88話 侍女は見ていた
トレイスに御者を任せた馬車に、私はアルセイム様とナジャとともに乗っている。行き先はもちろん、スリーク伯爵家だ。
私は当然メイスを持参しているのだけれど、ナジャの手には以前にも見たことのある壺が収まっている。ええ、アナンダ様の壺よ。お清めの水がどばどば湧いてくるという、あれ。まあ、スリーク家もある程度は汚染されてる可能性があるわけで。
「あ、そうだ。アナンダ兄様のところ、行ってきていいですか?」
そうナジャが提案してきたのは、クロード様からの説明がだいたい終わった後だった。
「この前お世話になった龍神様ね。どうして?」
「ああ、そうか」
私が首を傾げる横で、アルセイム様が一瞬だけお考えになった後納得されたように頷かれたのよね。このあたりは私、とてもアルセイム様にはかなわないわ。ええ。
「家の中に入り込まれていて誰もおかしく思わない状況っていうのが、魔女っぽいということだな。ナジャ」
「ですです。なんで、アナンダ兄様のお清めの力お借りできれば、解決も早いんじゃないかなーって」
「なるほど。お借りできるかどうかはともかく、相談に乗っていただくのはいいかもしれん」
ああもう、グランデリアの殿方は揃いも揃ってそういったお考えにたどり着くのが早いのね。クロード様まで、うんうんと笑っておられるんだもの。
それでアナンダ様にご相談したところ、今回もお気軽に壺をお貸しくださったということである。大丈夫かしら、グランデリア領のお水。
「万が一それでも効かなければ呼んでくれ、って兄様おっしゃってましたよー」
ナジャはのほほんと笑って言うけれど、さすがに領地のお外じゃないのかしら。大丈夫なのそれは?
「その辺はどうなの?」
「兄様が無理でも、こちらの龍神様に連絡差し上げるとのことでしたから」
「なるほど」
ああ、それなら大丈夫、かしらね。ところで、離れたところにおられる龍神様同士ってどうやって連絡なさるのかしら。貴族みたいに人をやるとか、そういうことできるのかしらね。
なんてことを考えていると、不意にアルセイム様が口を開かれた。
「できれば、こちらだけで何とか解決したいものだけどな。あまり龍神様におすがりしていては、レイクーリアが胸を張ってうちの名を名乗れなくなる」
「まあ。そんなことはありませんわ、アルセイム様」
お待ち下さい。私は何があっても、グランデリアの家に入ることを恥とは思いませんわよ。第一、龍神様におすがりしているなら私のほうが強いですもの。ほら、ナジャがいるし。
「龍神様がお力をお貸しくださるということは、厚きご信頼を受けているということなんですもの。そんなお家の一員となれるのですから、私はいつでもどこでも胸を張りますわ」
そんな風に答えながら、思わずアルセイム様の腕にしがみついてしまった。え、と言う顔を一瞬されたけれど、でもアルセイム様はすぐに微笑んでくださって、それに。
「ありがとう、レイクーリア。でも、君が堂々と胸を張れる家として俺は、君を迎えたいから」
そうおっしゃって、あまつさえ頭をなでてくださった。ああ、なんてお優しい手かしら。おまけに、良い香りの吐息が私の顔にかかってああもう、今すぐ魔女や魔龍が目の前に現れても勝てるわ、私。
「ありがとうございます、アルセイム様。私は、あなたの妻として迎えられることに一番胸を張りたいのです」
「うん。本当に、待たせたもんな」
「はい」
ああ、こうやって2人きりで穏やかな会話を交わせるなんて、私は夢でも見ているのかしら。
いいえ、これは夢じゃなくて現実だわ。だって。
「……」
目の前でナジャが、私は何も見ていませんよーなんて顔をして外を見ているもの。アナンダ様の壺を抱きしめながら。
「ああ、済まないナジャ」
「ご、ごめんなさい、ね」
「いいですよう。お2方が仲がよろしければそれだけ、無敵なんですからー」
あらら、ナジャったらちょっと拗ねちゃってるみたいね。ごめんなさい。それもこれも、アルセイム様がお優しい方だからね。