75話 殴って殴って身構えろ
『え、人間がわたしに歯向かうの?』
大きな目をぱちぱちと瞬かせて、龍神様は不思議そうに私を見下ろしてきた。それほど大きい、訳ではありませんけれど人間よりは大柄な龍神様を見上げながら私は、にっこりと笑ってみせる。
「あら、いやですわ龍神様ったら。歯向かうだなんて、おこがましい」
『む。じゃあ何なのよー』
本当に、子供のような言葉遣いをされる方だ。つまりは、そういうことなのね。
メイスを構えた私がそんな龍神様に対してすべきことは、1つだけ。
「どうやらあなた様はまだお若い龍神様で、ご自身が何をなさるべきなのかお分かりでないと愚考いたします。よって、お休み中の龍女王様に代わり僭越ながらこのレイクーリア・エンドリュースが、それをお教えいたしますわ」
『えー、何それ』
手っ取り早く言えば拳で教育して差し上げる、ということなんだけれどお分かりになったかしら、お子様な龍神様は。
『人間なのに、なっまいきー!』
……お分かり頂けなかったようね。龍神様は長い身体を高くもたげられると、私をもう一度見下ろした。そうして。
『生意気だから、ぶっ飛ばしちゃうぞー!』
そのままぐんと頭から突っ込んでくる。ええ、普通の人なら避けられないような速度で。でも、私はエンドリュースの娘だから大丈夫。
「お相手いただき、ありがとうございますわっ!」
数歩横にずれれば、そんなに大きくはない龍神様の突進を避けることは簡単だ。足元が水だけれど、それだけ気をつければ何とかなる。
そうして私の横を通り過ぎる龍神様の長い身体を、思いっきりメイスを振り下ろして殴った。がいん、と耳障りな音がする。あれだ、鎧を殴ったときとよく似た音。
龍神様は私に殴られたのなんて気にも止めないように、そのまま空へとふんわり舞い上がる。ああ、全く効果なかったわね、今の一撃。
「あら」
『ふーんだ。人間の攻撃なんか、効かないもーん』
ゆらゆら、と空で揺れながら龍神様は目を細められた。多分笑ったのだと思うんだけれど、龍神様のお顔ってよく分からないわね。
「鱗は固くていらっしゃいますのね。まるで、鎧みたい」
『わあ、やっぱり生意気だあ! 本気でぶっ飛ばしちゃうぞー!』
まあ、それは私も認めよう。本当に鎧のようなお身体で、さすがは龍神様だと思う。
とは言えこの足元にある『湖』を何とかしなくては、エンドリュースの名に泥を塗る事になるもの。頑張らなくちゃ、と再び突っ込んでくる龍神様を睨みつけた。
「でしたら、こうですわ!」
『ぴゃっ!』
今度は避けずに、真正面から龍神様の額のあたりを一撃ぐわんと殴る。それからそのまま突っ込んでくる龍神様の頭を飛び越えて、私は着地に失敗して水の中にバシャンと落ちた。
あ、でも龍神様もさすがに今の一撃は効いたらしくて、上に飛ぶことができずに同じくばしゃばしゃと水浴びみたいにのたうってしまっている。
『あ、あたまがくわんくわんするう』
「さすがに、これは効きましたでしょう?」
ふー、びしょびしょに濡れてしまったわ。ちょっとドレスが重くなったけれど、これも鍛錬よね。
メイスを小脇に挟んでスカートの裾をぎゅっと絞りながら、私はのたうつのが終わったらしい龍神様に教えて差し上げる。
「人間もね、兜の上から殴って差し上げるとそうなることがあるんですのよ。龍神様であっても、そこは同じようですわね」
『うぅうー、なまいきだああ!』
「きゃあ!」
あ。せっかく水を絞ったのに、龍神様が尻尾で水面を叩いたせいでまた濡れてしまったではないですか。ああもう、これでもしっかり戦えるように鍛錬はしているけれど、服が身体にまとわりつくのは少しきついわね。
『でもでも、負けないもんね! わたしだって、一応龍神なんだからあ!』
「エンドリュースの娘として、私も負けるわけには参りませんわ!」
ようやっとのことで身体を起こされた龍神様と、今一度対峙する。さあ、続きを始めましょうか、龍神様?