77話 お母様のお説教
私が龍神様をぶん殴り倒して、村を覆い尽くそうとしていた水が少しずつ引き始めた。
そんな中私と龍神様は、祠の前にちょこんと並んでいる。そうして私たちの前には。
『……わたくしはどうやら、自分の娘を買いかぶりすぎていたようですわね』
『……ごめんなさい』
龍神様よりずっとずっと大きくて、深い青緑の鱗がとても美しい龍神様がおわしていた。龍女王様、私の隣りにいる龍神様のお母様にしてエンドリュース領を守ってくださる守護神様だ。
お休みになっておられたはずなのだけれど、私が龍神様と戦い始めたのを見た農民たちが慌てて龍女王様をお祀りしている祠に飛んでいって、どうか出てきてくださいとお願いしてくれたらしい。それで出てきてくださった龍女王様には感謝してもしきれないわね。
その龍女王様が、まるでヘマをした私を叱っているお母様のように龍神様を見つめておられる。さすがの龍神様も、自分のお母様に対してはものすごく弱いみたい。いえ、分かるけれど。
『誰がおのれのために人の土地を踏み荒らして湖を作れ、などと言いましたか。我々は人に喜ばれて、人と仲良くすることで生きているのですよ? それを何ですか、自分から喧嘩を売って』
……売るような真似、ではありませんのね。
まあ、農民たちが龍神様を深く信仰していたから喧嘩は買わなかったのですけれど。その分私が買い入れたので、結果的には同じことかしら。
『だ、だってわたしの』
『自分の領地だから好き勝手に荒らしていいと? 領地とはそういうものではありません。水浸しになって荒れた土地を支配して、何の意味がありますか』
『……』
自分の領地だから、好き勝手に荒らしていいのか。龍女王様のおっしゃったこの言葉は、貴族としても大切な問題よね。
もちろん、そんな訳がないのは分かっているけれど。私は結局領主にはなれないし……領主夫人にはなる予定だけど、でもアルセイム様はそのくらいきっと、ずっと前からお分かりでいらっしゃるはずだから。
『ナジャ』
『は、はい』
龍女王様が、名前をお呼びになった。龍神様が慌ててお顔を上げられたところを見ると、彼女の名前はナジャとおっしゃるのだろう。
その彼女に対して龍女王様は、お命じになった。
『あなたにはしばらく、人の世界を学んでもらいます』
『は?』
『エンドリュース家の娘、でしたね』
うわ、ナジャ様の間の抜けたお答えは無視ですか。私に視線を向けてこられたので、慌てて答えを返す。
「はい。レイクーリア、と申します」
『そう、レイクーリアね』
目を細めた龍女王様は、まるで笑っておられるかのようにゆったりと頷かれた。
『ナジャを、あなたの生涯にわたり侍女として預けます。存分にこき使い、人の世を教えてやってください』
「へ」
『ええええー?』
えーと龍女王様。あなた様の御息女を、侍女としてこき使えとそうおっしゃるわけですか? いやいやいや、ナジャ様の困ったような叫びに私も同調したく思うのですが!
『ナジャ。あなたに拒否権はありません』
御息女の不満を、龍女王様は一言でぶった切られた。うわあ、確定事項ですか。しかし、私の生涯にわたり……ってまあ、龍神様にしてみたらそれほどでもないですよね。
そう私が思った同じことを、龍女王様はお言葉になさった。
『なに、人1人の生涯といえばせいぜい100年ほど。われら龍神にとってはそう長くはありません』
『うええ……』
『そうそう、早く帰りたいからと言って手を下すことはいけませんよ? そうしたら、あなたは二度と龍を名乗れなくなると思いなさい』
『は、はいいいいいいっ!』
あ、なるほど。確かに私を殺せば生涯終わるわね、なんて呑気なことを考えてしまった私って一体。まあ、それでは反省にはならないものね。ああ、ほっとした。
とは言え、さすがにそんなことでナジャ様をお預かりしちゃってもいいのかしら。
「あの……龍女王様、よろしいのですか?」
『良いのです。というより、これはナジャの母であるわたくしの教育不行き届きが原因ではありますが、ナジャが人の世を知らぬことが問題ですからね。しっかり、人の世を見せてやってくださいな』
「……はい」
あー、ここまで言われて拒否権は私にもないわね。ええいしょうがない、こうなったら世間知らずの龍神様をしっかりした龍神様にして差し上げないと、エンドリュースの名がすたるわ。
「分かりました。ええと、ナジャ様ですね? 責任を持って、お預かり致します」
『よろしくお願いしますね。ああ、侍女なのですから敬称など要りませんよ』
「はい」
うーむ。龍神様の名前を呼び捨てか……侍女であれば当然ですわね。しっかりしましょうレイクーリア、ある意味無敵の侍女を確保できちゃったんですから。