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グレイフォートの市街地は狭いようでいて、徒歩だけで回ろうとするといささか持て余す、絶妙な規模を誇っている。そんな街中を移動するため、リンが選んだ足は所謂覆面パトカーだった。
外見はどこから見ても乗用車とはいえ内部はしっかりパトカーの造りになっており、クライヴは当たり前のように後部座席に乗せられた。それまでのやりとりで調子付いていたクライヴは助手席を主張するだけしてみたが、取りつく島もなく却下された形だ。
代わりと言ってはなんだが、後部座席にはコンビニで購入されたらしい朝食と、今のクライヴの格好に誂えたように似合う靴が積まれていた。形はカジュアルなスニーカーながら、黒の合皮が落ち着いた雰囲気を醸し出している。クライヴ自身の履いていたボロボロのスニーカーとは雲泥の差だった。確かに今の格好に自分のボロ靴を合わせていては、見る人が見れば怪しむだろう。それこそ、リンのように目敏く厄介な類の人間が。
靴を履き替えて朝食を食べている間、リンは車を走らせながらクライヴに聴取を行う。普段のクライヴの活動エリアはどこか、その辺りの勢力関係はどうなっているか、連中と良く出くわすポイントは無いか。テンポよく発されるそれらの問いに、クライヴは比較的まともに答えた。勿論伏せるべき所──話してしまえば今後の路地裏暮らしに差し障りそうな所──は適宜伏せたが、それも昨日のようにリンから「それは違う」と指摘を受けるほどではない。
そうしてクライヴの話に上がった場所を、リンは車で巡っていった。あくまで下見のつもりか、車から降りるどころか碌に止めもしない。周囲も含めた一帯を出来うる限りの低速で流し、すぐに次の場所に向かう。
車中で話題に上った箇所を一通り流し終え、リンはようやく車を停めた。市街地の南、港湾地区寄りのコインパーキングだ。市警本部を出てから何だかんだと一時間以上が経過した現在、街並みは徐々に活気付いて来ていた。
リンが車を降りるのに合わせてドアを開けようとしたクライヴは、取っ手を引いても手応えが無いことに気付く。そう言えばパトカーの後部座席のドアは外側からしか開かないと、何処かで聞いた覚えがなくもない。
少々戸惑っていると、車の窓の向こうに立ったリンが「奥へ行け」と手で合図した。開けた瞬間に強行突破されるのを警戒しての事だろうか。今更警戒も何も、とクライヴは一つ肩を竦め、しかし指示には素直に従う。
「ほら、来い」
外側から開けられる覆面パトカーのドア。そして当たり前のように差し出される手。
「は?」
思わずリンの手と顔を交互に見る。そんなクライヴの反応に、リンは察しが悪いなと言わんばかりに差し出した左手を軽く上下に振って示した。
「手ぇ出せよ。手錠も腰縄も街中でする訳にはいかないが、それはそれとして逃げられたら困るからな。ご要望通りエスコートしてやる」
「……えぇ」
ニヤリと笑うリンはどこまで本気なのか判別がつかない。ただ、差し出された手がいつまで経っても引っ込められる様子が無いのだけは確かだ。
──というか言葉の綾を本気にするな。よく覚えてたな、そんなの。
微妙な顔で逡巡するクライヴに、リンが追い討ちをかける。
「何だ、照れてんのか?」
「そんな訳ないだろ引いてんだよ! ドン引きだわ!」
最早煽りかというレベルでズレた問いに噛み付くクライヴ。否、リンの表情から察するならば、真実煽りなのかも知れなかった。そう思い至ってクライヴは一つ深呼吸をする。下らない冗談に乗せられても仕方がない。
少しの逡巡と共に、クライヴはリンの手にそっと触れる。ただし、差し出された掌の上に載せるのではなく、下側、手の甲から支えるようにだ。予想よりも幾分か柔らかな皮膚の感触に驚きつつ、クライヴは物珍しげにリンの手を眺める。思えばこんなに何でもない接触はいつ振りだろうか。
「大体この程度で照れる訳ないじゃん。俺、身体売った事だってあるんだけど。女だって男だって経験あるし」
ぽつりとそう零せば、リンの眉間に軽く皺が寄った。嫌悪や軽蔑と言うにはあまりに軽過ぎる口調で、「別に聞きたかないけどな」と言いつつ意見する。
「粋がるのは良いが、不特定多数の相手は程々にしとけよ。売春で感染症とか、結構シャレにならないぞ」
至極真っ当な忠告に、一瞬クライヴが硬直する。
意味が分からない、否、意味は分かるが理解が出来ない。真っ白になる思考と裏腹に、口元は勝手に歪な弧を描く。
──だって今更だ。あんまりにも、今更だ。
──自分はずっと、そうやって生きてきたのに。
「何それ。もしかして、心配とかしてくれちゃってる訳?」
思わず漏らした乾いた冷笑に、しかしリンはさも当然そうに肩を竦めた。
「それ以外に何が?」
あっけらかんとした言葉と態度に毒気を抜かれそうになるクライヴだが、気を取り直して食い下がる。
「アンタに関係ないだろ」
「関係ないけど後味悪いだろ。その辺で野垂れ死にされたら私が処理する羽目になるかもしれないんだぞ、仕事上」
「…………アンタな。」
いくら間違っていないとは言え、その表現は如何なものか。確かに今の言葉が同情や憐憫からであったならその瞬間に手を組むのを止めて逃走していたが、それはそれとしてあまりにあんまりな言い様である。
「何だよ」
そう応じるリンは一切悪びれない。
「……何でもない。行くならさっさと行こ!」
溜息と共にそう告げると、クライヴは今度こそリンの手を取った。




