喪女の初デート
例えば学校で陰口を叩かれたり無視されたりしたら一般的な人ならどんな感情を持つんだろう? きっと怒ったり悲しい気持ちになったりするんじゃないだろうか。かつて私もそうだった。
「かつて」と言ったのは今現在はそうでないからだ。
「そうでない」というのは決して陰口や無視が無くなったわけではなく、単に慣れたという意味だ。
中学からの友達が一人も居ない高校に進学した私、田島恵子は物の見事に孤立した。
理由は二つある。一つは私が度を超えたコミュ障だったから。
・返事をするのに一拍遅れる。
・話しかけられたことに的外れな返答をしてしまう。
・3人以上で会話をするときは気配を消してしまう。
といった高等コミュニケーションスキルを身に付けていた私は、入学1ヶ月足らずで順当に話し相手が居なくなっていった。
理由のもう一つは私がデブでブスだからだ。元も子もない話だが実際そうだ。例えば私が美少女であったなら、きっと可哀想に思って話しかけてくれたり仲間に入れてくれる人が居たかもしれない。
だが事実私がデブスである以上、それが慈善事業か時給が発生するバイトでもない限り、私と友達になろうとする人間なんているわけがないのだ。
そうして私は標的になった。
ワザと聞こえるように陰口を言われたり机に落書きをされたり……。
きっとメッセージアプリでも私の蔑称と悪口がポンスコポンスコ飛び交っているに違いない。
いや、友達が出来なくったって、結婚できなくても良いんだ。幸い私は勉強だけは出来る。うんと勉強して良い大学に入って、公務員になって、甲斐性のある男に養ってもらわなくても生きていけるようになれば良いだけなのだ。
***
月曜の朝は憂鬱だ。
これから1週間学校に通わなければならないという思いと、孤独に耐えなければならないという思いと、陰口に聞こえないフリをしなければならないという思いと、その他もろもろで押しつぶされそうになるから。
それに輪をかけるように今朝は雨が降っている。私は対向車線を水しぶきを上げながら走っていく車を見てまた一つため息を着いた。
あーあ、バス停に着いたら学校まで雨の中歩かなくちゃいけないのか……。
「恵子?」
湿って淀み切った車内に響いたのは私の名を呼ぶ声だった。
え、何? 新手の宗教の勧誘?
驚いて横を見ると学生服を着た高校生風の少年が私の方を見ている。
ちょっとクセのある茶色の短髪、優しそうな垂れ目、スラっと伸びる長身。
そして彼の顔を見た瞬間、私は細い目をめいっぱいに見開いていた事だろう。
「さ、さ、さ、沢田……?」
男子の顔がパッと晴れる。
「やっぱり恵子じゃん! 久しぶりだなぁ!」
沢田はニコニコと笑いながら私の隣の席にドッカリ腰を下ろした。
この男は「沢田 健司」という私の幼馴染だ。良く言えば社交的、悪く言えば馴れ馴れしい奴で、今は県内の私立に通っているはずだが……。
「いやー、話しかけようか迷ったんだよ! でも恵子かどうか確証がなかったからさー」
私が状況を飲み込めていないところに沢田がドンドン話しかけるため、余計に私が口を開く機会が失われていく。
そうじゃなくても月曜の朝という事でみんな殺気立っているというのに、沢田が隣でこんな大きな声で話しては悪目立ちするばかりだ。
「後ろ姿を見てさー、恵子かトドかどっちかだと思ったんだよなー」
「だ、だだだだ誰がトドよ……!」
久しぶりに会って早々失礼な奴だ。まあ元からこんな感じだったけど。
「ところで恵子こんな場所で何やってんだ?」
「つ、つつつ通学中だし! さ、ささ沢田こそなにやってんのよ? 学校こっち方面じゃないよね?」
「だるいからサボった」
沢田は眠そうな垂れ目をこすりながら言った。
