21話 心配事が増えてくる
「あらあらあらー」
ある意味、ナジャ以上に空気を読まない声がここまで届いた。まあ、そんな方はこのお屋敷にはお1人しかいないのだけどね。
「全く。お兄様もお姉様も仲良しすぎて、私が入る隙間がありませんわ」
「パトラ」
とことこと小走りに歩み寄ってきたパトラは、何となくとても元気そうだった。顔も晴れやかで、全身から何かが湧き出ているようなそんな感じがする。ナジャも気がついたのか、微妙な顔をした。
アルセイム様も一瞬だけ不思議そうな顔をなさったのだけれど、すぐに普段通りの表情に戻られた。このあたりはさすがアルセイム様ね……公爵ともなれば、そう簡単に顔色を悟られるわけにはいかないもの。
「来ていたのか。母上のところではなかったんだ?」
「伯母様、今日はずっとお休みですよう。朝ご飯も要らない、っておっしゃってました」
「またか。最近そうなんだよなあ」
パトラの言葉を聞いて、アルセイム様が不安げにお顔を曇らせる。パトラのことはともかくとして……お食事を要らない、とおっしゃるジェシカ様のお言葉に、私はあの夢の言葉を思い出してメイスを握りしめた。
もし、あの夢に出てきた何やらのせいでジェシカ様の健康が損なわれているのならば。
私は、そやつを全力でぶっ飛ばさなくてはならないからだ。そのためにはまず、ジェシカ様にお会いしてご様子を伺わなくては。
「後で、お見舞いに行ってみますわ。アルセイム様はどうなさいます?」
「じゃあ、一緒に行こうか。母上に、仲良くしているところを見てもらって安心していただきたいしね」
「はい」
アルセイム様にご同行していただけるならば、お話もスムーズに進むだろう。よし、と小さく拳を握ったところで、やはりパトラが冷やかしの言葉を掛けてきた。ああもう、私たち以外に人がいなくてよかったわ。照れるじゃないの。
「うっはー、本当に仲良しですのね。早く婚姻を済ませてしまえばいいのに」
まあ、それは私も思うわけよ。でも、そうもいかないのが貴族。様々な決まりごとがあるんだよ、とお父様が少々困った顔をされたことを思い出すわ。
「貴族だとね、そう簡単にはいかないんだよな。式次第はかっちり決まっているし、近隣の領主家や何かを呼んで披露宴もやらなくちゃならないし」
「本当ですわ。庶民でしたらもう、すぐに終わることもあるらしいんですけれど。そもそも式に至るまでにも面倒事がある、とお父様がため息をついていらしたことがありますから」
「母様から聞いたことあるんですけど、主に出費が厳しいんですよねー。衣装とか、ご馳走とか、あと式場の準備とかで」
「確かにそうなんだけどね、ナジャ」
結局のところ、そこが最大の問題なのよね。公爵家の婚礼ともなると、衣装を仕立てるだけでも冗談のような費用と月日が必要になるから。
……それにしても、そんなことをどこでお知りになったのかしら、龍女王様ったら。まあ、人より長く生きていらっしゃるから、それなりに色々ご覧になっているのかもね。
「そういえばお姉様。先ほど、何か深刻なお顔してらしたけど、どうしたんですの?」
「え?」
いきなりそんな風に尋ねられて、私は一瞬怯んでしまった。アルセイム様に相談していたときのこと、パトラに見られていたのね。
……でも、こんな幼い子にまで不安を感染す気はないわ。だから私は、笑って首を振ることにする。
「なんでもないわ。パトラは気にしなくていいのよ」
「そうなんですか?」
きょとんとするパトラに、重ねて「気にしないでね」と言葉を投げかける。アルセイム様もまた、小さく笑みを浮かべられて援護を下さった。
「うん、大丈夫だよ。これは俺たちだけの問題だからね」
「……分かりましたあ」
アルセイム様の微笑みに、さすがのパトラも頷いてくれた。そうね、あなたは本当に気にしなくていいのよ。あの夢がもし何かの警鐘であれば、私はあなたまで巻き込みたくないもの。
そんな私の気持ちには気づいていないと思うけれど、でもパトラは私とアルセイム様を見比べながら優しい言葉を掛けてくれた。
「でも、お兄様もお姉様も、お気をつけてくださいねえ」
「ええ、ありがとうねパトラ」
「気を使わせてすまないな」
「平気ですよ。だって」
一度そこで言葉を止めて、パトラはくるりと回る。黒髪とふわっとしたスカートが広がって、とても可愛らしい。
そのままの表情で彼女は、満面の笑みを浮かべて言ってくれた。
「アルセイムお兄様もレイクーリアお姉様も、私にとっては大事な方々ですから」