22話 お加減が悪いのかしら、それとも
朝食の後、私とアルセイム様は連れ立ってジェシカ様のお部屋を訪ねることにした。そのことをクロード様にお話しすると、彼は「それなら」とおっしゃって今朝のデザートだったオレンジのゼリーを持ってきてくださった。
「食事が摂れなくても、これくらいなら喉を通るんじゃねえかな。見舞いに持っていってくれ」
「ありがとうございます、叔父上」
「お心遣い、痛み入ります」
2人揃って頭を下げると、パトラが横からひょこりと顔を出してきた。
「お父様あ、私も一緒に行っちゃ駄目ですか」
「パトラ、お前は暇さえあれば入り浸りだろうが。今日こそはちゃんと、書き取りの課題を済ませてもらうぞ?」
「うわ、わっかりましたあ」
クロード様がきっぱりとおっしゃったのに、少しだけ感心する。というかパトラ、貴族の娘として文字の読み書きは最低きちんとできなければ、さすがにおかしくてよ?
「それじゃあお兄様お姉様、伯母様によろしくですー」
「はいはい、分かった分かった」
「パトラも、課題はちゃんと済ませてね」
やれやれ、と苦笑しつつ預かったゼリーを持ってジェシカ様のお部屋に向かう。さっぱりした甘さが私は好みだけど、ジェシカ様にも気に入っていただける……わよね。このお屋敷にいるシェフが作ったんだから。
アルセイム様には当然のようについているトレイスに扉を開けてもらい、中に入る。最後にナジャが入って扉を閉めて、ジェシカ様付きの使用人たちに案内されて寝室へと向かった。
……以前よりも、空気が悪くなっているのは気のせいかしら。
「母上。レイクーリアと一緒に参りました」
「ジェシカ様、お加減はいかがですか。オレンジのゼリーを持ってまいりました」
「まあ、ありがとう。……それなら、食べられそうだわ」
ともかく、アルセイム様に続いて声をかける。ジェシカ様は使用人にどうにか上半身を起こしてもらって、私たちを迎えてくださった。他の使用人にゼリーを渡すと、「すぐにお出しします」と彼女は下がっていく。
「ごめんなさいね。今朝から少し調子が悪くて、なかなか起きられなかったの」
「パトラから聞きました。ゼリーが食べられそうなら、少しはマシみたいですね」
「喉越しが良いもの」
こうやってアルセイム様とお話をされているときのジェシカ様は、とてもお元気そうに見える。パトラの言っていたことも嘘ではないのだろうけれど、回復なさっているようで良かったわ。
と、私がそんなことを思っていたのに。
「アルセイムもレイクーリアも、元気そうで嬉しいわ。私、もう思い残すことはないわね」
なんてことを、ジェシカ様がおっしゃられた。ええ、それじゃ困るわ。反論しないと。
「そんなことをおっしゃらないでください。ジェシカ様には婚姻の儀式にぜひ出ていただかないと、困りますわ」
「……そこまで、生きていられるかしらね」
「そんな気弱なことを言わないでください、母上」
ほら、アルセイム様もお困りじゃないの。私のお母様は既に亡くなられているのだから、せめてアルセイム様のお母様であるあなたには儀式に出ていただきたいのに。
「そうね。パトラも毎日、元気づけてくれるのにね」
「そうなんですか?」
不意に出てきたパトラの名前に、私の背後で誰かが緊張するのが分かった。誰かしら……と一瞬だけ視線を動かすと、ジェシカ様の使用人の男性だ。はて、何かあったのかしら。あったの、でしょうね。
そんなことは気にせずに、ジェシカ様はお言葉を続けられる。
「パトラが毎日お見舞いに来てくれて、それはとても嬉しいの。だけど、何だかすごく疲れるのよ……どうしてかしら」
「子供ですからね。元気すぎて、母上がついていけないんじゃないですか」
「そうかしら……ねえ、ブライアン」
「は。パトラ様はご本を読まれたり、ぬいぐるみを持ち込まれたりと大変お元気なのですが、おそらくそれにジェシカ様がお疲れになるのかと」
背後の使用人、ブライアンというらしいわね。ともかく、ジェシカ様と彼の証言は心に留めておきましょう。というか、パトラにあんまりはしゃぎすぎないように注意しなくちゃ。多分使用人たちは、クロード様の娘ということでパトラには厳しく言えないでしょうしね。
不意に、ジェシカ様がほうとため息を漏らされた。あら、と視線を向けると、何故か赤くなった頬を両手で抑えておられる。熱でもあったのかしら、と思ったけれど、何か違うわね。
「ああ、今日も朝早くから来てくださって、とっても嬉しかったの。すごく、すごく疲れてしまったけれど、でもやっぱり来てくださらないと私は嫌なの。だって、私は」
「……母上?」
「ジェシカ様?」
やたらと興奮した表情で、熱にうなされるように言葉を続けられたジェシカ様がちょっと怖くなる。トレイスとナジャ、それぞれがぴりと緊張したのは肌の感覚で分かったわ。
「……え。あら、私、どうしたのかしら」
ほんの一瞬後には、ジェシカ様は素に戻っておられた。赤くなったはずの顔はすっかり白く戻っていて、熱があるわけではないようね。……これが空気が悪い理由なのか、それとも空気が悪いからこうなったのか。
「奥様。あまり興奮なさっては、お身体に悪いですよ」
「そう、そう、ね」
ブライアンに声をかけられて、どこかぼんやりとした表情のまま頷かれる。それから困った顔になって、ジェシカ様はこちらに意識を向けられた。
「もう、休むわ。ごめんなさいね、2人とも」
「いえ。ジェシカ様は、ごゆっくりお休みくださいませ」
「母上、お大事に」
そう言われては、ここにいても致し方あるまい。私とアルセイム様は頭を下げて、ジェシカ様のお部屋を後にした。扉から廊下に出るまで、気分の良くない空気がみっちりと占めるお部屋を。