猫の産んだ卵。
同名短編の連載版です。
一話二話あたりは短編にちょっと変更を加えただけです、すみません。
うちのタピオカが子どもを産んだ。
内訳は、子猫3匹と卵1個。
タピオカとは、5年前の夏に庭に落ちていた猫である。
あの日ーー少し遅めのお盆休み初日、ダラダラと寝ているつもりだったあたしに、ついさっきパートへ出掛けた母からメールが来た。
ーー庭で子猫がぴーぴー泣いてたよ!
え。猫? なんで?
半ば寝ぼけた状態で、寝巻きのまま庭に出てみると。
確かに塀の下に、ミーミー鳴いている小さいものが。
けど、一見ネズミかと思った。
そのあまりの小ささ。
ぺたんと体に張り付いたような毛並み。
小さく寝た状態の耳。
細いしっぽ。
しかし、よく見ればその小さい生き物は、手足の先が白くて、体には何やら模様があった。
生まれて間もない、目も開かない三毛の子猫だ。
あたしは辺りを見回した。
捨て猫にしてはおかしい。思いきり我が家の敷地内だし、何の入れ物にも入らず赤ちゃん猫が単体で落ちているのだから。
きっと、母猫が近くにいるはずだと思ったのだ。
お母さんがいるなら、下手に人間が触ってしまうとまずいだろう。
しかし、母猫の姿は見られなかった。
けど、引っ越し中にうっかり落としてしまって後で拾いに来るのかもしれない。
そう考えて、あたしは一旦家の中に引っ込んだ。
一時間おきに様子を見に行く。
子猫はずっとそこでミーミー鳴いている。
お昼を過ぎてかなり暑くなってきたところで、あたしは決断した。
「ーーすみません! 生まれたばかりみたいな子猫が落ちていて、朝から鳴いているんですが、だんだん元気がなくなってきてます! 助けてください!」
電話した先の動物病院スタッフは、困惑気味に応えた。
「申し訳ありませんが、野良猫の保護は当院では行っていませんので... 」
「... とりあえず、うちで保護します! お金出すのでどうしたらいいか教えてください!」
そういうわけで、赤ちゃん三毛は我が家の猫となった。
夏だけど体が冷えないようにペットボトルにタオルを巻いた湯タンポを用意。
ミルクは3時間ごとに一回。
排泄もまだ自力で出来ないので、濡らしたティッシュで肛門を刺激。
幸いだったのは本人が食欲旺盛で哺乳瓶のミルクをちゃんと飲んだことと、あたしのお盆休みが終わってしまう頃に大学生の妹が里帰りしてきたこと。
妹の残りの夏休みまるまる実家に引き留めて、子猫の平日託児所に任命した。
そして9月末、妹が大学近くの下宿先に戻る頃には、子猫の目は開き、耳も立ち上がり、毛並みもふわふわになっていた。
小さくてコロコロした子猫にタピオカと名付けたのは妹だった。
今ではもう小さくないタピオカだが、コロコロ丸いところとモチモチな肉感が名は体を表している。
さて、そんなマシュマロ女子なタピオカだが、室内飼いのため避妊手術を怠っていた。
いつかしなくてはとは思っていたのだが、病院でお薦めされた時期は少々懐が厳しく、先送りにしてしまった。
第一発見者だったにも関わらず母が金銭的出資をしてくれなかったのが痛い。
そんなわけで、うっかり5年が過ぎた今年の春のある日。
あたしが仕事から帰るのを玄関で待ち構えていたタピオカは、あたしを出迎えるのではなくするりと足元をすり抜けて、夜の街へと繰り出していきやがった。
この不良娘!と、追いかけていった不肖の親だが、連れ戻すことは出来なかった。
車にでも轢かれたら... と、あたしは気が気じゃなかったが、不良娘は翌朝余裕の表情で帰宅した。
そのお腹に、どこの誰とも知れないオスの子どもを身籠って。
29歳ずっと独り身の育ての親を差し置いて、なんてハレンチな娘でしょう!
そして今朝。
どこかへ隠れるでもなく、助けを求めるでもなく、あたしのハレンチ愛娘は子どもを産んでいた。
一晩の間にしれっと。
あたしと一緒に寝ていたベッドの上で。
そろそろ出産なのかなとは思っていたが、朝起きたら足元で丸まっているタピオカの懐に小さな毛玉がモゾモゾしていてびっくりした。
今から産まれるって教えてくれれば、徹夜でお腹さするくらいしてあげたのに。
しかしーー
「... たぴ? それ、何?」
あたしは、毛玉を優しく舐めているタピオカに尋ねた。
タピオカの懐には、3つの毛玉とーーどうやら卵があった。
3つの毛玉は、確かに猫の赤ちゃんだ。
出会ったときのタピオカを思い出させるような、わりとつるっとして見える毛並みの生き物。
黒っぽいのと、茶色っぽいのと、白黒茶色のまだらなの。
しかし残る1つは、やはり卵ーーだと思う。
大きさも形も、大人のようには上手に丸まれない赤ちゃん子猫が手足をきゅっと引っ込めている様子に似てはいるのだが。
でもどう見ても毛はない。
なんか、さらっとしている。
頭や手足らしき、凹凸がない。
クリーム色っぽい、固そうな何か。
「どこから持ってきたの?」
そう言って、あたしが手を伸ばそうとすると。
フシャー!!
