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最初に足を運んだのは、昨日、初めて二人が顔を合わせた通りだった。時刻は八時半、通勤通学の人々に混じり、ぽつりぽつりと朝の早い観光客らしき人達も見受けられる時間帯だ。朝食を兼ねられそうな軽食や青果の露店は早くも人を集めていたが、通りに並ぶブティックやアウトレットはまだ軒並みシャッターが閉まっている。
「絶対目当ての連中いないでしょ、この時間」
そう苦言を呈したクライヴは、当初の言葉の割には素直に手を繋がれて歩いていた。繋がれて、と言うよりはむしろ手を握られて、の方が正確だ。クライヴ自身は手に一切力を込めておらず、脱力したその手をリンが一方的に握り込んでいる。
「仕方ないだろ、お前連れ出すにはあそこの起床時間より前に動くしかなかったんだ。これでもギリギリまで譲歩したんだぞ?」
リンは握った手を一切気にする事なく応じる。いっそ手荷物でも持っているかのような無遠慮さは、少し距離が空く度にクライヴにごく小さなダメージを与えていた。
「それにほら、檻の中よりは幾らか暇しなくて済むだろ」
「……やる事無いのに変わりはないけどね」
檻の中でも外でも──捕まっていようと、いなかろうと。込めた自嘲が届いたのかどうなのか、リンは意外そうに応じた。
「何だ、縄張り見回ったりはしないタイプか?」
「アンタ人を何だと思ってんだ」
「何ってそりゃ、こっち側の人種──ああ、別に犬扱いとかじゃないぞ、今のは」
シマとか活動圏とかそういう意図だったらしい。自ら墓穴を掘った形のクライヴは、八つ当たり承知をで繋がれた手ごとリンを小突く。
「だったらナワバリとか言うのやめてもらえますぅ? まあ、アンタは縄張り意識高そうだけどね、番犬さん」
「はいはい、悪かったよ」
口先だけで謝りながら肩を竦めるリン。そんな彼女の視界の端から、景気の良さそうな声が飛んで来た。
「おうリンさん、昨日ぶり! お仕事お疲れさん!」
声の主は昨日リンと立ち話をしていた露店の店主である。それを見とめたクライヴは、目立たぬ程度の自然さで顔を伏せ、リンの陰に隠れた。この男には昔世話になった事がある。それは借りではなく強奪、即ち食うに困った時に手っ取り早く食料をくすねたことがあるという意味合いでだった。
どうもご主人、とリンが会釈を返した所で、目敏い店主は一言目から見慣れない同伴者に言及して来た。
「ん? そっちの子は? 手なんか繋いじゃって、随分と若いがもしかしてコレかい?」
そう言って店主は親指を立てる。表現が古い上に下世話なオッサンだなと思いはしたが、なんの打ち合わせもしていないリンが自分の事をどう説明するのかが気になったクライヴは、敢えて沈黙を貫いた。
「まさか!」
リンは苦笑混じりに、しかし間髪入れず店主の言葉を否定する。まあだろうな、とクライヴが思ったのも束の間、リンは返す刀で突拍子も無い設定を口にした。
「弟です。」
「え、」
上げかけた声をすんでの所で飲み込んだ。
──今とんでもない事を言わなかったかこの女。
──弟? 誰が、誰のだって?
驚いたのは店主も同じだったようで、こちらは当然我慢する事もなく盛大に声を上げる。
「ほう、アンタ弟なんて居たのかい⁉︎」
「ええ、まあ。普段は市外の学校に通ってるんですが、警察官に興味があるって言うんで二、三日見学に」
その場限りの真っ赤な嘘をにこやかな笑顔で並べ立てるリンには、不審な挙動が一切見られない。刑事より詐欺師の方が向いているのではなかろうか。
「はは、仲良いんだな」
そう言う店主の視線は繋がれた手に向けられている。いかにも微笑ましいという店主の言葉に、リンは苦笑と共に肩を竦めた。
「べったりで困ってますよ」
──どの口が言うんだ、どの口が。
思わず顔をしかめかけたクライヴだが、折悪しく「どれどれ?」と顔を覗き込んで来た店主に慌てて表情を取り繕う。
「なるほどな、言われてみりゃあそっくりだ! 頭良さそうな顔してるぜ」
社交辞令かおべっかか、リンに向かってそう告げた店主は、今度はクライヴの方に向き直った。自分の素性がバレやしないかと内心焦るクライヴをよそに、店主は『前途有望な少年』を激励する。
「なあ坊主、将来は姉さんと同じに警察官かい? 頑張れよ!」
バシン! と思い切り叩かれた肩に、今度こそ顔をしかめるクライヴ。
「……どうも……」
恨みがましい視線とともに、ぼそりと返事を返す。その反応が不服だったのか、それとも単にフォローのつもりか、すかさずリンが言葉を繋いだ。
「すみません、人見知りで」
「いやいや、男の子にはそういう時期もあらぁな」
