5・ネコ耳でツーショット
ライトが眩しい。前方にも左右にも、頭上にも足元にも大小無数の照明器具がある。
ここは写真の撮影スタジオ。だからこういうのがごく普通の光景なんだろうけれど、こんなに沢山のライトを浴びた経験のない俺にとっては異次元空間だ。
モデルの美咲はカメラマンやスポンサーと打ちあわせしている・・・とはいえ、俺と美咲とはシッカリ手錠で繋がれたままだから、俺ももれなく彼女のすぐ隣で、その打ち合わせに付き合わされている。
「じゃあ、そういうことで撮影始めたいところだけど・・・」
カメラマンは苦虫を噛んだような眼で手錠を見つめた。
「問題はそれなんだよなぁ。美咲ちゃん・・・なんでそうなっちゃったわけ?」
俺と美咲を交互に見ていたカメラマンの顔に笑いが浮かんだ。それが苦笑いなのか?それとも人ごみに交じってスクランブル交差点を悠々と歩いているアルパカに遭遇した時の唖然とした嗤いなのか?俺には判別する余裕など無かった。
てか、そんなこと、俺にとってはどうだっていいことだ。
問題は縁もゆかりもない撮影スタジオに無理やり連れてこられた挙句、初対面の奴らに「なんだよ、コイツ?」という好奇心の目でガン見されているというこの恥ずかしさとメガ級の屈辱だ。
「ジロジロ見てないで誰かこの手錠を外してくれよ・・・」
と、口の周りに卑猥な髭を生やしたカメラマンや紺のスーツを着た年配のスポンサーに本音をぶつけたいところだが、実際にはスタジオの華やかな空気に完璧に呑まれ、借りてきたネコ状態で美咲の隣りのソファにオロオロ顔で座っている俺。
「ねえ。それ、どうしても外せないの?」
「鍵がなくて外すの無理なんですよ。すいません」
美咲がスポンサーにペコペコ頭を下げる。
「鍵がないって・・・どこに隠したんですか?」
スポンサーは質問の矛先を俺に変えた。眉間にしわを寄せた顔が2時間ドラマの刑事っぽい。
「か、隠してなんかいませんよ。朝起きたらこういう状況だったんですから」
「でも、手錠が勝手にかかるわけないでしょう。Xファイルじゃないんだから」
それを聞いていたカメラマンがウケ顔でにっこり笑ってから、
「俺、閃きましたよ。その手錠、そのまま使いましょう。突然ですが撮影に協力してもらってもいいですか?」
にやけ顔のまま、グンと俺の方に身を乗り出してそう言った。
俺と美咲とスポンサーの脳内は自信たっぷりに目を細める髭のカメラマンを見つめて「?」でいっぱいになっていた。
「じゃあ二人、もっとくっついて。腕をクロスさせて手錠をアピールして」
カメラマンがソフトな声で指示を出す。指示を出され、ホリゾントの前でポーズを決めているのは美咲と俺。美咲はともかく俺までモデルするなんて・・・それもネコのコスプレでネコ耳のカチューシャなんかを頭に付けられて。金髪のスタイリストの女の子は、ネコのコスプレした俺の髪をオールバックにブラッシングしながら、
「こういう撮影って初めてなんですかぁ?チョット体が固まってるみたいですけど、気持ちを楽にしてれば直ぐに済みますよぉ、ねえ美咲ちゃん」
と俺の隣りで先にヘアメイク終わっていた美咲に同意を求めた。
でも美咲は、
「彼は見た目以上にデリケートなのよ。それに優しいしね」
なんていい加減な答えを返していた。俺を美咲の彼氏だと信じて疑わないスタイリストに「俺達は恋人じゃないよ。信じないかもだけど、今朝目覚めたら手錠で繋がれてたんだ。撮影なんかよりも、こういう状況に巻き込まれて迷惑してる俺を助けてくれよ」と言ってやりたかった。でも、撮影のセッティングを完了している今となっては誰も耳を貸さないだろう。誰も俺の身の上なんてどうだっていいのだ。ただ仕事の段取りをして淡々とそれをこなすことで収入が得られるというのが彼らの唯一の現実で真実なのだ。
俺は死にたい気分だった。聞くところによるとスポンサーは地元で人気のラブホテルのオーナーらしく、「カップルで楽しく充実したひと時を」というコンセプトで雑誌用のPR写真を依頼したらしい。ラブホテルなんて俺は一度も行ったこともないし、これから先も行く機会はないだろう。そんな境遇の俺がラブホテルのモデルしてるなんてあまりにも皮肉すぎる。いや皮肉を超えてこれは精神的虐待だ。なんでこういう展開になるんだよ??俺は心の中で泣いていた。
「はい、オスネコ役の彼氏。もっと笑って。そんな哀しそうな顔してちゃ女の子にモテないよ」
流石はプロのカメラマンだ。優しく笑顔をみせてはいても、俺の作り笑顔が引きつってるのを鋭く指摘してくる。
