59話 一番急ぎの足は彼女
さて。
龍神様のお話はわかったけれど、それで今の事情が良くなるわけではないのよね。
「すまんレイクーリア、ボンドミルをちょいと甘く見ていたらしい」
「え」
クロード様が慌てて私の部屋においでになったのは、あのお話を聞いてからたったの3日後、その日のお昼過ぎだった。やっぱりアルセイム様とトレイスが一緒で、お3方とも顔が青いわ。
「何かございましたか」
「今、つっても数時間前だが。エンドリュースの屋敷に、王族の端っことてめえんとこの兵士連れて押しかけてきたってよ。早馬で手紙が届いた」
「はあ?」
その届いた手紙というのは、今クロード様が右手で握りつぶしていらっしゃる紙のことでしょうね。
というか、エンドリュースのお家に? 王族の端っこさんと自分のところの兵士を連れて?
「名目上は財産の監査とか何とかっつー話でな、連れてきた王族の端っこが一応その手の権限持ってるやつだ。下っ端だけどな」
「まあ」
そんな無茶な。
財産のチェックに来たということはあれですわよね、お父様が民から税金を高く取ったり隠し財産作ったりしてるんじゃないかと。
「ユースタス卿が、そんなボンドミルでもなきゃやらねえような真似、できるわけがないもんなあ」
「真面目でおっとりが取り柄ですもの、お父様は」
「嫡男のウォルター様もですし、エンドリュース家で働いている家令たちも真面目ですから、ないと思います」
さすがにお父様の性格は皆ご理解いただいているようなので、それが確実にボンドミル侯爵の嫌がらせだということははっきりしているわね。
でも、わざわざ権限を持たれた方をお連れしたということは、本気で探り出す気なのではないかしら。
……あるのかしらね? まさか。
「あっても、ユースタス卿より前の先祖のもんだろ。そんなら多分、時効のはずだ」
「それをお父様になすりつける可能性はありますわね。是正できるものをしなかったとか、何とかおっしゃって」
「……レイクーリア、お前さんが身内で良かったと俺は思うぞ。メイス以外で」
「それは光栄ですわ」
あら、なぜだかクロード様に褒められてしまったわ。褒められたんですわよね? 敵じゃなくてよかった、と言われたのだから。
でも、すぐにクロード様のお顔は真面目なものに戻られた。確かに、呑気なことを言っている場合ではなさそうですものね。
「で、どうしようかと思ってな。お前さんの実家の話だから、うっかり俺が先走るわけにもいかん。役人の上の方になら知り合いがいるけどよ、今から手紙出してもすぐには動けんぞ」
「そうですわね……」
確かに。
早馬で届いた手紙と言っても、数時間は経っているもの。おそらく、ボンドミル侯爵がおいでになったのは今朝。そうなると、今頃は……お屋敷の中にまで押し込まれていなければいいのだけれど。
「できれば、すぐに戻りたいですわ。兵士がいるのでしょう?」
ともかく、私は素直な気持ちを口にした。何故か矛先が実家に向かっているけれど、そもそもはこちらでボンドミル侯爵がやらかしたことが原因なのだもの。私が何とかしなくては。何しろ。
「うちにも一応おりますけど、お父様もお兄様も戦はあまりお好きではありませんし。それに、力で勝てるとはちょっと……」
「だよな」
言ってしまえばエンドリュースは男爵、ボンドミルは侯爵。地位に差があるということは、まあいろいろあるのよ。要するにうちの兵士よりも、ボンドミル侯爵が連れてきた兵士のほうが武装だの何だので強そう、というわけ。
そういう相手に対抗するには、エンドリュースの女である私が行くしかない。そして、急がないと。
「ただ、馬で行ってもやっぱり数時間くらいかかるだろ」
「主様ー。私、ひとっ飛びしましょうか?」
クロード様の言葉に答えたのは、今までじっと話を聞いていたナジャだった。ある意味最後の手段だけれど、今一番早そうなのは、確かに彼女だわ。
「あら、お願いできる?」
「飛ぶのか?」
「飛べるとは聞いたことがあるが、見たことはないな」
「そりゃ、今まで出したことないですから。でも、飛べますよー」
クロード様とアルセイム様が、何というか面白そうな顔をしてナジャを見つめている。本性が分かっていても、実際にあちらの姿を見たことはそう言えばなかったっけ。私は殴り飛ばした時にたっぷり見ているけれど。
「レイクーリア、危なくはないのか?」
「一応龍神様ですし、大丈夫だと思います」
「主様ひどいー」
実際に一緒に飛んだことはほぼないのだから、思うとしか言えないじゃないの。ひどいー、ではないわ。
まあそれはともかく、クロード様は「分かった」と頷かれてからアルセイム様に向き直られた。
「アルセイムはどうする?」
「レイクーリアが行くのならば、当然行きます」
即答してくださるなんて、さすがはアルセイム様ね。それから、トレイスに視線が集まった。ふと、クロード様が首を傾げられる。
「トレイスは……3人行けるか?」
「あ、だいじょぶですよ。行きますか?」
「……同行する」
「了解でっす。はい皆様、こちらにー」
前に足でもつかめるから4人OK、と言っていたはずですけれど。まあ、実際に見たこともなければ飛んだこともないのだから、致し方のないことね。
そんなことを考えている間に、ナジャが一番大きな窓を開けた。え、もしかしてここから出るの? まあ、飛んで行くのならどこからでもかまわないけれど。
「トレイスさんは、アルセイム様にしっかりつかまっててくださいね。主様とアルセイム様は、これで」
で、窓際まで寄っていった私たちに、テキパキと指示をする。トレイスがアルセイム様につかまったところで、ナジャは私とアルセイム様の腰を両腕で抱え込んだ。
「それじゃ公爵閣下、ちょっと行ってまいります!」
「頑張ってこいよー」
呑気なクロード様の声が、ナジャが床を蹴った瞬間あっという間に遠くなる。そうして私たちは、一瞬にして高い木の上のさらに上まで飛び出した。