99話 よくもやってくれたわね
唐突に、スリーク伯爵が高らかに詠唱した。
「猛ろ燃えろ、唸れ尖れ! 我が敵を滅ぼせ!」
「危ない!」
「え」
色々混じった訳のわからない詠唱とともに、いろいろなものが降ってくる。一瞬あっけにとられたところで、アルセイム様のお声がとても近くに聞こえて、それから。
ざく、と布を刻むような音がして、赤いものがぱっと散った。
「守れ守れ、我が主を! その愛し人を!」
次の瞬間ナジャの詠唱が響いて、私の周りに結界が張られる。のはいいのだけれど、その、私の背中にかかった重みは。
「……アルセイム様」
「大丈夫。かすっただけだから」
いえ、どうしてそこで微笑まれるのですか。あああ、とても良くお似合いな上衣の袖が破れて、そこから見えるお肌に、傷が。
何てこと。アルセイム様が、私をかばって傷ついてしまった。
「……よくも、アルセイム様に傷をつけましたわね」
ああ、自分が情けない。私はアルセイム様をお守りするために、この力を振るうべきであったのに。
いえ、もちろんスリークの民も大切でしょうし、それを害するかもしれない『魔女』は排除すべきでしょうけれど。
というか、よくも私のアルセイム様に傷をつけるような魔術を使ってくれたわね、スリーク伯爵。
「ははは、龍神の結界でもそうそう守れるものではなかったようだな!」
「おっしゃることは、それだけかしら」
「え?」
アルセイム様のお怪我を、懐に入れていたハンカチで押さえる。いえ、アルセイム様ご自身で癒やしの術を使えばよろしいのですけれど、私がそうしたかったから。
「ここに、いてください」
「ああ。くっついていっても、邪魔になるだけだからね」
「いえ。両手でぶん殴らないと気がすまないもので」
「……そうか。行っておいで」
「はい」
私が素直に答えると、アルセイム様はやはり微笑んで頷いてくださった。ええ、アルセイム様をお連れするとなればどうしても片手しか使えませんもの。
そうして私は今一度立ち上がり、スリーク伯爵を見据える。先ほどから魔術の雨嵐が降り注いでいるようだけど、ナジャが全力で張ってくれた結界はそんなものをものともしない。その前に展開された結界の切れ目の一瞬に、アルセイム様が傷ついてしまったのだけれど。
まあ、何をグダグダ言ったところで、要はですね。
「ひゃ、な、何だ?」
「滅びなさい。あなたが伯爵だろうが魔女だろうが魔龍の力を得ていようが、関係ございません」
全力で接近した私が振り下ろしたメイスから、これまた全力で逃れるスリーク伯爵。冗談ではないわ、ここで逃す気など毛頭ございませんもの。
遠慮なく、スリーク伯爵を狙ってメイスを振り回す。ああもう、ちょこまかと逃げ回るんじゃない。
「お待ちなさいな! 当たらないでしょうが!」
「当たったら死ぬだろうが!」
「もちろんそのつもりですわ!」
まったくもう、逃げるばかりで何もしてきませんのね。情けない、それでもスリーク伯爵家の当主ですの? まあ、その伯爵家のお屋敷をボコボコにしているのはこの私ですけれど。
その時。
先ほど2回ほど、スリーク伯爵がぶつかった正門の扉が、ゆっくりと開き始めた。あら、施錠とかしていなかったんですのね。
それに気がついてスリーク伯爵は、ホッとした顔をなされてこちらを振り向かれる。もしかして、捨て台詞でも吐かれるおつもりかしら。
「こ、ここはこのくらいにしておいてやろう!」
あ、本当にお吐きになった。門の向こう、見えていらっしゃらないようね。まあいいか。
「あら、お逃げになりますの? アルセイム様に傷をつけておいて、それで済むとでも」
「そんなこと、今は関係ないだろう!」
「何が関係ないって?」
「え?」
門の向こう側から届いたその声に、伯爵は慌てて振り返った。それでやっと、開かれた門扉の向こうの様子に気づかれたようね。
「うちの可愛い甥っ子に怪我させたってマジか。叔父としては、黙ってるわけにはいかないんだよ」
ええ。怒りの形相で佇んでおられる、クロード様がおられるのよね。トレイスと、それから……あれはアナンダ様ね。一緒に来られたようだわ。
こちらからは見えなかったけれど、さすがに腰を抜かされた伯爵のお顔がどうなってるかなんて、簡単に想像できるわね。