沢田の通う学校はあまり偏差値の高くない学校だが、それでもサボってばかりじゃ進級できないはずだ。
「ええ……、あ、わ、私、もうすぐ降りなきゃ……」
「じゃあ俺も降りるよ」
「え……?」
「傘持ってないから入れて?」
沢田は全く邪気のない笑顔でそう言った。
まるで私の灰色の世界を一瞬で晴れ渡らせるかのような笑顔だった。
***
物心ついたころから私は一人でいることが多かった気がする。そんな私をやたらと遊びに誘ったのが隣に住む幼馴染の男の子「沢田健司」だった。
私と沢田は幼馴染なだけでなく、家も近所で親同士も仲がいい。
これが少女漫画だったら様々なイベントが発生したのち100%恋に落ちる展開だが、なんせ女の方が私である。それだけで全てのフラグをへし折るには十分すぎた。
加えて沢田は昔から友達が多かったため、私たちは学年が進むごとに疎遠になっていった。
私の横で傘を持って歩く沢田は呑気に口笛を吹いている。
沢田と会うのは中学校の卒業式以来で半年ぶりだが、また背が高くなった気がする。私がなんとか沢田の顔を確認しようと見上げると目が合ってしまった。
微笑を見返してくる沢田。
鋭く目を逸らす私。
道を進むにつれて同じ高校の生徒たちの姿が増えてきた。彼女たちから刺すような視線が飛んできているのは恐らく気のせいではない。私みたいな根暗女が男を連れているのが余程珍しいのだろうか、いや、そもそもウチは女子高であるため沢田の存在が珍しがられるのは当たり前だ。
「恵子さぁ」
「な、なな何?」
「お前本当トドに似てるよなぁ」
「ま、ままままたそれ? 似てないし!」
「いや似てる似てる」
「てててテメーふざけんな!」
私は両手で沢田を押してみたがビクともしない。それどころかとても楽しそうである。同時に私も心がポカポカと暖かさを感じていることに気付いた。
ああ、懐かしいなこの感じ。昔からこんな馬鹿みたいな会話ばっかりしてたっけな。私はこんな風に沢田と話せるだけで十分だった。
「そんなに言うんだったらトド見に行こうぜ」
「え、どうやって?」
「水族館に行くんだよ! 今週末の日曜どうせ暇だろ?」
暇だと決めつけられてひどく心外である。そもそもその日はバイトのシフトが入っているのだ。
「う、うん、暇……、一切なにも予定がない……」
私は引きつった笑いを浮かべながら言った。
バイトのシフトは代わって貰えば良い。だけど、この予定だけはどうしても逃してはならない気がしたのだ。
***
それから私はソシャゲの課金に回すはずだったバイト代を全て沢田との予定のためにつぎ込んだ。
ファッション誌を買ってきては流行りのコーディネートを探り、服を買いに行ったは良いが、私に合うサイズが無くて凹んだりしながらアイテムを揃えていった。
それまで一切やった事の無かった化粧をするために5000円以上する化粧水、保湿クリーム、上物を買い揃えて毎日顔を描く練習をした。
おかげで母親から「もしかして援交でもしているの? 何か悩み事があるんならなんでも言いなさいよ?」と謎の心配をされたが、
「この顔で売春なんか出来るわけないでしょ!」キレたら納得した様子だった。
とにかく生まれて初めて綺麗になる事に夢中になっていたこの一週間、辛かったはずの学校生活があっという間に過ぎて行った。
***
当日は朝9時に沢田の家の前に集合ということになっていた。私は8時50分に家を出て8時52分に沢田家のインターホンを押した。
それとほぼ同時に玄関の扉が開き、中から出てきた沢田は私を見て怪訝そうな顔をした。
沢田は、上には灰色のカーディガンに白いインナー、下は明るい色のデニムといった清潔感のある服装をしている。
「な、何よ」
「整形した?」