「ごめんね、こんなはずじゃなかったんだけど。でもお願いだから今だけは私に協力して。このお返しは必ずするから。でも、そのネコ耳結構似合ってるよ」
体を密着させた美咲が指示通りのポーズを取ったままカメラ目線で俺に囁く。
ネコ耳が似合ってる?冗談だろう。自分がネコ耳つけた顔なんか見たくもない。我ながら想像しただけで鳥肌が立つ。
美咲もネコのコスプレでネコ耳をつけてはいるが、少なくとも俺の100倍は似合ってるしバッチリ決まってる。モデルだから当然だけれど白と茶の入り混じった三毛猫のボディスーツが美咲の体のラインを際立たせていてヤケに色っぽい。女性アレルギーの俺でさえも、発作的な息苦しさを忘れて萌えてしまいそうだ。
「はい、いいよ。じゃあ今度はほっぺた同志をくっつけて。目線はこっちね」
プロモデルの美咲は素早く指示に反応して俺の頬に自分の頬を押しつけてくるけど、俺の気持ちは「とほほ・・・」だ。顔に浮き出たジンマシンは濃い目のドーランで隠してあるけど、ラブラブカップルという設定でのネコ耳ツーショットは精神的にはかなりキツイ。
「うーん、もっと体を密着させてくれるかな。ほっぺたも顔の形が崩れるボーダーまでしっかりくっつけてね」
カメラマンは髭面ににやけた笑いを浮かべて酷な注文をつけてくる。もしかしたら俺が苦しんでいるのを知ってて楽しんでいるのかもしれない。そう思うと口周りの髭が妙にSキャラっぽく見える。
「はい、いいよ。イイ感じだ」
カメラマンはそこでカメラのファインダーから一度目を外して、いっそうニヤけた顔で俺たちを見つめた。なんとなく嫌な予感がした。
「じゃあ、キスしてくれるかな?」
ハァ???何言ってるんだこのSキャラカメラマン?
「美咲ちゃん、彼は撮影に慣れてないみたいだからリードしてあげてね」
「はい、分かりました」
って。美咲も何笑顔で答えてるんだよ。「それは出来ません」って言えないのかよ?命令に逆らえないイエスウーマンなんて損なだけだぜ。今はネコのキャラなんだから犬みたいに尻尾振ってご主人様に忠誠誓うことないよ。ネコは何者にも支配されない自由な生き物だろ?自分の気持ちを大事にしろよ。
でも、美咲に俺の気持ちは届かない。
「政道君、お願い。これが仕事だから彼の言う通りにして」
ネコ耳付けて文字通りのネコ撫で声で美咲は懇願してるけど、俺にはもう耐えられない。
「おっと、余り時間ないから早いとこ終わらそうぜ。頼むよ美咲ちゃん。彼も覚悟決めて。仕事とはいえこんな可愛い女子とキスできるチャンスなんて滅多にないんだからね。正直、君がうらやましいよ」
カメラマンはドSキャラ全開だ。キスした経験がない俺にスポンサーやスタイリストのいる前で公開ファーストキスなんてリンチだ。
「俺・・・キスなんて・・・」
そこまで言った時、不意に生温かいものが俺の唇をふさいだ。柔らかい圧迫感に呼吸が止まる。俺の眼には目を閉じて顎を突き出した岬の超どアップの顔があった。緩やかにカーブを描いたまつ毛の付け根までもがはっきりと見える。何が起こったのか判断できなかった。ただ、俺の唇に今までの人生で経験したことのない重大な事態が起きていることは脳の奥の方で、かろうじて感知していた。
今朝美咲と一緒に食べた目玉焼きの微かな匂いが鼻先をくすぐり、うす塩味が唇の隙間から俺の口の中へと流れ込んでくる。「そういえば、目玉焼きに塩振ってたっけ?」目玉焼きをポン酢で食べる派の俺の脳裏には美咲が天塩を振る姿が新鮮に見えた。あの後俺はどうしたんだっけ????必死で今朝の出来事を思い出そうと踏ん張るが、全身の力が抜けて何も思い出すことが出来ない。ただ、脳の一番奥の部分に微弱な電流が流れるようなチリチリとした感覚を覚えていた。
チリチリ、チリチリ、チリチリ・・・・。
どれくらい放心状態が続いただろう。
「はい、いいよー。美咲ちゃん、最高のキスシーンが撮れたよ。ありがとうー」
裏返ったおっさん声で俺は現実世界に戻った。声の方を見ると、髭のカメラマンがにやけた顔で右手を上げていて、その隣りではスーツを着た年配のスポンサーと、金髪のスタイリストが笑顔で拍手していた。
「ありがとう、政道君。君ってキスするの上手いんだ」
「きす・・・」
目の前でこれに微笑みかけているのは綺麗な女・・・。
「キス・・・」
名前は確か・・・まえはら・・みさき・・・。
「Kiss・・・」
俺と美咲が今してたことって・・・???
「キスーーーーーー」
あらゆる意味で現実に戻った俺は再び気を失った。
(つづく)