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「あれ、リンリン?」
謎の単語は、しかし確かにこちらに向けて放たれていた。甲高く耳につく声に、何事かとクライヴが振り返る。
咄嗟にうわ、と思ってしまったのは、闖入者の濃いめの化粧のせいだ。目元を殊更に強調する派手な化粧の上には、量の多いブロンドが肩まで波打っている。化粧品の甘ったるい香りに夜の匂いを連想したクライヴは、半ば無意識に眉根を寄せた。
そこに立っていたのは、十代後半の少女だった。クライヴより幾らか歳上だろうか。身体のラインを見せるサイケデリックなピンクのTシャツが、胸元の豊かさをこれでもかと引き立てている。腰の辺りまでずり下がったリュックにデニムのホットパンツ、スニーカーという出で立ちは、ある層のティーンエイジャーをそのまま絵に描いたようだ。
しかし少女の視線は、同年代のクライヴではなくその隣へと注がれていた。クライヴと同時に振り向いていたらしいリンの顔を確認するや、彼女は全く無遠慮に指を指す。
「うぉっ、やっぱりリンちょんだ! 何してんの、サボり? てかそっちの子は?」
「リっ……?」
斜め上の展開に、クライヴが思わず言葉を詰まらせる。
──まさかとは思うがその奇っ怪な呼び名は隣の敏腕刑事を示すんじゃないだろうな。
──もしや最初のアレもリンを指していたのか?
恐る恐る隣を窺えば、リンは当然のようにエイミー、と少女の名前らしきものを口走る。
──いやいやアンタも何普通に応えてんだよ!
胸中のツッコミは当然にして虚しくもリンには届かない。互いに顔見知りなのか、リンは取り出した携帯灰皿に煙草を押し付けると、エイミーと呼んだ少女の方へ歩み寄った。
「サボりはお前だろ、人聞きの悪い。学校はどうした」
「や、行くよ? 行くけどぉ」
慌てたように手を振るエイミーに、リンはわざとらしく溜息を一つ。
「お前な。後で泣き見ても知らんぞ」
耳に痛いであろう忠告に、たはは、とはにかむエイミー。しかし秒速で気を取り直したのか、彼女は思い出したようにリュックを漁りだす。
「あっでもでもぉ、見て見てリンちょん! これ!」
逆に何が入っているのかと問いたくなるスカスカのリュックからエイミーが取り出したのは、所々に皺の寄ったA4サイズの用紙だった。
「おっ、小テストか。受けただけ偉いじゃないか」
「でっしょー! しかもノー勉で三割!」
少女が声高に自慢するそれが高いのか低いのか、学校という場所に縁の無いクライヴには判断出来ない。そもそも勉強をせずに臨むものではない、などという詳細は尚のことだ。しかし、リンはその得点を褒めるでも貶すでもなく、新たな提案をしてみせた。
「なら今度は一夜漬けだな。その次は三日前から。勉強なしでこれなら上手くやれば七割くらい取れるんじゃないか」
「いやいや、それはないっしょ」
ナイナイ、と顔の前で手を振るエイミーに、リンは挑戦的な笑顔を見せる。
「騙されたと思ってやってみろよ。それで駄目ならやらなくていい」
「んー……まあ、リンリンがそこまで言うなら……?」
同意出来ないなりに納得はしたのか、エイミーは半ば首を傾げるようにして頷いた。だが殊勝な顔も束の間、次の瞬間にはニンマリと意地の悪い笑みを浮かべる。
「でぇ、シカトされたんでもっかい言うけど、そっちの子は? かわいー顔してんね、カレシ?」
本日二度目、否や相手が異なる場合を含めればほぼ三度目の質問に、リンは聞き飽きたとばかり首を振った。
「ガキに手ぇ出す趣味はない。ただの仕事の関係者だ」
その返答にムッとしたクライヴが、リンの袖を引く。
「ちょっと。誰がガキだって──」
「えーずっるーい! アタシも関係者なーりーたーいーーー!」
上げかけた抗議の声は、倍の音量で放たれたエイミーのワガママにかき消される。その勢いについ身を引いたクライヴは後回しにして、リンはエイミーへと渋面を向けた。
「やめとけやめとけ、碌なもんじゃないぞ。悪い事言わんからさっさと高校行け」
しっしっと追い遣る仕草をすれば、分かりやすく頬を膨らませて、しかし返事だけは素直にエイミーは応じる。
「はぁーい。じゃ、またねリンちょん!」
最後まで奇妙な呼び方のまま、エイミーは笑顔で手を振ると、ゲームセンターの出入り口へと向かって行った。
嵐のような少女が去って、辺りには急に静寂が漂う。
「リンちょん……」
あまりの衝撃についそう呟けば、お前はやめろと小突かれた。待遇の差を抗議しようとしたクライヴは、リンの顔を見て言葉を飲み込む。
リンは少女の去った方向を見つめ、眩しいものでも見たかのように目を細めていた。決して剣呑なそれではなく、むしろ温かく見守る目だ。
「……丸くなったもんだな」
「今の?」
視線の方向を親指で示して問えば、リンはどこか満足げに首肯する。
「初めて会った時はな、援助交際で補導されてたんだ、彼女」
「ふぅん」
気の無い返事をしつつ、クライヴもエイミーが去って行った方向を見遣る。もうここには居ない背中を追うように、遠い目をして。
「──良かったね、救われる余地があって。」
ぽつりとそう零したクライヴの視界には、何か物言いたげなリンが、しかし結局そのまま口を噤んだ様子は写っていない。
「……ここはもう良いだろ。次行くぞ」
再び口を開いたリンが選んだのはごく無難な台詞だった。溜息混じりのそれと共に、リンの手がクライヴへと差し出される。
「そうだね。気分転換も出来たし、次行こうか」
クライヴは差し出された手を取ると、ゲームセンターの出入り口へ向けて歩き出した。