「してないし!」
「え、でもなんか骨格変わってない?」
沢田はニコニコと私に近づいてきながら言った。
「ちちち違う! これは化粧だし!」
私も今日は頑張ったのだ。
タートルネックの白いワンピースに、生まれて初めて履くブーツ、マゼンタ色の口紅にボサボサだったポニテをバッサリ切ってショートボブにした髪型。
体型だけはどうしようもなかったけど……。
「ふーん、化粧しすぎて詐欺罪で捕まらないように気をつけろよ」
「だ、だだだだ誰が詐欺罪よ!」
その時は非常に腹がたったのだが、沢田と笑いながら話しているうちに、いつの間にか忘れてしまった。
もしかしたら「整形」とか「詐欺罪」とか言うのは沢田なりの褒め言葉なのかもしれない。もっと素直に褒められないものだろうか。
水族館へ行くためには駅まで15分歩き、そこから水族館に直行するバスに乗る必要がある。
歩いている間もバスに乗っている間も、私たちは本当に他愛の無い会話をしていた。
文系と理系のどちらを選択するのかとか、部活の話とか、ガムを踏んで臭くてテンションが下がったとか、本当にどうでも良いことばかりだった。
だけど、私にとって重要なのは話の内容では無く、「沢田と話している」という事だった。本当に半年分くらい笑った気がする。
日曜日ということで水族館の中には人が多かった。
水で満たされた、青くほの暗い水族館はまるで、自分たちが水槽の中に入ったかのように錯覚させられる。
「すげえ! こんな魚見たとねえ!」
張り付くようにして水槽の中の熱帯魚を眺めながら、キラキラと目を輝かせる沢田。
沢田はその後も右へ左へ歩き回り、新たな魚を見つけるたびに小さい子供のような歓声を上げる。
私に「はしゃぎすぎて転ぶなよ」とか言ってたのはどこの誰なんだか。
夢中になってはしゃいでいる沢田はちょっと可愛いが、次へ次へと進んでいく沢田について行けなくなった私は次第に遅れ始めた。
まあ今日はこんな感じでいいか。別に期待してなかったし。
と、私が沢田の背中を追いかけながらため息をついた時だった。
不意に沢田が振り返り、血相を変えてこちらに近づいて来た。
何事かと身構える私。
「恵子! あっちにデカい水槽があるぞ! 早く行こうぜ!」
私の右手を引き、沢田は早足で人込みをかき分けながら進んでいく。
未だかつてないほど、心臓が早鐘を打っている。
胸が苦しい。
沢田の手から伝わる体温が死ぬほど愛おしく感じられる。
大水槽の前までたどり着くと沢田はパッと私の手を離し、言った。
「恵子が重たいから引っ張るの疲れた」
「だ、だまれ!」
青い大水槽には大小さまざまな魚たちが泳いでいた。
まるで鳥が羽ばたくように、ゆったりと回遊するエイ。
集団で渦を巻きながら、各々がキラキラと光を反射するアジ。
間近で見るサメの鋭い歯と目付きには水槽の外からでも怖さを感じた。
でもそんな事は私にはどうでも良かったんだ。
沢田と一緒にいられたことがとても幸せだったから。
ちなみにトドは近くの水族館には居なかったので諦めた。
***
水族館を出た私たちは近くのファストフード店に入った。
昼のピーク時は外してから入ったものの、日曜日ということで店内は人で溢れかえっている。
沢田がレジで注文した商品を待っている間に、私は二階に上がって席取りをしておくことにした。
二階に行けば多少は空いているかと思ったが空席はほとんど見当たらない。だが幸運なことに二人掛けの席が一つだけ開いており、私は急いでその席に座った。
沢田が来るのを待っていると、ふと右の方から嫌な感じがする。
恐る恐るそちらを向いてみると、私の方をジッと見つめいてる顔が二つあった。
クラスメイトたちだ。
そう気付いた瞬間私は目を逸らした。