威嚇された。
「赤ちゃんは触ろうとしてないよぉ。その、卵みたいのだけだよぉ... 」
口を尖らせて言うが、タピオカはその卵を前足でそっと守るようにして再びフシャーと威嚇してくる。
「何よもー。あんたをそこまで育ててやったのは誰だと思ってんの。」
あまりのんびりしていると会社に遅刻するので、あたしは文句を言いながらも卵を調べるのは諦めることにした。とりあえず。
その日、仕事から帰っても、タピオカは子どもたちと卵を抱いていた。
気にはなるがタピが怒るので、あたしはその卵をスルーすることにした。
いつか飽きて放置するだろう。それまでに腐って変な臭いとか出さないといいけど。そこ、あたしのベッドだし。
そしてーー出産から約1ヶ月がたった。
子猫たちも目が開き、猫らしくなった。
それぞれ名前も付けた。
濃い黒トラがアズキ。
薄い茶トラがダイズ。
タピオカに似た三毛がウズラ。
そしてーー
未だタピオカが大事に抱き続ける卵。
もちろん、タピもずっと卵につきっきりな訳ではない。
ご飯もトイレもベッドから下りるし、子猫たちもベッドから下りるようになって一緒に遊んだりするのだ。
けど、あたしが隙を見て卵に触ろうとするとちゃんと察知して怒りに来るのである。
なんでそんなに信用ないんだ、あたし。
なんでそんなに大事なんだ、その卵。
ちょっとむくれて、タピオカの抱く卵を眺めていたとき。
ぱり。
微かな音がして、卵が少し揺れたーー気がした。
「え?」
思わずにじり寄るあたしに、タピオカはフシャーと威嚇。
まさかね。まさかね。
卵が生きてるなんて。有精卵だったなんて。
ぱり。ぱり。
混乱するあたしをよそに、卵はまた音をたてる。微かだが、確かに。
そしてとうとう、目視できるヒビが入った。
「マジか...」
つーか、ちょっと待て?
何が産まれるんだ?
そもそも、今まで目を背けてきたけど、どっから来たんだ? この卵。
鳥が托卵していった?
猫に??
タピオカが産んだ?
卵を??
ぱり。ぱりぱり。ぱり。
産まれるのは、鳥か。猫か。
「ーーは?」
出てきたのは、艶やかな白銀の鱗を纏った鼻だった。
え。ヘビ?
ぱりぱり。ぱり。
くりんとしたつぶらな瞳。
小さな、エリマキトカゲのエリマキのようなものが顔の回りをふちどっている。
すっかり頭部が出てきたその生き物は、よっこらせと卵の殻に手をかけて、体を引き出した。
「はぁぁ?」
その体には、小さな羽が生えていた。
ふるふると頭を振って、それからタピオカをまじまじと見つめる白銀のそれを、タピオカはやはりまじまじと見返す。
そして、こちらを見て困ったように小首を傾げた。
ーー何これ?
... うん... 恐らくタピは、遅れても他の子どもたちと同じような子が、卵から生まれてくるんだろうと思っていたんだね...
「こっちの台詞だぁぁぁ! どこでドラゴンとお近づきになってきたんだこの不良娘ェ!」
しかし、母親とは実に恐ろしいものだ。
どう見ても別の種類の生き物なのに、しばらくするとタピオカはそのドラゴンを受け入れた。
ペロペロと毛繕いーー鱗づくろい?をし始めたのである。
ドラゴンの方も気持ち良さそうにタピオカに身を委ねる。
まぁね、君の方は刷り込みが作動してるだろうからね。タピをお母さんだと思うよね。
一応断っておくが、ドラゴンは想像上の生き物である。そのはずである。
しかし、目の前にいる白銀の生き物の特徴は、確かにアニメの中で見るようなドラゴンだ。
エリマキトカゲを少しふくよかにしたような全体像で、艶やかな白銀の鱗の皮膚。
その背中には、自重を持ち上げられそうには見えない小さな翼。
そして頭の痛いことに、その頭部には、まだ小さく、しかしタピオカにそっくりの、猫耳が生えていたりする。
その耳のあたりにスリスリしながら、タピオカがあたしに向かってにゃあんと鳴く。
「... わかったよ。その子の名前はーーそうだなぁ、大福豆のフクちゃんね。」
タピオカが我が子と認めるなら、あたしもまた覚悟を決めるしかない。
卵生生物は生まれてすぐ大人と同じ食事をとれるんだったかな?
ベッドの下で遊んでいたアズキ、ダイズ、ウズラをベッドの上に運んで授乳の準備を始めたタピオカを見て、あたしは疑問に思った。
フクは母乳を飲むのだろうか。飲めるのだろうか。飲めなかったらタピオカ用のキャットフードでいいのだろうか。
タピオカがゆったりと寝そべると、子猫たちはうにゃうにゃ言いながら我先におっぱいに向かって行く。
数は足りているはずなのだが、よく出る乳とか、飲みやすい乳とかあるのだろうか。
さて、フクはといえばーー
しばしの間、兄弟たちがおっぱいを飲むのを観察していたが、やがて兄弟たちを真似るように、タピオカのおっぱいに食いついた。
数回ふがふがしたのち、満足げに目を細めてちゅぱちゅぱし始めた。
... 飲めるんだぁ...
これが、うちでドラゴンを飼い始めた経緯である。
とりあえず食料問題が解決したので、ドラゴンの子育てはタピオカに一任だ。
あたしの残業のときに餌をあげてくれる母には一応ドラゴンのことを報告して、実際見せもしたのだけれど、うちの母さんは細かいことは気にしない人なので、「あら、まぁ、可愛いじゃない。」で終わった。
まぁ、それはそれでどうなんだって話だが。
父さんにはーーばれたらでいっか。