55話 裏から回ってお疲れ様
「あ、でも」
ふと、ナジャが真面目な表情に戻ってこちらに視線を向けた。クロード様に直接言葉をかけるのは、まあやっぱりナジャだから、ね。
「アナンダ兄様の結界で、お屋敷の守りは大丈夫だと思いますけど」
「しかし、軽い結界だろう。それに、お前さんもいるのに龍神様の力ばっかり借りてるわけにゃ行かねえぞ」
彼女の正体を一応ご存知であるせいか、クロード様もお気軽に答えられる。……これがエンドリュースとグランデリア以外で通用しないことをうっかり気にしていなかったのが、ボンドミル侯爵に対する大きな間違いだったのかも知れないわね。
「最悪の最悪になったらナジャ、お前さんレイクーリアとアルセイムだけ引っ掴んで逃げろ。龍神様なら、そのくらいできるんだろう?」
「余裕ですよー」
最悪の最悪、という事態を考えたくないのだけれど、それをクロード様はさらっとお言葉になさるのだ。それに対してナジャも、相変わらず脳天気な口調で答える。更に、言葉を追加して。
「龍に戻ったら足でも掴めますから、公爵閣下とジェシカ様も連れて行きますよ。だいじょぶですー」
「おいおい」
「ナジャ。母上はまだお身体が回復しきっておられないから、慎重に頼む」
「アルセイム、突っ込むところはそこじゃねえ」
あら、おかしいわねえ。アルセイム様は真面目にナジャにお願いなさっているのに、クロード様ったら。
……それとも、私の考え方がおかしいのかしら?
「……あー」
ふと、ナジャが視線をあらぬ方向に巡らせた。何だか楽しそうに笑っているから、きっと面白いものが見えたのね。
「どうした?」
「結界にぶつかってひっくり返ったお馬鹿さんがいますー。裏門近くの茂みに落っこちてますねー」
クロード様の問いに即答して、肩を震わせるナジャ。ああもう、そんなに面白いのなら私も見てみたいわ。
それにしても、そこまで細かく見えるのね。アナンダ様の結界と、相性がいいのかしら。
一方クロード様はというと、すぐに表情を引き締められてブランドを振り返った。
「ブランド」
「すぐ調べます。また大変なところに落ちたものですな」
さすがはクロード様の配下、ブランドは即座に頭を下げると退室していった。のはいいんだけれど、大変なところ? そう言えば私、グランデリアのお屋敷の裏門って見たことないわね。
「大変なところ、ですの?」
「そうか、レイクーリアは裏門を使う機会はないよな。あちらは人通りが少ない分、防犯にも気を使っていてね」
「裏門近くの茂みっつーたら、防犯兼ねたイバラなんだよなあ」
「わあ」
お屋敷をよく知っておられるアルセイム様とクロード様のお言葉に、そこに落っこちてしまった哀れな何者かの姿を想像してみた。ああ、顔が引きつるのが分かるわ。トゲトゲのイバラにあちこち刺されて、今頃のたうっていらっしゃるのでしょうね。
さて、裏門に近いところでお屋敷を守る結界に引っかかるなんて、何をしていらっしゃったのかしらね?
「少々荒い感じの殿方を、2名ほど保護いたしました。お怪我を治療しつつお話を伺った後、奥の部屋で丁重に休んでいただいております」
「そうか」
ブランドからその後の話を聞けたのは、昼食を頂いた後ののんびりした一時だった。今も私とクロード様、アルセイム様、そしてナジャとトレイスという顔ぶれで話を聞いている。さすがに、ジェシカ様にはあまりお聞かせしたくない話ですものね。
ところで奥の部屋って……まあ、あんまり考えないことにしましょう。まだまだ、私も覚えなければならないことは多いようだわ。
「で」
「ボンドミルから幾ばくかのお給金をいただいて、グランデリアの屋敷を調べておりましたとのことです。ただ、結界のことはまるでノーマークだったようで」
「ま、うちの結界はこないだ張り直して頂いたばっかだしな。それも、龍神様直々に」
……ブランドの話から察するに、ボンドミル侯爵はあまり良くない素性の方々にお金を渡してグランデリアを調べさせている、のは確実と。
でも、街の住民からお家の噂を聞き出すのは分かるのだけれど、直接お屋敷に来られるなんて……同じことを、クロード様もお考えになったようね。
「つか、何でまた屋敷調べてんだ。侯爵ともあろうお方が、まさか泥棒にでも入る気じゃねえだろ?」
「恐らくはそれかと。目的は金や宝ではなく、こちらの過去などの資料でございましょうが」
「……俺か?」
グランデリアの過去。
貴族のお家なんて、全く後ろ暗いところがない家はまず皆無でしょうね。特に長く続いているお家は後継者争いだの、領地争いだの、その他もろもろあるでしょうし。
でも、どうしてクロード様が「俺か」なのかしら。ねえ、アルセイム様。
「叔父上。どうしてご自身だと思われますか?」
「ん、そりゃ一番近場で手っ取り早いネタ元だろ。先代公爵の死後にしれっと戻って後継いだ弟なんだぜ、俺」
そうおっしゃってクロード様は、少し苦々しげに微笑まれた。