こんなところで会うなんて最悪だ。絶対にまた陰口のネタにされるに決まっている。
私は出来るだけ顔を隠すようにうつむいた。
「ほら、やっぱり同じクラスの田島だって」
「なんかあいつ化粧してない? ブスのくせに」
「うわホントだ。しかもちょっとオシャレしてるんじゃない?」
「ウケる。デブが着飾っても見苦しいだけだってのに」
ああ。いつも通りだ。いつも教室にいる時のようにワザと聞こえるように陰口を叩かれている。沢田と水族館に行って熱を帯びていた私の心も、一気に冷めていくような気がした。
「ていうかさー」
「おい」
クラスメイトの言葉を、男の低い声が遮った。
顔を上げると目の前に沢田が立っていて、クラスメイト達の方を険しい顔で見つめている。対してクラスメイト達はまるで狐につままれたかのような表情だ。
「えっと、誰?」
「俺は恵子の幼馴染だ。お前らこそ誰だ」
「べ、別に。ただの田島さんのクラスメイトだけど……」
クラスメイト達は急に前髪をいじったり、後ろ髪を撫でたりと急に落ち着かない仕草を取り始めた。現金な奴らめ。
「お前らさっきから恵子に向かってブスだとかデブだとか、さらにはデブのクセにオシャレして見苦しいとか抜かしてたな」
「いや、まあ言ったけど……でもそれは」
沢田の迫力に押されたのか、クラスメイト達は既に及び腰である。沢田はカッと目を見開いて、言った。
「ああそうだよ! 確かに恵子はデブでブスだ!」
おい! なに全面的に肯定してるんだこの男!?
「それにお前らの言う通り、後ろから見たらトドと見分けがつかないし、前から見たら豚に見えるさ!」
ちょっと待て、私そこまで言われてない!!
「わ、私そこまで言ってないし!」
クラスメイトも慌てて謎のフォローに入る。
「でも恵子は俺の大切な友達なんだよ! 例え見た目が妖怪でも! 完全形態豚魔人でも!」
さっきからどんどん酷くなってる!
もうここまで来たら私を助けようとしているのか、私の悪口を言っているのか分からない。
「さっき恵子に言ったこと、謝ってくれよ」
まずお前が謝れ!!!
「ああもう、悪かったわよ」
「ごめん田島さん……」
なんで沢田に説き伏せられてるの!?
クラスメイト達がさっさと席を立って行ってしまったあと、私たちも無言でハンバーガーを頬張り、足早に店を出た。
確かに沢田にはものすごい失礼な事を言われた。だがあれは空気の読めない沢田なりに私の事を庇ってくれたんだと思う。結果、沢田はクラスメイト達を追い返してくれたのだ。
「沢田、今日はありがとう」
「おう、俺もいっぱい魚見れて楽しかったよ」
「また……その……」
「まだ食べ足りないの? もっかい店に入るか?」
違う。そうじゃない。
「そ、その、沢田が暇だったらでいいからさ、また今度、遊びに行かない?」
「いいよ」
沢田は屈託のない笑顔で頷いた。
やばい。好きだ。どうしよう。
二人並んで歩きながら私はほんの少しだけ沢田の方に寄ってみた。
二人の腕が擦れ合う、絶妙な距離だ。
「で、次はどこに行くんだ?」
「う、海なんてどう……?」
「トドの群れに戻りに行くのか?」
「ち、違うし! いい加減にしろ!」
次はもっとダイエットして沢田を驚かせてやろう。
そしたらなんて言われるかな。
「脂肪吸引した?」
とか? 沢田なら絶対言うだろうな。失礼な奴め。
そう思いながらも私の顔はニヤけていた。
ふと空を見ると、夕日に染まる雲がゆっくりと南に漂っていく。
これからの高校生活で友達が一人も出来なくったって構わない。これからの学生生活も、今までほど辛くはないだろう。
だって、私にはかけがえのない友達がいるんだから。
おわり
お読みいただきありがとうございました!