カラカラと笑う店主の意識は目論見通りリンへと戻った。二人がそのまま世間話に移行したのを確認して、クライヴはひっそりと溜息を吐く。あとはリンの陰に隠れて何となく調子を合わせていれば切り抜けられるだろう。
──などと、そう上手くは運ばない。
待てど暮らせど、立ち話が終わる気配が無いのだ。何処そこの治安が悪いだの、最近めっきり冷え込んで来て客足が遠退いただのと、体感にして十分程は話し込んでいるが、リンも店主の男も話を切り上げる素振りを見せない。
店主に正体を気付かれたくないのは勿論のこと、通行人にもあまりまじまじと顔を見られたくない状況にある今のクライヴとしては、一つ所に止まっているのはリスクが大きかった。
「……ねぇ、ちょっと」
しびれを切らしたクライヴが、小声でそう言いながら、未だ隙なく繋がれたままの手を引く。それでもリンは取り合う様子がない。
仕方なく声をかけようとして、クライヴは言葉に詰まる。そういえば自分からこの人に呼びかけたことは今までなかった。
名前を呼ぶ程の距離感ではないが、苗字呼びや敬称付けはリンの定めた「姉弟」という設定が阻んでいる。だからと言ってそれに乗っかって「姉さん」だなんて、考えただけでも鳥肌ものだ。つくづく余計な事をと苛立つクライヴの脳裏に、ふとリンの名乗りの口上が過ぎる。
『アイリーン・G・フライアーズ、──』
「──リン!」
本人がそう呼べと言ったのだから文句は無いだろう。その筈だ。だというのにリンが心底意外そうな顔で振り向くものだから、クライヴはしどろもどろになりながら先を続ける羽目になった。
「あー、の、ほら。そろそろ行かないと、時間時間」
「おっと」
別に何の時間も迫ってはいなかったが、今度はリンがクライヴのアドリブに乗る番だった。あたかも用事を思い出したような素振りを見せて、適当に話を切り上げる。再び渡されそうになる手土産を連日は申し訳ないからと固辞すると、クライヴを連れて歩き出した。
今度こそ安堵の息を吐いたクライヴは、文字通り一呼吸置いて背後の露店を睨みつける。
「あんのクソオヤジ……!」
恨み節を隠そうともしないクライヴに、リンが苦笑混じりで謝罪する。流石に今回は非を認めているのか、その態度も幾らか殊勝だ。
「悪かったな、話し込んで。あそこの主人の話好きにはほとほと困っててな、正直助かった」
「それもだけど!」
他方、憤るクライヴは地団駄でも踏み出すのではないかという勢いで不平を垂れ流す。
「あいつ普段は俺の事クソガキ呼ばわりしてるんだぜ? それがちょーっと見た目小綺麗にしたからって、なぁにが『頭良さそうな顔してる』だよ!」
もう随分と昔の話、拙い技術で果物を一つすって以来、あの店主には何もしなくとも目を付けられていた。それが、たかが外見一つでこんなにも態度が変わるものか。
歯噛みするクライヴに、リンは自分の眼鏡を示しながらしたり顔を向ける。
「正解だろ、眼鏡」
しかしそれが失策だった。クライヴの怒りの矛先が今度はリンへと向かう。
「アンタもアンタだ! 何だよ姉弟って、そういうのは先に言っとけよ! 思わず『え』とか言っちゃったじゃんか!」
「あー悪い、アレはつい咄嗟に」
「咄嗟の嘘ならもうちょっと大雑把に吐けよ遠い親戚とかさあ! 選りによって弟って近すぎだろ俺アンタのミドルネームすら知らないんだけど⁉︎」
ぎゃんぎゃんと吠え立てるクライヴを宥めるように、或いはその剣幕に降参するように、リンは両手を挙げて言う。
「悪かったって。どうにも他人のような気がしなくてな」
──瞬間、クライヴの表情が凍った。
あれだけ騒ぎ立てていた口を突然閉じると、クライヴは無言で繋がれたままの手をぐいと引く。バランスを崩したリンとの間が縮まった、その近距離からクライヴはリンを睨め付けた。
「知ったような口利くなよ。通りすがりの癖に」
冷たい、地を這うような声音は昨日の交戦を彷彿とさせる。リンに向ける視線には殺意こそないが、明確な敵意が見て取れた。
それは、「お前は仲間ではない」という意思表示。そして、「仲間になどなるつもりもない」という宣言だ。
剣呑なクライヴの様子に、何故かリンは一つ微笑む。寛容でありながら何処か諦めの滲む不思議な表情で、リンは頷いて見せる。
「……そうだな。今のは失言だった」
あっさりと非を認めると、リンは再びクライヴの手を引く。力任せにではなく、あくまでクライヴを促すように。
クライヴは数拍の躊躇いの後、結局は無言のままその後に続いた。
──仲間などではないが、自分はプロだ。だから、誰が相手だろうとプロとして『仕事』は完遂しなければ。
落とした視線の先で、そんな言い訳を必死に唱えながら。




