40話 お清めに来られた龍神様
「終わったぞ」
アルセイム様とはまた違う、涼やかなお声。その主である真っ青な髪の殿方がこちらを振り返ると、いかにも貴族然としたお姿から……そのう、長い尻尾が伸びていますわよ。
「念のため、軽い結界を張り直しておいた」
「ありがとうございます、アナンダお兄様」
その彼の言葉に、ナジャがぺこりと頭を下げる。
そう、この殿方はナジャを通じてお清めの水を下さった水源の守り神、アナンダ様。『終わったら屋敷全体を清めるから呼べ』というお言葉の通り、魔女騒ぎが終わって3日経ったグランデリアのお屋敷においでくださったのよね。
さすがは龍神様というか、とんでもなく麗しいお姿であるのは間違いない。間違いないのだけれど、私にとってはやはりアルセイム様が一番だわ、うん。
「龍神様御自らのお手を煩わせて、申し訳ない」
「いや。オレのような若造は、こうやってたまには人前に出ないと忘れられるからな」
屋敷と周りの敷地内を自ら案内されていたクロード様が、改めて頭を下げられる。それに対してアナンダ様は、薄い唇を引いて笑みを浮かべながらそうお答えになった。
「若いのですか」
「そりゃもう。ナジャなんて、人間で言うとまだまだよちよち歩けもしない赤子だぞ」
「あうう、否定できないです……」
「まあ」
あの、クロード様。龍神様お相手にそんな質問、失礼ではないのでしょうか? アナンダ様が笑いながらお答えくださったから、まだ良かったのだけれど。
それとナジャ、確かにあなたは龍神様の中でもものすごく若い、というか幼い部類ですからね。
「……しかし、魔女がまだ生き残っていたとはな」
少し長く伸ばされた爪で、アナンダ様は青い髪をかき回される。人なら傷むのを気にしなければならないのでしょうが、何しろ龍神様。おそらく、大したことはないのでしょうね。
「あれがもっと力をつけていれば、我ら龍も危機を迎えていただろう。エンドリュースの娘御、感謝する」
「いえ。私はただ、アルセイム様のためにと思いまして」
「素直で良いな」
「レイクーリア嬢は、素直が取り柄ですからな」
アナンダ様に礼を述べられて、ちょっと恐縮する。それでつい、私の本音が出てしまったのだけれどアナンダ様も、そしてクロード様も特にお怒りになることはなかった。
ああ、よかった。さすがにアナンダ様をお相手にして、勝てるとは思えないもの。……普通はお怒りになった龍神様を相手に戦をしようなんて、思わないのだけどね。
「まあ、エンドリュースの者は嘘がないのが特徴だと、龍女王より伺っている。お前はそれでいい」
「……ありがとうございます」
あくまでも微笑みを浮かべられたままのアナンダ様にそうお言葉を頂いて、私は深々と頭を下げるしかなかったわ。ええ、少しでも失礼なことを考えてしまってごめんなさい。ナジャは例外だから、ええ。
と、アナンダ様の視線がクロード様に戻ったようだ。はあ、緊張するわね。
「グランデリアの息子は、良い力を手に入れたな」
「それは、レイクーリア嬢のことでしょうか」
「そうだな」
まあ。アナンダ様にお認め頂けたなんて、とっても嬉しいわ。
だって、私はアルセイム様のための良い力、と言って頂けたんですもの。メイスを握る手にも、力がこもるというものよ。
ああもう、どうしてアルセイム様がここにいらっしゃらないのよ。いえ、ジェシカ様のお身体を案じてあちらにこもられているのは分かりますし、ここで私がわがままを言ってはいけないのだけれど。
「それと、癒やしの力もだ」
そうしてアナンダ様は、アルセイム様がお持ちの力を挙げられた。改めてクロード様と私、それからナジャを見渡してから、お言葉を続けられる。
「戦に赴けば、傷を作るのは当然だからな。グランデリアの跡継ぎは、エンドリュースの娘が傷を負ったままではいやだろう」
「はい、アルセイムもそうですが自分も、同じ気持ちです」
「当然ですよ。アルセイム様と主様は、とてもとてもお心がつながっておられますから」
クロード様が大きく頷かれ、そうしてナジャが彼女には珍しく真剣な面持ちで続く。私は……さすがに、頷くことも首を振ることもできないわ。アルセイム様のお心を私が代弁するなんて、とてもねえ。
私は、アルセイム様に傷がついては嫌だから戦うのですけれど。それに、アルセイム様のあのお力はそもそも、ジェシカ様を癒やしたい一心で御身につけられたのだもの。
でも、そのこともアナンダ様は既に心得ておられた。そうして、クロード様も。
「無論、その力が本来はそのために得られたのではない、ということも承知はしている。だが、せっかく得た力だ」
「アレが存分にその力を使えるよう、今後は後ろ盾となるつもりです」
「それが良いな、さすがは代行者」
アナンダ様がクロード様をお呼びになったその言葉は、きっとクロード様のお務めの終わりを、示していたのでしょう。
私がアルセイム様のお力になることができるその日まで、グランデリアのお家を守るというお務めの。