94話 かつての話と今度の話
「え」
「そうなのですか?」
一言しか口に出来なかった私の横から踏み出して、アルセイム様がお尋ねになる。クリカ様は「うむ」と大きく頷かれ、それから小さくため息をつかれた。
「故に、人の王家の血こそ入ってはおるがあまり優遇されてはおらんじゃろ」
「言われてみれば、そうですわね」
今度はカルメア様が頷かれた。そうなのよね、王家の縁にしては伯爵は……ないこともないのでしょうけれど、でも高い地位ではないわよね。グランデリアは公爵家だし。まあ、エンドリュースは論外ですけれど。
「我ら龍に仇なす者を出した罰じゃと、人の王家の使いからそういう報告を受けたことがあるのう。それでまあ、一応見てはおったのじゃがな」
クリカ様の深い青の髪が、幼子のような手でぐしゃぐしゃとかき乱される。見ておった、ということはスリークのお家をそれなりに監視なさってた、ということでしょうね。魔女を出した家系、ということで。
カルメア様が少し困った顔になって、それで恐る恐る口を開かれる。
「よく滅ぼされませんでしたね。それに、寡聞にして存じ上げませんでした」
「まあ、1人が外れただけじゃしの。家族は知らなんだようであるし、そこまで罰することもあるまいて」
その言葉にクリカ様は柔らかく微笑まれて、それからカルメア様の頭をそっと撫でられる。幼子が撫でるようにも見えるけれどその手は見るからに優しくて、さすがは龍神様ねと感心したわ。
「龍の血を狙う魔女が現れたとなれば、人の国にとっては一大事であろう。故に、あまり話を広げることもなかったのだろうて。こなたのような何も知らぬ娘御にまで、罪を負わせることもない」
「なるほど」
それもそうね。以前、たった1人が謀反を企てたからとその一族を親戚縁者諸々まで滅ぼした王の話を聞いたことがあるけれど、そんなことをしていたらあっという間にお国が滅ぶのではないかしら。
私の考えが甘いのかもしれないけれど、ね。
「では、テンポウはそれを知って転がり込んだのでしょうか」
「そうやも知れんが、さてなあ」
アルセイム様の問いには、クリカ様も首を傾げられる。本人に聞いてみるのが一番手っ取り早いのだけれど、その本人はスリーク卿にお供してお屋敷の外、だわね。
「ひとまず、そっちの坊や。お家に連絡したほうがいいんじゃないかいな?」
「そうですね」
おっと。クリカ様に話を振られて、アルセイム様が頷かれた。そうね、一応今のところの情報はクロード様にもお伝えすべきですわよね。
「トレイス、手紙を書くから急いで叔父上に届けてくれ。それと、念のためアナンダ様にも」
「了解」
アルセイム様の行動は、こういう時は本当にお早い。すぐにトレイスと頷き合うから、多分明日になる前にはトレイスがグランデリアのお屋敷にたどり着いてるはずね。ええ、無茶を言っているかもしれないけれど、トレイスならばどうにかしそうですもの。
その2人の会話を見ていて、クリカ様が「おお」と手を打たれた。あら、何かあったのかしら。
「アナンダ坊のとこの坊やであったか。なれば、グラ……何とか、じゃね」
「グランデリア、ですわよ。クリカ様」
「おお、そうじゃったそうじゃった。全く、人はめんどくさいのう」
突っ込んだ私が言うのも何だけれど、確かに面倒かもしれないわね。人……というか、特に貴族は。
結局、その日はそのまま夜を迎えた。翌日になり、お昼を過ぎた頃になってスリーク伯爵がお戻りになった、と使用人が伝えに来てくれた。
「戻ってきたの」
「お戻りですねえ」
「アナンダ坊の水、思い切りぶっかけてやるが良いさ。ナジャっ子よ」
「了解ですー」
……何で私が泊まっている客間におられるんですか、クリカ様。というかもしかして、ナジャのお説教に続きがあったのかしら。いえまあ、私はのんびり素振りの練習をしておりましたからいいんですが。
ともかく、アルセイム様やカルメア様と共にお迎えに参りましょう。ああ、ミリア様は昨日まで臥せっておられたので念のため、お休み頂いております。侍従たちにもついていただいているので、まず心配はなさそう。
あと、さすがにクリカ様をいきなりお連れするとそれ誰だ、なんてことになりそうなので奥で待っていていただくことに。まあ、ナジャもいるし大丈夫でしょう。まだトレイスが帰ってきていないけれど。
「お父様、おかえりなさいませ」
「おかえりなさいませ」
「やあ。意外と早く片付いたものでね」
玄関に入ってこられたスリーク伯爵は、相変わらずのほほんとなさった感じだった。その直ぐ側に控えている、あれが多分テンポウ。よし、行きなさいナジャ、なんて声に出して言う前に彼女が動いた。
「それじゃ、失礼しまーす」
「ぎゃあ!」
「おっと」
思いっきりお清めの水をぶっかけたのだけれど、かかったのはテンポウだけ。だって、スリーク伯爵がテンポウの襟を引っ掴んで、盾にしたから。
「お父様?」
「が、ががが……な、なにをなしゃいまふ、だんなひゃま……」
「いやだなあ。私までそんな風になってしまったら、恥ずかしいじゃないか」
かつてのパトラと同じように顔がどんどん歪んでいくテンポウに対し、スリーク伯爵は平然と笑いながら答える。カルメア様のお父様でミリア様の旦那様で、スリーク伯爵家の当主であるはずの彼が。
パトラよりも、怖く見えた。