34話 まずは戦の準備をば
ぎりぎりと歯を噛み締めながらこちらを睨みつけてくるパトラに、ナジャがのほほんと答えてみせた。
「お清めの水ですよー。お化粧剥げましたか、もしかして」
「貴様あ! 何故じゃ、何故スリークと鉢合わせなんぞっ!」
「あ、もしかして顔合わせないようにしてたんですか? そういえば公爵閣下やアルセイム様、ミリア様の前じゃパトラ様のお名前出してませんでしたっけ。言わせないようにしてたんですねー」
「……うぐぐぐぐ」
ナジャ、ここぞとばかりに言いたいことを楽しそうにぶつけてるわねえ。しかし、変なところまで気を回していたのね、あの魔女。
感心していると、ミリア様が「ちょっとレイクーリア」と私を睨みつけて来られた。あのう、カルメア様が私の腕にしがみついているのは良いのですか?
「今の話、どういうことよ」
「よく分かりませんが、スリーク伯爵様やミリア様に、自分のことを知られたくなかったのかもしれませんね。まあ、彼女の事情は知ったことではないですが」
「黙れ黙れえ! おのれ、何故スリークと鉢合わせしてしもうたんじゃ!」
推測でしかないので、ぼやかして答えてみる。そういえば前にミリア様がスリーク伯爵と一緒に来られた時、パトラは出てこなかったものね。……ミリア様のお相手をするのが面倒だった、かもしれないけれど。
そんなことを考えていたら、ナジャの台詞がいつの間にやら愚痴に移行していた。まあ、相手が『龍には感知されないように能力を発達させた』魔女なんだから仕方のないこと、なのだけれど。
「ああもう、私が私なのが悔しいですー。すぐに気付けなかったんですもん、むかつく!」
「良いからナジャ、結界をお願い。外に出すわけには行かないわ」
とはいえ放っておけないので、彼女に任務を与えることにしましょう。玄関扉の前にはトレイスがいるけれど、ナジャなら通してくれる、はず。
「お屋敷の中で主様が暴れたら、それこそ大変ですよー」
「あ」
でも、ナジャに言われて気づく。ええ、自覚はあるわ。こんなところで私が、いくら敵相手とは言え全力で暴れたりしたらその、多分良くてお屋敷半壊……魔女の抵抗も考えると、ええ。
と、ここで口添えをしてくださったのがクロード様だった。まだはっきり状況把握なさっておられないと思うのだけれど、決断はお早いようね。
「よく分からんが、だったら屋敷の敷地全体を囲んでくれ。屋敷の中が駄目でも、庭を使えば大丈夫だ」
「ありがとうございます、公爵閣下。だそうですわ、ナジャ」
「りょうかーい」
グランデリアのお屋敷の敷地って結構大きいのだけれど、大丈夫かしら。まあ、龍神様をお祀りしている祠とかもあるでしょうし、何とかなるわよね。
で、どうしてナジャはこちらに駆け寄ってくるのかしら。というか、私じゃなくてアルセイム様に向かって。
「あ、アルセイム様。これ魔女の呪いとかお清めできるお水なんで、よろしくおねがいしますねっ」
「あ、ああ」
まあ。
ナジャ、アルセイム様に壺をぽんと渡してくるりと踵を返し、そのままぽーんと魔女の上を飛び越えた。そうして、トレイスのすぐ横に着地する。
「空気が変わったら、お外に出しても大丈夫ですよー」
「……分かった」
それで分かったのかしら、トレイス。そのまま玄関を開けて出ていくナジャの背中を守って、魔女を睨みつけている彼の思考は、私には分からないわね。
「……ぐぐぐ……ここでお前さんたちを負かして、今一度術をかけ直せばまだっ」
「あら」
そんな私たちの視線の真ん中にいる魔女パトラが、そんなことをおっしゃった。
そう、『負かして』。
「つまり、勝負を受けてくださるのですね。パトラ」
やったわ。グランデリアを蝕んでいた魔女と、本気で、遠慮なく、戦える。
何しろ、向こうもやる気ですもの。エンドリュースの娘として、アルセイム様をお守りする者として、俄然張り切ってしまうわ。
「それで結局、あのパトラって何なの」
「何でも、『龍の血』の力を吸い取って自分のものにする魔女、なんだそうですよ」
「は?」
一方私の背後では、アルセイム様がミリア様やクロード様たちに事情を説明してくださっている。まあ、ミリア様のその反応が普通でしょうね。
「おとぎ話で聞いたことはあるけれど、実在したの?」
「今、目の前にいるからなあ」
「さすがに、公爵閣下のご令嬢として潜り込んでいるとは思いませんでしたけれど」
クロード様、何だか呑気でいらっしゃいますわね。まあ、そのへんはまたあとで。
おそらく、ご自身お子が作れないお身体というのを忘れさせられていたのでしょうから。
「あの、ということは、魔女がグランデリアの家に入り込んだ理由は……」
「ジェシカ義姉上のお身体が悪いままなのはそれでか。義姉上から、『龍の血』の力を吸い取っていたと」
「バレてしもうては、致し方あるまいのう」
カルメア様が半分泣き顔で尋ねてくるのに、クロード様が代わりにお答えくださる。ああ、さすがのパトラも開き直って頷いてきたわ。
「あの病人が力尽きても、まだ嫡子がおるわえな。その婚約者も、聞けばエンドリュースの娘とな」
「それで、私とアルセイム様にあのプチケーキを食べさせて、徐々に支配下に置こうとなさったのですね」
今、一瞬空気が清々しくなったのが分かった。多分、ナジャが結界を完成させたのでしょう。
ならばもう、遠慮する必要はありませんわね。ああ、まずはそこの玄関扉から魔女をお庭に叩き出す必要がございますけれど。
「良うございます。エンドリュースが娘にしてアルセイム様の婚約者、このレイクーリアがあなたを叩き潰して差し上げますわ」
戦いの前なのですから、きっちりと名乗りを上げないといけませんわね。龍神様のメイスを掲げて名乗る私に、パトラがびくりと身体を震わせたのは……あら、怖いのかしら。いやですわ、魔女でしょうあなた?