1-7
「役立たず…」
微かな声が頭上から聞こえた。同時に空から影が降ってくる。それはリデルと魔獣たちの間に割って入った。
魔獣たちは新たに表れた珍客に、再び距離を取った。
リデルは一瞬身を強張らせたが、その後姿にポカンとしてしまう。
青く長い髪。その間から伸びる、長い耳。
「聖霊族……?」
今度こそ、正真正銘、本物の。
彼はリデルを振り返った。冷たい視線に、リデルは思わず身を竦める。
「行けよ」
低い声が言った。視線はもう魔獣に向けられている。
「ここはオレが引き受ける。アンタたちは村へ帰れ」
「…一人で……?」
「もうすぐレオンも来る。問題ない」
彼は腰に下げていたレイピアを抜いた。僅かな呪文の詠唱と共に一振りすれば、風が巻き起こり、数匹の魔獣を吹き飛ばした。
(この人強い…!)
一瞬で判断して、リデルは身を翻した。ローズの腕を取り、無理矢理立ちあがらせる。青年を振り返る。
「ごめんなさい!お願いします!!」
彼はヒラヒラと手を振った。さっさと行けという意味だ。
リデルはローズの手を握り、走り出した。
足音が遠ざかる。それを聞きながら、聖霊族の青年は息を吐く。その口元が綻んでいる。
「ったく…アイツの娘らしいな」
獲物を横取りされた魔獣が怒りの咆哮を上げた。
リデルは村までの道を一気に駆け下りた。木々の合間に人家の屋根が見えると、思わずホッとした。
森を抜け、村の中心まで戻る。
リデルは息を吐いた。
「ローズ、大丈夫?」
後ろを振り返る。ローズは青い顔をしていた。
リデルは顔を覗き込む。
「…ローズ?」
ローズは我に返った。慌てて両手を振る。
「大丈夫!ごめんね!!」
「ならいいけど…」
魔獣に襲われたせいだろうと、リデルは思った。ローズは活発といっても、普通の村娘だ。
リデルは森に目を戻す。
レオンが来ると駆け付けると言っていた。問題はない筈だ。
あのまま残っても足手まといにしかならない。そう思ったが、不安は残る。
「あの人、大丈夫だったかな…?」
「平気だよ」
ローズがポツリと呟いた。その表情はやはり暗く、いつもの笑顔はない。
リデルが心配そうに見つめていると、彼女はパッと表情を変えた。
「ずぶ濡れだね。早く帰って着替えないと、風邪ひいちゃう!」
「え?あ、うん…」
「じゃあまた明日!」
ローズは走り去った。無理矢理別れたような印象を受けて、リデルはしばらくその場を動けずにいた。
ローズは家に走り込む。
乱暴に扉を閉めて、ようやく息を吐いた。その頭上に影が落ちる。
「あ……っ!」
高らかな音と共に、ローズはよろめいた。頬を押さえる。
「今日は村から出るなとあれほど言った筈だが?」
「…ごめんなさい……」
ローズは俯き、弱々しい声で答えた。
ローズを引っ叩いた少年の後ろで、ローズの祖父母とされる老夫婦が心配そうに見守っている。しかし助けは出さない。
「そんなに閉じ込められた生活を送りたいのか?」
「それは…!」
「自分の身勝手で、何人殺せば気が済む?」
少年の言葉は冷酷だった。ローズの表情が強張る。
両手を握り、何も言い返せずただ俯く。
少年は冷やかな目でローズを見下ろしていた。やがて静かな声で告げる。
「森へ行く事は完全に禁止だ。いいな?」
「…はい……」
ローズは蚊の鳴くような声で答えた。
少年がローズの横を通り過ぎる。そして雨の降りしきる外へと出て行った。
ようやく祖父母が動く。
「大丈夫かい?」
「こんなに腫れて…それに早く着替えないと、風邪をひいてしまうよ」
ローズは首を左右に振る。
「何もいきなり叩く事はないのに…痛かっただろう?」
「いいんだ。仕方ないよ……」
ローズは力なく答えた。弱々しく笑う。
「だって本当の事だもの。私はまた自分の勝手で…人を危ない目に遭わせた」
目を伏せる。今まで我慢してきた体の震えは、濡れたからではない。
「リデルもあの子のように死なせていたかもしれない…私が…私のせいで……」
我慢してきた涙が零れる。
ローズの脳裏には凄惨な最後を迎えたある人物が浮かんでいた。彼女に向けられた罵詈雑言と共に。
祖父母がありきたりな慰めの言葉をかける。だがローズに届く事はなかった。