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スタットから数十キロ。街道沿いにある比較的大きな街。メロウという。
街の中央にはこのあたり一帯を治める領主の屋敷がある。巨大な御殿のような作りの屋敷で、遠くから見てもそれと良く判る。
領主はでっぷりと太った人の好い男だった。人が好過ぎて、隠し事も悪巧みも出来ない。
良く言えば裏表がない。悪く言えば口が軽い。
この日も、いつものように訊ねてきた客人に、先日あった出来事を普通に喋ってしまった。
「はい。ハーヴェルクからの使者の方、確かに参られましたよ」
「何の為に?」
「宰相のご息女を探しておられるとか。あまり良い印象は受けませんでしたが」
地方領主の彼をいかにも見下したような態度であったという。
客人は更に訊ねた。
「それで、何とお答えに?」
「知らぬものは答えようがありません。それに、いくら私でもあの国の内情は存じております」
領主は子供が虚勢を張るように、鼻息を荒くした。
ハーヴェルク王国…王弟が謀反を起こし、国王を殺害した。多くの国王派の貴族も捕らえられ、処刑されたという。命からがら王都を逃げ出した有力貴族も多い。
今はその王弟が新国王となり、暴政を敷いているという。
宰相は真っ先に捕らえられ処刑された貴族の一人だ。
客人が黙ってしまったので、領主は不安になったようだ。顔色を窺う。
「フィード殿…私はまたいらぬ事をしてしまったでしょうか?」
「あぁ…すみません。少し考え事を……大丈夫ですよ。ホーディン様は見聞きなさった事をそのままお話して下されば、それで充分です」
客人が微笑むと、領主はほっとして息を吐く。
領主も口が軽い事は自覚している。慎まなくてはと思うのだが、どうにも調子が良い性格が邪魔をする。
悪い人間ではないのだから、それはそれで良いと客人は考える。彼に与える情報はあらかじめ漏洩すると考え、こちらで調節すればいいだけの話だ。
彼は笑みを深くした。
「ホーディン様には常日頃から並々ならぬご支援を受け、感謝の言葉もございません。ロード様もあまりお言葉にはされませんが、同じ思いでいらっしゃいますよ」
領主はその言葉に深々と頭を下げた。僅かに涙ぐんでさえいる。
「勿体無いお言葉です」
「ですからお願いします。あの村の事だけはくれぐれも口外なさらないよう…たとえお身内であっても。よろしいですね?」
「ええ、ええ。わかっておりますとも」
領主は力強く請け負った。
これだけは十年以上口を滑らせた事はない。
彼は領主からもう二つ三つ情報を引き出すと、最後にもう一回念を押し屋敷を後にしようとした。来た時同様ローブのフードをすっぽりかぶり、裏口からひっそりと。
しかし出る間際、執事に呼びとめられた。
主と違い、細身で神経質そうな老齢の男だ。丁寧に頭を下げる。
「ハーヴェルクからのご使者の事なのですが……」
「何か?」
「百騎ほどの軍勢を連れておいでになりました。騎兵は街の外へ駐留なさいましたが、街のあちこちで彼のご令嬢のことを聞いて回っていたとか。中には異質な魔道士らしき男もいたと」
執事は淡々と告げた。眉一つ動かさない
「私が申し上げるのも差し出がましいと思いましたが、気にかかる事でございましたので」
「いえ、助かります。あの方は気付かないでしょうから」
決して馬鹿にしているのではない。そこがいい所なのだ。ちょっと間の抜けた所が可愛い人だと、彼は思っている。
厳格な執事の口元に微かな笑みが浮かんだ。再び頭を下げる。
「道中お気をつけて」
彼は微笑み返し、今度こそ屋敷を出た。
フードの奥で表情が険しくなる。ローブの下の剣を固く握る。
「相変わらず口の巧いヤツ」
突然の声に驚く事もなく、ゆっくりと振り向く。
そこには聖霊族の青年が立っていた。呆れたように腰に手を当てている。
「あんなボンクラに頼るなんざ、アンタも堕ちたもんだね。神剣の剣士殿?」
「お前は相変わらず口が悪いな、フリーザッハー」
聖霊族は礼節を重んじる。こんな口の悪い聖霊族がいると知ったら、人間たちはさぞ幻滅するだろう。
だが彼に関しては、口煩い聖霊族の長老たちも何も言わなくなっていた。諦めているのだ。
彼は僅かにフードを上げた。
「用件は?」
「せっかちだなぁ。こっちはわざわざ出向いてやってるんだぜ?」
「阿呆。わざわざ出向かせるほどの用事ってことだろうが。お前らと違って、こっちは時間がないんだ」
フリーザッハーは溜息をと共に、首を左右に振った。何処までも人を馬鹿にするような態度だ。
しかし彼は怒る気配も見せない。
つまらなさそうに、フリーザッハーは用件を伝えた。
「長老衆から伝言。あの男が動き始めたってよ」
「そうか」
彼は素っ気なく言って、フリーザッハーに背を向けた。
慌てたのはフリーザッハーの方である。
「おいおい!それだけかよ!?」
「いけないか?」
僅かに視線だけを向けた彼に、フリーザッハーの方が硬直した。思わず後退りする。
彼はフードを被りなおした。
「驚く必要性が見つからない。半世紀も戦っているんだ。そろそろ終止符を打ちたいところだな」
低い声は神剣の剣士と呼ばれ始めた頃そのままだ。立ち去る姿をただ見送る。
姿が見えなくなって、ようやく息を吐いた。
「だから嫌だっつったのに!」
人畜無害そうに見えても、神剣を手にする前は賞金首だったのだ。殆どの人間は覚えていないだろうが。
邪剣士 フィード・ディア
そう呼ばれていたのは随分昔である。それがいつから救世主としてはを馳せるようになったのか…定かではない。
フリーザッハーが知るのは、それが本当の名では無かった事だけだ。今は別の名を名乗っている。
「あ!」
急に彼は大声を上げた。周囲の目を気にせず、慌てて駆け出す。
大事なもう一つの要件を忘れていたのだ。
街を出る直前の所で彼を捕まえる。正確には待たれていた。
「アンタの手助けをしろって言われてんだよ!」
「そんな事だろうと思ったから待っててやったんだろ」
彼は苦笑した。
物凄くシリアスな話ですが、少し笑いも取りたいんです!