身用、あるいは相手を一方的に殺傷する場合になら十二分に役割を果たす。所持許可の下りている銃には必ず刻印されているはずのシリアルナンバーは、ノミか何かで無理矢理に潰されていた。
「念の為お伺いしますが、許可証と免許証はお持ちですか?」
男は力無く首を振る。同時に男を押さえ付けているクライヴの手元に感じる抵抗が消えて行った。ここまで来てしまえば流石に観念せざるを得ないだろう。
「では許可証携帯の条例違反とコンシールドキャリーの免許違反ですね。他に何か持ってませんよね、マズいもの」
口調だけはついでのように、しかし油断なくリンが確認を入れる。
「…………。」
「この後所持品と、あと腕も拝見しますけど」
ボソリと付け加えられた一言に、沈黙を貫いていた男がハッと息を呑む。ウロウロと視線を彷徨わせる事数秒、歯噛みしながらこう呟いた。
「リュックの中……底のポケットに……」
「なるほど。失礼します」
投げられた一瞥に、クライヴがリュックを探れる位置まで身体をずらす。脇からリンがリュックの底に手を伸ばすと、確かに二重底のような感触を見つけた。更に手探りで中身を探ると、何かを掴んで引きずり出す。
リンが手にしたそれは、数包みのビニール袋だった。勿論、怪しげな微量の白い粉入りである。確認するように男に視線をやれば、諦めたように目を伏せる。
「では──銃火器不正所持の現行犯、及び違法薬物所持の容疑で貴方を逮捕します。詳しくは署で伺いますので、どうか大人しくご同行くださいね」
リンの容赦のない勝利宣言が、逮捕劇の終幕を告げる。
容疑者の発見から、ものの数分での落着だった。




