35話 準備運動はしっかりと?
「うぬぬ……ええい!」
あら、パトラが鬼のような顔をされてこちらに突進してきたわ。両手が光っているから、何かの魔力なのでしょうね。
「おのれおのれえ! まとめて叩き潰して、私の糧にしてやるわああ!」
「え、いやですわ」
走る勢いに乗せて、拳を握って繰り出されるパンチ。私はそれを、メイスで受け止めた。ごん、と石同士がぶつかるような硬い音がして、パトラは顔を引きつらせながら後ずさる。
え、私ですか。あのくらいなら、ほんの少し後ろに引いただけ。態勢もほとんど崩れないし、魔女ってこれほど弱いのかしら。まあ、いいわ。
「トレイス、扉を開けてくださいませ。叩き出します」
「はい!」
玄関扉の前にいるトレイスに声をかけて、扉を全開にしてもらう。パトラには外に出てもらうのだけれど、その前に私はアルセイム様に、振り返らないままお願いをした。
「アルセイム様は、その水を持ってジェシカ様のところへお急ぎください」
「いや」
あの、私はアルセイム様にお願いをしたのですけれど。どうして、クロード様がお答えになるのでしょうか?
「アルセイム、お前はレイクーリアと一緒に行け。若い連中にやらせるってのはアレなんだが、俺がいても役には立たんしな」
「叔父上?」
……えー。
あ、パトラ、パンチは効かないってさっき解ってるじゃないの。どうしてまた殴ってくるのかしら、私のメイスで弾き返されるだけなのに。ほら。
「ぎゃんっ!」
「アルセイム様、公爵閣下?」
今度は床の上にばったんと情けなく倒れたので、振り返ってみる。まあ、クロード様がアルセイム様から壺を取り上げておられるわ。
あ、ミリア様とカルメア様はぽかーんと見てるだけね。私の背後にいれば、大概は大丈夫でしょうけれど。
「戦うのはレイクーリアなんだろうが、もし怪我したらどうする。お前しか癒せんだろうが」
「……確かに」
クロード様、なんてことをおっしゃるのかしら。私がアルセイム様の前で怪我するなんて、そんな恥ずかしいところをお見せできるわけがないじゃないの。
なんてことを思っていたらクロード様ったら、私におっしゃった。
「それにレイクーリア。お前さんも、アルセイムと一緒なら力も倍増だろう」
「貴様あ!」
「はい、それはもちろん」
ああもう、パトラの声が邪魔だわ。声のした方向に思い切りメイスを振ったら、がつんとなかなかの手応えがあった。多分、顔面直撃ね。ご愁傷様、さすがに撃破はできてないみたいだけれど。
「ふふ、駄目ですわよ? 見ていない時にかかってこられては」
「……バリアを張って、この威力じゃと……」
「まだお屋敷の中ですのに、うっかり手加減できないかもしれませんもの」
ああ、魔力でバリアを作って吶喊してきたのね。お屋敷の中では、今くらいの反撃が精一杯なのよね……うっかりしたら、敵を跳ね飛ばしてお屋敷の内装に被害が出てしまうもの。
玄関は開いているからそこから出せばいいのだけれど、突っ込んできたところを跳ね返したら間違って柱にぶつかったりしそうだものね。
「トレイス」
「分かっております。アルセイム様はお守りしますので、レイクーリア様は心置きなく戦をお楽しみください」
「ありがとう、嬉しいわ」
アルセイム様の侍従たるトレイスがそう言ってくれたので、私はとても嬉しくなった。私の大事なアルセイム様は守られているのだから、レイクーリアは全力で戦えますものね。
「『龍の血』どもめえ!」
「うるさいですわよ、はしたない!」
「ぐげ、ぐぇ!」
また突っ込んでいらっしゃったパトラを、今度はメイスじゃなくて空けた右手で顔面をひっつかんだ。そのまま、えいと放り投げる。よしよし、うまく玄関を通り抜けて表に出たわ。
ちらりと背後を振り返ると、クロード様がはっと気づいたように頷いてくださった。まあ、もしかして私の戦を見ていてくださったのかしら。光栄だわ、でも早くお逃げくださいましね。
「姉上、カルメア、早く屋敷の奥に」
「わわわ分かっているわよっ! カルメア、早くなさい!」
ミリア様、ずーっとあっけにとられていたようね。クロード様に言われてやっと、正気を取り戻されたよう。
その横にいたカルメア様は、ミリア様に声をかけられて。
「……レイクーリア様、がんばってー!」
「え?」
なぜか、私の名を呼んでくださった。ま、まあ応援してくださったのだから、悪い気はしないわね。
「が、がんばりますわカルメア様っ」
「カルメア、何言ってるの。ほら早くっ」
えーあーまあ、何だかミリア様がこめかみに青筋立てていらっしゃるけれどあまり気にしないようにしましょう。と言うか、早くパトラを追いかけないといけないし。
「では、参ります」
「一緒に行こう」
「はい、アルセイム様」
アルセイム様と言葉をかわしながら、表に出ましょう。ふふ、ジェシカ様やクロード様、アルセイム様を傷つけたその罪、思い知っていただきますわよ、パトラ。