33話 お帰りなさい、ちょうど良かった
「ああああのあのあの」
「ん?」
妙にもだもだした感じの声が聞こえてきて、そちらに視線を向ける。……あらら、カルメア様がお顔を髪に負けないくらい真っ赤になさってるわ。
「カルメア様、大丈夫ですの?」
「ああああの、ここここだねとかたねなしとかえーと」
「あらあら」
まあ、カルメア様ってそちらのお話には慣れておられなかったのかしら。と言っても、子種がどうのっていうお話をされてすぐにそちらの方向に思いを向けられる辺り、知識がないわけではないのでしょうけれど。
そのへんは、おそらくミリア様が原因でしょうね。
「ミリア様。カルメア様がまっかっかですわよ」
「その子は箱入り娘に育てたからね、免疫がないのよ」
ほらやっぱり。
そんなことでは、輿入れした先で大変ですわよ。実践訓練をしなさい、とは申しませんが、それなりに度胸を付けておきませんと。
「って、そうじゃなくて」
「叔母上」
ミリア様が話を変えようとなさったところで、アルセイム様が口を挟んでこられた。ひとまず私は、カルメア様をなだめることにしましょう。おお、よしよし。
「叔父上は、間違いなく子供を作れない身体なのですね?」
「そうよ。今言ったでしょう」
「分かりました」
念のための確認。アルセイム様のお言葉と、それに対するミリア様のお答えをもう一度私は、しっかりと聞き取った。
つまり、だ。
殴るべき相手が、これではっきりしたということね。ああ、嬉しい。私の力が、存分に振るえる時が来たわ。
「……レイクーリア、さま?」
「ああ、大丈夫ですわよカルメア様。何の心配もございませんからね」
「……はあ」
おっと、カルメア様を落ち着かせて差し上げないとね。メイスを脇に挟んで、カルメア様の両手をそっと握りしめて言葉をかける。
ああ、私より柔らかくて小柄な手。きっと、婚礼の申込みはたくさん来るはずよ。がんばって下さいませね。
……ところで、顔の赤らみが引かないのだけれど大丈夫かしら、カルメア様。
と、玄関の扉が開いた。その向こうから、聞き慣れた声が聞こえてくる。
「姉上?」
「え」
あら。クロード様とパトラ、帰っていらしたのね。クロード様がミリア様にぽかんとしていらっしゃるのは分かるとして、パトラはどうして焦り顔になっているのかしらねえ。その後ろからついてきた使用人が、不思議そうな顔をしている。
「うわ、やば」
「トレイス、逃がすな」
「はっ」
なぜか、くるりと身を翻しかけたパトラの前にひらり、とトレイスが滑り込む。まあ、何という足の速さ。一瞬消えたように見えましたわ。
ふと、カルメア様が私に尋ねてこられた。
「……あれが、パトラ、ですの?」
「ええ、そうですわよ」
頷いてみせると、カルメア様が何だか怯えたように私の背後に隠れた。まあ、その選択は確実に正解なのですけれど。ひとまず、メイスを持ち直すとしましょうね。
いつでも、振り回せるように。
「クロード、あんた何よ、その子」
「何って、俺の娘ですよ姉上。そういえば、初めてでしたっけ?」
「あんたに娘ができるわけないでしょうが。それとも養子取ったの?」
「何言ってるんですか、俺の娘なんだって」
一方、ミリア様とクロード様が何というか、微妙に話のずれた口論に入った。パトラは何とかして逃げようとしてるけれど、トレイスが玄関扉を背にしているのと他の使用人が状況読めずに動けないでいるせいで表に出ることができない。
よし、今ね。
「ナジャ」
「いっきまーす」
私が名前を呼ぶと、はい待ってましたと言わんばかりにナジャが思いっきり壺の中身をぶちまけた。クロード様とパトラ、それに他の使用人たちに、清めの水が突然の雨のごとく降りかかる。あ、ミリア様も濡れてしまわれたけれどまあ、いいか。
「くっ」
「きゃあ!」
「わっ」
「うぎゃああああああああああああっ!?」
クロード様、ミリア様、使用人たちはいいとして、パトラの雄叫びにも似た悲鳴は異様よね。大したことのない水のはずなのに、顔を手で抑えてその場にしゃがみ込んでしまったわ。
「はい、公爵閣下と使用人さんはこっちですー。ミリア様も早く」
「え、あ、ああ」
「ちょっと、何なのよ一体!」
そのままナジャが、そそくさとクロード様やミリア様たちをこちら側に誘導する。清められても言葉がまるで変わらない辺り、ミリア様には魔女の呪いはかかってなかったようで何よりですわ。
そうしてトレイスが玄関扉をしっかり締め切ったところで、パトラが顔を上げた。
「お、おのれ、何じゃこれはあ!」
……あら。
髪も、お洋服も、身体のサイズもそのままで、お顔とお声だけがまるで別人になられましたわ。
人はあの、真っ赤に血走った目を吊り上げてぎりぎりと歯噛みする、醜いお顔の方をなんと呼ぶのでしょうね。
ぎしぎしとしわがれた声でおのれ、と毒混じりの言葉を吐き出すあのお方を、何と呼ぶのでしょう。
答えは、魔女。