26話 化けてこぼれてあら大変
「……ふう」
顔も髪も整え終わって一息ついたところで、どういうわけかふと昨日のプチケーキを思い出した。いえ、これから朝食なのだから、特に何も食べる必要はないのだけど……何だか、気になるわ。
「どうなさいました? 主様」
ナジャが不思議そうに私を覗き込んでくる。まあそうよねえ、外から見て私がどんな顔してるのか分からないけれど、いきなり考え込んでしまったものね。
気になるのはしょうがないわ、聞いてみましょう。
「昨日のあれ、残ってないかしら」
「昨日の、ですか?」
「ええ。あのね、パトラの持ってきてくれたプチケーキなんだけど」
「あ、あれですか」
どうしてですか、とも聞かずにナジャは答えてくれる。そうか、さっきの話から続いていると考えればある種の証拠になるかもしれないものね。私、それで気になったのかしら。
「ちょっと待ってください、確か1個だけ残ってたんで、しまっておいたはずですー」
なんてことを考えているうちに、ナジャは控えの間に引っ込んだ。昨日の今日なら、特に食べても問題は……ない、わよね……うーん、と思っていたら。
「ひゃあ!」
あら珍しい、ナジャが悲鳴を上げたわ。慌てて私は、龍神様のメイスをひっつかんで控えの間に飛び込む。めったに入るところじゃないけれど、たまには良いわよね。
「どうしたの……えっ」
「ふぇ、主様あ」
あらら、本当に珍しい。というか、涙目のナジャは私にぶっ飛ばされて降参したときと、その後龍女王様から私の侍女になるように命じられたときに続いて3回目よ。まあ、それはともかくとして。
そのナジャの前、床の上にプチケーキ『らしきもの』が転がっている。横にぽつんと落ちているベリーを見ても、放り出されている箱を見ても多分それは確かだ。
けれど、昨日はどのケーキも普通に美味しそうな彩りをしていたのに、床の上にぐしゃりと落ちているそれは何とも言えない毒々しい、こう赤と黒と紫とその他様々な色がぐにゃぐにゃと混ざり合っているもので。
「……一晩で、こんな色になったの?」
「みたいですう……」
何てこと。たった1度夜を越えただけで、いくら何でもケーキがこんな色になるなんてありえないわ。
というか……私、こんなものを食べていたの? 私だけではなく、アルセイム様だって。
「ごごごごめんなさい主様! 私が、ちゃんと気づいてれば!」
ああもう、ナジャがパニックになっちゃってるわ。もう、仕方がないのでまずは彼女をなだめに入りましょう。
「ナジャはまだ若いから、仕方がないわ。龍だろうが人間だろうが、経験がモノを言うことはあるものね」
「でもでも、こんなの絶対変なんです。何で私が気づかなかったんだろう……」
「……」
確かに、そうね。
まだ若い、というより龍としては幼子の部類に入るというナジャ。でも、龍女王様の娘である以上彼女は私よりずっといろんなものに敏感で、それなのにこのプチケーキがおかしいことに彼女は気づけなかった。
『その魔女って何しろ龍の力を食いたがるんで、龍には感知されないように能力を発達させたとか母様言ってましたけど』
「……魔女」
「え」
前に例の夢を見た後でナジャが教えてくれた、龍の力を食らうという魔女。そいつの力なら、今のナジャに感知されなくてもおかしく、ないわ。
「プチケーキに、魔女が力を込めたってことじゃないかしら。それならあなた、気づかないかも知れない」
「うえ、マジですか?」
ほらほら、もう泣かないの。あと、そのケーキだったものの残骸、直に触っちゃ駄目よ。危ないから。
とりあえず使い古しの布をその上にかぶせて、さらにナジャが手袋をしっかりはめて回収。床は後で掃除しましょうね、気を付けて。
「まあ、ナジャは直接魔女と対決したことないんでしょう? だったら、仕方がないかもね」
「うわーん、経験不足が祟りましたあ」
「さすがの龍女王様も、魔女が出てくるなんて思いもなさらなかったでしょうからねえ……」
使った手袋ごとゴミ袋に放り込みながら、ナジャががっくりと肩を落としている。
私も彼女から聞くまで知らなかった、既に滅ぼされているはずの魔女。その存在が、ここに来て妙に現実化してきている。
と言うか、参ったわね……パトラまで、その毒牙にかけられてるってことになるのかしら。そうしたら、恐らくはクロード様も。
ああもう、目の前に出てこなければ叩き潰せないわ。それが、ものすごく悔しいわね。