表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/44

3-1



 ──ビリ、と肌を刺すような殺気で目が覚めた。


 心地良い微睡みをかなぐり捨てて飛び起きたクライヴは、一瞬で膝を立てて周囲を窺う。索敵を最優先にしたクライヴには、自分が素足だとか、足元が妙に柔らかいだとか、そういう些細な認識はまだ届いていない。


「流石だな」


 投げかけられた中音に勢いよく顔を上げる。そこには、昨晩のように柵の向こうに立つリンの姿があった。


「……アンタ」


 ぽつりと零したクライヴに、徐々に記憶が戻ってくる。ここは拘置所で、目の前の女とは昨日協力関係になった、はずだ。一方的に殺気を向けられる謂われはない。


 リンは敵意の無さを示すためか、空の両手を上げて見せる。


「そう警戒するなよ」

「は?」


 簡素極まりないクライヴの返答には、明らかな怒りが込められていた。朝一番で殺気をぶつけられて警戒するなとは何事だ。不服の意図を込めたひと睨みを、リンは苦笑一つで受け流す。


「大声出すよりこっちの方が手っ取り早かっただけだ。お前なら起きるだろうと思ってな」


 そう言って自らの腕時計を示した。見れば六を少し過ぎたところで長針と短針が重なっている。普段よりは熟睡していたらしいが、それでもわざわざ起こされるには早すぎる時間だ。留置場の起床時刻は朝七時だと説明されていた。


 そう抗議すれば、規定上はな、と底意地悪く笑うリン。


「お伺いなら昨日立てただろう? おはよう少年。お勤めだぜ」




 人もまばらな市警本部庁舎を抜け、腰紐と手錠を付けられたクライヴが連れられて来たのは、昨日と似たような取り調べ室だった。違うのは、今日は入った時から机の上に紙袋が置かれていたことだ。昨日リンが差し入れと書類を入れて持っていたものより、更にふた回りほど大きい。


「着替えろ」


 部屋の鍵を閉め、クライヴの拘束を外したリンが、端的な指示と共に紙袋を指し示す。怪訝な顔でクライヴが袋の中身を引っ張り出せば、それは一揃いの洋服だった。洗い晒しのジーンズに白いシャツ、コートはクライヴの着ていたものより厚手で、形も少しだけフォーマルだ。


「いや、何この服」

「お前が着てたのよりかは多少マシな服だ。警察官(わたし)が連れ歩く以上、一般人が不審がらない程度の格好してもらうからな」


 嫌味っぽいが妥当と言えば妥当な言い分だろう。自前の服装が清潔感に欠けているのは、クライヴ自身自覚するところだ。溜息と共に、クライヴは一つ頷いた。


「分かったよ。じゃあ着替えるから、アンタはさっさと出てって」

「あ? お前一人にして何かあったらマズいだろ」

「……は?」


 当たり前のように応じられて、一瞬言葉の意味を見失うクライヴ。リンの台詞を咀嚼して飲み込んで、漸く声を上げる。


「いや、じゃあ何、アンタの目の前で着替えろっての⁉︎」

「何だよその反応、生娘じゃあるまいし。こっちだって見たくて見てる訳じゃない、下着まで脱げって訳じゃないんだからさっさとしろよ」


 そう言い放つと、リンは手近な壁に身を預けた。冗談などではなく本気で居座るつもりらしい。


 クライヴは暫く複雑な表情でリンと服を交互に眺めていたが、やがて観念したようにVネックのシャツを脱いだ。筋肉こそ薄くついてはいるが、全体的に肉付きの悪い身体をひやりとした外気が包む。


 ちらりとリンの方を窺えば、ばっちり視線がかち合った。気まずくなったクライヴは、剥き出しの上半身を急いでシャツで覆う。


 シャツのボタンを閉めていると、新品の布の香りがクライヴの鼻腔をくすぐった。リンの視線は勿論だが、こんなに小綺麗な格好自体初めてで落ち着かない。


 次は、とカーゴパンツに指を伸ばしかけて、手を止める。当たり前だがリンの視線が痛かった。本人に邪な感情がない分、むしろ観察眼としての圧が増しているような気さえする。


 暫く抗議の視線を送ってみるも、リンはたじろぎもせずこちらを見つめ返している。むしろ何をもたついているのかと文句の一つでも言いたげだ。デリカシーとかないのかよこの女、とクライヴは眉をひそめる。


 逡巡するクライヴの視界に、天啓が映り込んだのはその時だった。


 クライヴは机の上に置きっぱなしだったコートを羽織り、リンに背を向けた。ロングのコートはクライヴの太腿まで余裕で覆い隠すくらいの着丈がある。これなら無様に下着姿を晒さなくて済むだろう。第一自分の半裸はそんなに安くない。


 肩越しにどうだと笑って見せると、リンは興味なさげに肩を竦めた。早くしろ(hurry)、と唇が動く。その態度に苛立ったクライヴは、一気にカーゴパンツを下ろしてジーンズに履き替えると、着ていたものを丸めて紙袋に突っ込んでやった。


「出来たよ」


 仏頂面で報告すると、ようやく壁から背中を離したリンに手招きされる。怪訝に思いつつも近付けば、懐から二つ折りの携帯用(コーム)を取り出したリンに手荒く髪を梳かれた。わっ、だの痛っ、だのという時折上がる声を無視して、リンはこれまた何処からか取り出したヘアワックスで、手早く髪型を整えていく。


「ほう、見違えたな」


 やがて整髪の手を止めたリンが、一言そう呟いた。髪型ごときで本当に見違えたかどうかは分からないが、満足気な声音から察するにリンとしては及第のラインなのだろう。


「……それはどーも。ていうかさぁ」


 気の無い礼を一つ返して、クライヴは自分のシャツの胸元を引っ張って見せる。


「これ。サイズ合ってんの怖いんだけど」

「そりゃお前、身長体重は昨日測ったろうが」

「測ったけど。それから調達したのかよ……」


 当たり前のように言うリンだが、身体測定をしたのは拘置所に入れられる時の話だ。昼過ぎと甘めに見積もったとしても、その後取り調べを終えて衣料店の類が閉まるまで、一体どれだけ時間があったというのか。


 ──多忙とか言うだけ言って、実際暇なんじゃなかろうか。


 疑念を抱き始めたクライヴをよそに、リンは仕上げだ、と胸ポケットから小物を取り出すと、有無を言わせずクライヴへと装着した。


「……何この眼鏡」

「伊達だよ。お前、界隈じゃ顔でバレるだろ? 有名人」


 確かに自分の顔が割れていそうな連中なら、ヴォルピーノの派閥以外にも幾らか心当たりがある。だが今回刺激するのは市警の番犬と路地裏の狂犬を同時に、かつ強く警戒している層だけで良いのだ。有象無象に絡まれて余計なトラブルを抱え込まない為の撹乱、ということか。


「それはそうだけど……こんなんで大丈夫なの?」

「ひとまずは、だな。目元の印象ってのは顔の認識に結構影響あるんだぜ? 今回はパッと見で分からなければそれで良い訳だし、コストパフォーマンスとしても一番効果的だ」


 そこで言葉を切ったリンは、改めてクライヴの全身を眺める。その出で立ちに納得がいったのか、ご満悦といった調子で数度頷いた。


「よしよし、悪くない。どこぞの優等生のお坊ちゃんみたいだぜ? こういう時顔が良いのは得だな」


 ぽんとクライヴの肩を叩くと、リンは身を翻す。そして手錠も腰縄も付けていないクライヴの前で、取調室の扉を開けた。


「じゃ、いざ出陣と行こうか。付いて来い」


 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