1-6
深い森。濃い緑が山を覆い、薄い霧が人を迷わせる。
スタットはそんな場所にある小さな村。
街へ行ったというレオンが帰ってきたのは、陽も暮れた頃だった。沢山の物を籠に背負って。
薬草だけで仕入れられると思えない量だ。
ヴィーゼは訝しんだが、詳しい話は一切聞かなかった。自分たちは客人である。ここがどんな場所か、いずれ出ていく自分たちは知らなくてもいい事だ。
リデルは最初から気にしていない。今日もローズの所に出かけている。
同じ年頃の友人と、こんなに気さくに付き合う事も少なかったのだろう。ただ楽しそうだ。
一方ヴィーゼは相変わらず暇である。薪割りも、朝一時間あれば終わる。掃除・食器洗いも三十分あれば終わる。
そんなこんなで暇を持て余していると、母屋の蔭からひょっこり金色の頭が現れた。
じっと眺めていると、出たり隠れたり、忙しなく動いている。
あの大きさならシャインだろう。あの病弱な少年が外に出ているのを、ヴィーゼは初めて見た。建物の影に回り込む。
シャインは小さな椅子に腰かけていた。大きな籠が一つと、小さな笊が沢山…彼を中心に円を描くように置いてある。中には薬草と思しき草が大量に入っていた。
小さな少年はせっせとそれを仕分けているのだ。
「お手伝い?」
「!!?」
少年は飛び上がった。まん丸の目でヴィーゼを見る。
驚いたのは彼も同じだ。驚かれた事に驚いた。が、固まってしまった少年を前に、彼は申し訳なさそうに頭を掻いた。
「すまない」
少年ははっとする。それからフルフルと首を左右に振った。弱々しい微笑みを浮かべ、作業に戻る。
ヴィーゼは少し離れた場所にしゃがみ込んだ。
「薬草、分かるんだ?」
シャインは頷く。籠に手を入れては、それを笊へ種別ごとに分けていく。
「今日は調子がいいの?」
再び頷いた。
そうと思えないほど白い顔をしている。普段なかなか光に当たれないせいもあるだろう。金の髪に相まって、幼いながらも儚い美を際立たせている。
「お姉さんと同じ、蒼い目か……」
ヴィーゼは呟いた。シャインが顔を上げる。それまで忙しく動いていた手が止まる。
「お父さんは緑、お母さんは紫。目の色だけが二人とも違う」
「おじいちゃんに似たんだ」
彼らがここに来てから初めてシャインが口を開いた。再び作業に戻る。
「お父さんのお父さん。おじいちゃんが青いんだ。おじいちゃんのお父さんも青いんだって」
のんびりした口調でシャインは言った。手の動きとは大違いだ。
不意にその手が止まった。シャインが顔を上げる。ヴィーゼを見、にっこりと笑った。
「お父さんの目はね、おばあちゃん似なんだって」
「そうなんだ」
ヴィーゼは笑い返した。
そこにレオンが現れる。シャインに向かって小首を傾げる。
「シャイン、終わったか?」
「ま、待って。もうちょっと……」
籠を引き寄せて、ワタワタと中を探る。
レオンはそれを覗き込んだ。するとシャインが籠抱えて、中を塞いだ。
「だめっ。ぼくがやるの!」
「わかった、わかった」
レオンは苦笑する。少し乱暴に息子の頭を撫でた。
「俺は少し出掛けてくるが…終わったら中に戻るんだぞ」
シャインは頷いた。取られると思ったのか、一心不乱に手を動かしている。
レオンは僅かにヴィーゼを目に向けた。
「リデルは?」
「ローズさんの所に遊びに行きました」
「…ローズには今日、村を出ないように言ってあるんだけど。あの子の事だからな……」
溜息交じりに呟いて、どこかに歩いて行ってしまった。
残されたヴィーゼは、そのままぼんやりとシャインの手の動きを眺める事になった。
不意に日が翳る。見上げると、黒い雨雲が青い空を覆い始めていた……
◆
リデルはローズに連れられて森に来ていた。
森に来てする事といえば、季節の木の実を拾い集める事くらいだ。
ローズは毎日のようにリデルを誘って、村の外に出ていた。今日も今日で、栗に似た大量の木の実を籠に入れ、満面の笑顔である。
「それはどうやって食うんだ?」
「甘露煮にするんだぁ。レオンが昨日お砂糖と蜂蜜をいっぱい仕入れてくれてきたからね」
ローズは大事そうに籠を抱える。
リデルはその様子に小さく笑った。
「そんなに美味いのか?」
「そりゃあもう!食べたことないの?」
山村に住む者なら、子供の時分必ず口にするものだ。調理法は地方によって様々であるが、甘露煮は祭りの時など特別なおやつとして振舞われる事が多い。
リデルは曖昧に笑って「ない」と答えた。ローズは小首を傾げて微笑む。
「じゃあ、出来たらお裾分けするね」
「楽しみにしてる」
約束を交わして。
不意に陽が翳った。二人は空を見上げる。どんよりとした雲が太陽を隠し、青空を覆い尽くそうとしている。
ローズが眉を顰める。
「雨が降りそう。早く戻らないと」
二人は道なき道を走りだした。
空は見る間に暗くなり、遠くから雷鳴が聞こえた。
不意にリデルの足が止まった。何もない木立の影へ目を向ける。そのまま動かなくなった。
ローズはリデルが付いてきていない事に気付き、振り返る。
「リデル、どうしたの?急がないと……」
「先に行って」
リデルは固い声で答えた。
ローズの表情が曇る。戻ってリデルの腕を掴む。
「何言ってるの。行きましょう?」
「先に行って!早く!!」
リデルは怒鳴った。
同時に草むらから魔獣が飛び出してくる。
リデルはローズを突き飛ばした。素早く剣を抜き、魔獣をなぎ払う。手に激痛が走る。
比較的小型の魔獣で助かった。先日のような大きめの魔獣では防ぎきれなかっただろう。
「逃げろ!」
リデルは声を張り上げた。邪魔な手袋を取る。改めて剣を握り直すと、想像以上の痛みがリデルを襲った。歯を食いしばり、魔獣に向かう。
奇襲に失敗した魔獣の群れは、低いうなり声を上げながら、ゆっくりと二人に迫っていた。
ローズは首を左右に振る。
「ダメだよ…リデルを置いてなんていけないよ……」
「庇いながらなんて戦えない!」
リデルは叫んだが、ローズは動いてくれなかった。絶望的な思いで、リデルは対峙する。
魔獣たちはじりじりと距離を詰めていた。最初の一撃が弾かれたからか、警戒はしているようだ。
「ローズ、お願い!早く行って、誰か呼んできて!!」
リデルの声は悲鳴に近かった。それでも尚、ローズは動かない。足が竦んで動けないのだろうか。
稲光が走る。僅かな間をおいて、雷鳴が轟く。
水滴が顔に当たった。次から次へと空から堕ちてくる。
一匹の魔獣がリデルに飛びかかってきた。両手で握った剣を思いっきり振り回し、打ち返す。剣を落としそうなほどの痛みが両手に走る。
滲んだ涙は雨に紛れた。