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3-2



 コツコツと革靴の踵を鳴らし、肩で風を切りながら、アイリーン・G・フライアーズは我が物顔で庁舎の廊下を突き進んで行く。その後を、クライヴは素直に付いて歩いていた。


 時刻は七時過ぎ、時間の経過に従って着替える前よりは制服警官も私服警官も増えている。警察の中心部、謂わば敵の本陣を歩いているのだと思うと落ち着かなかった。


「良いのかよ、こんな事して」


 リンの数歩後ろからクライヴが問う。一切の拘束が無いこの状況なら逃走を試みることも出来るのだろうが、流石にここから庁舎の外まで取り押さえられずに逃げ切れるとは思っていない。


 クライヴの今更と言えば今更な疑問に、リンは当然のように頷く。


「ああ、良くないぜ?」

「おい不良警官」

「良くないが、それで女狐の尻尾が捕まえられるならやる価値はある。その為の権限、あるいは権力ってやつだ。警察の基本は『疑わしきは被告人の利益に』、白黒付かなきゃセーフなんだぜ」


 妙に得意げに言うリンの後頭部で、束ねられた後ろ髪が歩調に合わせてゆらゆらと揺れる。尻尾みたいだと頭の片隅で思いながら、クライヴは問いを重ねた。


「何でそこまでしてヴォルピーノをどうにかしたいわけ? あんだけ勢力ある連中をどうこうしようなんてさ、不毛じゃない?」


 意地の悪い質問にも、リンは一切動揺を見せない。振り返りもせずに即答する。


「それが警察(我々)の仕事だからな」

「……アンタのはそれだけで出来るレベルじゃないんですけど」


 相変わらず微妙に的の外れた答えにクライヴは嘆息する。やはり人として何処かズレているのではないだろうか、この女は。


「実際さぁ、俺みたいのにこうして報復食らって怖くないの? アンタはともかく、家族とかさ」


 本人が駄目ならそれより弱い周囲の人間に魔の手を伸ばす、良くある話だ。卑劣だなどという罵倒が通じるならば、連中ももう少しまともな生き方をしていることだろう。


 さして珍しくも無い仮定──即ち彼女ほどの切れ者ならば想定していて然るべき問いに、何故かリンは言葉を濁す。


「あー、いや。家族……は」


 並べられる単語は言葉を選ぶようでいて、その実それすらも投げ出したいような。そんな気まずい雰囲気を隠しもしないというのもまた、これまでの切れ者っぷりに反する態度だ。


「あれ、家族の話は地雷?」


 珍しい反応に、クライヴはぐるりとリンの正面に回り込んでその顔を覗き込む。しけた顔を拝んでやろうと思ったのだが、意外にも表情自体はそう暗くはなかった。どちらかと言えば困ったような、むしろクライヴを気遣うような曖昧な表情のまま、リンは呟くように問いに応える。


「地雷っつーかまあ、|無い袖は振れない《Nothing comes from nothing》よな、金に限らず」

「──え、それ」


 意味深な台詞をクライヴが問いただそうとした時だ。


「おい! 随分と仲良さげだなぁ番犬さんよぉ!」


 背後から唐突に飛んできた明け透けな言葉には、あからさまな敵意が滲んでいた。それに反応してか、リンがぴたりと歩みを止める。


 ゆっくりと振り返るリンの顔には、既に温度のない無表情が貼り付いていた。いつになく硬いその表情を目にしたクライヴも、驚いて背後に向き直る。


「……ホワイト」


 リンの視線の先には、一人の制服警官が立っていた。年の頃にしてリンと同じくらいの、筋肉質な白人男性。刈り上げた短髪は金に近いほど明るい茶色で、攻撃の意図を隠そうともしないその口元は笑みの形に歪んでいる。


「そいつが例の仔犬か? 『同胞狩り』のお前が子守りたぁ笑わせるぜ。潔癖そうなツラしてそういうシュミかよ、何なら纏めて俺がお相手してやろうか?」

「あ?」

「クライヴ」


 投げかけられた嘲笑に脊髄反射で威嚇するクライヴを制し、リンは一歩前に出る。


「私に不満があるのは分かるがな。その場に居合わせただけの奴まで一緒くたに貶すのはどうかと思うぞ、コーディ・ホワイト」

「ケッ、上の飼い犬風情が偉そうに」


 ホワイトと呼ばれた警官は、軽蔑を込めて吐き捨てる。きつい三白眼で睨みつけると、突き刺さんばかりの勢いで人差し指をリンに向けた。


「俺は、ノーリッシュさんを殺したお前を許さねぇ」


 物騒な台詞にクライヴはぎょっとする。確かに昨晩そんな話もしたにはしたが、まさかそんなに大っぴらに動いているのだろうか。


 思わず顔色を窺った先、リンの口から零れ出たのはごく軽い溜息だった。聞き分けの悪い子供でも窘めるような調子で、リンは言葉を続ける。


「殺してないし、マイルズ・ノーリッシュは汚職に手を染めていた」

「あの人はそんな人じゃねえ、脅されてたんだ! だから罷免になってすぐ、あんな……」


 そこから先は声にならず、ホワイトは言葉を失って目を伏せる。急に消沈するホワイトに向け、リンが投げかけたのは容赦の無い言葉だった。


「ノーリッシュ元警部補が殺されたのはこちらにとっても痛手だがな。利用価値が無くなったら口封じ、そういうのは連中の十八番だろう。リスク覚悟で反社会勢力と関係を持ったんだ、同情の余地は無い」

「ふざけんな!」


 ダン! とホワイトが壁を殴りつけた。大きく鈍い音に、通りすがりの警官達が何事かと視線を寄越してくる。


 衆目に晒されている事にも気付かない様子のホワイトは、リンの襟首を掴むと、地を這うような声で糾弾した。


「お前が殺した。お前が殺したんだ、フライアーズ」


 言い募るホワイトの目には燃えるような憎悪が滾っている。その熱量に反するように、リンの視線は底冷えしそうなほど冷たいままだ。


「私は職務に則って汚職を摘発しただけだ。それが理由で寝首を掻かれたんだとしたら、端から汚職なんかする器じゃなかったんだよ」


 ひゅ、と音がしそうな程に息を呑むホワイト。その一瞬をついて、リンは彼の手を振り払った。そのまま踵を返すと何事も無かったかのように歩き出す。慌ててその背を追いかけるクライヴがちらりと背後を振り返れば、ホワイトはこちらを向いて立ち尽くしたまま、しかし呪い殺せそうな程にリンを睨め付けていた。


「──地獄に堕ちろ、雌犬め」


 真っ直ぐな背に投げかけられる、低く静かなホワイトの怨嗟の声。それでも、彼女の歩みが止まることはなかった。



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