95話 まことの敵はあなたよね
「『魔女』という呼び方で、女だけかと思ったかね? 生憎だが、男もいるのだよ。これこの通り」
スリーク伯爵の笑顔は、あくまでも普通の笑顔だった。だから、余計に怖く見えるのかもしれないわね。
その手に吊るされたままの、テンポウの顔がどんどんしわしわになっていく。あ、いけない、さすがにカルメア様には見せられないわね。慌てて背中に隠したけれど、どうも固まってしまっていて動けないみたい。
「アルセイム様、カルメア様を」
「ああ。頼む」
これくらいの言葉で、アルセイム様とは意思疎通できるわ。私の背後で、アルセイム様がカルメア様をお守りしているのも分かるし。
正直、ナジャを除けば最大戦力は私ですものね。もちろん、敵は殴って倒すものですし。
「ごごごごしゅじんひゃま……あがががが」
「ああテンポウ、お前はもう用済みだからねえ」
テンポウはじたばたもがくけれど、スリーク伯爵の手から逃れられない。そのうちまるで獣のように口が裂けて、目がつり上がって、爪が伸びてくる。ええと、これって何でしょうか。
なんて考えている暇はないわね。私は、メイスを構えた。
「おとなしく、目の前にいる龍の力を吸い取っておいで」
「ぎゃあああああ!」
ぽい、と放り投げられたテンポウが、その勢いでこちらに突進してくる。ああ、まっすぐにしか走れないのかしら。かわいそうに。
「ふんっ!」
「ぴぎゃっ!」
メイスを一閃。思い切り振り抜いたおかげで、テンポウは向こう側の壁まで吹っ飛んだ。さすがに壁をぶち破れるほどの勢いはないというか、そこまでいったら普通は死ぬから。
それにしても、何ということかしら。まあ、小難しいことはさておきましょう。そういうのを考えるのは、私には似合わないわ。だから、足を踏ん張ってスリーク伯爵の前に立つ。
「エンドリュース男爵家が娘、レイクーリア。スリーク卿、つまりはあなたを殴ればよろしいのですね?」
「殴る前に、こちらが皆さんの力を食らってしまうだけのことだね。何しろ、スリークの屋敷は我が領地なのだから」
ああ、もうこれは本決まり、ね。目の前におられるスリーク伯爵がご本人なのか、それとも偽者なのか分かりませんけれど、ぶん殴るべき敵ということは認識できましたわ。
カルメア様の前というのだけが、少し気が引けるのですが……あら?
「っ」
「カルメア?」
背後で、アルセイム様が困ったようなお声を出された。え、何があったのかしら。でも、振り返るわけには……。
「それに、可愛い娘がおとなしく言うことを聞いてくれるからね。さあ、アルセイム殿を食らっておいで」
「……おとう、さま」
「終わったら、レイクーリア嬢もあげようね。私が欲しいのは、龍そのものの力だからねえ」
「は、い」
「カルメア!」
「駄目です!」
反射的に振り返ったら、カルメア様がアルセイム様を押し倒しておられた。思わず両肩に腕を絡めて、そのままぐいと引き上げる。ああ、やはり女の子は軽いわねえ。
「ナジャ!」
「はーい」
そのまま、失礼ながらナジャの方にぽいと放り投げる。軽くだから、大丈夫だと思うのだけれど。
で、そこにナジャが勢い良く、お水をぶっかけた。これで治ればいいのだけれど、さて。
「アルセイム様、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。驚いただけだよ」
ともかく、カルメア様はナジャに任せてアルセイム様を引き起こす。どういう意味で食べるのかはともかくとして、もう放っておくわけにはいきませんものね。
「そばにいていただけますか」
「もちろん」
いろんな意味を込めた言葉に、短い一言で返していただける。これでもう、私は無敵ですわよ? スリーク伯爵。
「どけてちょうだい! アルセイム様を食べたら、レイクーリア様がもらえるの!」
「え、そっちですか?」
「もちろん、アルセイム様もいいけれど! どうせなら2人とも手にして両手に花! これです!」
「贅沢言ってんじゃありませーん!」
あらら、カルメア様お清めできていなかったみたいね。まあ、そちらは頼んだわよ、ナジャ。今あなたが前に出てきたら、何となく危ない気がしますもの。
「まあ、おいしい龍の血は後に取っておこうね。まずはグランデリア、エンドリュース。両方の血をもらって、魔龍の血と共に我が力になってもらうよ」
だってほら、スリーク伯爵ったらあんなこと、おっしゃってるじゃないの。