3・お手々つないで
「ちょっと待った」
玄関から出ようとする女の背中に俺は叫んだ。
ドアノブを半分回していた女は一瞬「なに?」と振り返ったが、そのまま強引に出ようとする。
「待てよ」
俺が右手を思い切り後ろに引くと、女は「痛い」と手錠で繋がった左手首を右手で押さえて
「なにするのよぉ」
と俺をにらみつける。こんな至近距離で女性からにらまれることは初体験なので、俺は背中に寒気を感じて動けなくなってしまった。
「どうしたのよ?」
女が口をとがらせる。
「お、俺が先に出て外の様子を探るから・・・待っててほしい・・・」
声が震えているのが自分でも情けない。
「何で?」
「こ、ここは俺の家だ。それに俺は一人暮らしだ。その俺の家から急に女が出てきたら周りの人が怪しむだろう」
「はぁ?なに言ってるの?ここは女人禁制のワンルームマンションってこと?」
「そ、そうじゃなくて・・・」
「じゃあなによ。もしかして君は、女を部屋に連れてきたことが一度も無いとか?」
表情を無くして押し黙る俺。
「そういうことね。なんだ、最初にそう言ってくれればいいのに」
「????」
「君って初心なんだ。なんかそういうの可愛くていいよ」
女がほほ笑んだ。何か意味ありげなその笑顔に俺の体は益々硬直する。
「そ、それもあるけど・・・俺達は今手錠で繋がれてるんだ。こんな状態見られたら速攻で警察に通報されるだろう。俺は犯罪者扱いなんかされたくない」
「まあ、それもそうね。私も捕まっちゃったら仕事無くなるもんね。君って見た目よりは頭いいのね」
最後の「見た目よりは」っていう言葉は無い方が嬉しいんだけど。
俺は狭い玄関で女と立ち位置を交代し、ドアノブを静かにゆっくりと回した。自分の家なのに何こそこそやってるんだろう?そんな疑問符がいくつも頭上に立ち上がる。
ドアを細めに開けると、俺は息を殺して外の様子をうかがった。横長の駐車場を挟んで正面には同じ造りのワンルームマンションの玄関があり、そこに人の気配はない。ここに住み始めて2年になるがこんなに周りを気にするなんて初めてだ。
「大丈夫だ。行こう」
俺は女に向かって囁くとゆっくり外へ出た。続いて女も手錠で繋がれた左手からゆっくり出てくる。
まるで刑事に連行される売春婦だ・・・と、余計な妄想をした俺の背筋にまた寒気が走る。
僕と女は並んでマンション前の通路を通りへと向かった。ヒールのせいもあるだろうが女は俺よりもほんの少し身長が高い。だからだろうか、女が真横に居るとやけに威圧感を覚えてしまう。でも手錠をしているから離れて歩くわけにもいかない。
俺の右腕と女の左腕とをお互いの脇の間に挟むような格好で歩かざるを得ない。ジンマシンは一向に治まる気配がなく俺の体は硬直していて歩き方もぎこちなくなる。
その時、通りから真っ直ぐマンションへ向かってくる人影が俺の目に飛び込んできた。同じマンションの2つ隣りの部屋に住んでる男だった。見かけからすると俺と同じくらいの年齢で月に何度か女を部屋に連れてくる男だ。しかも、いつも連れてくる女が違っている。どれだけ遊んでるんだという感じで、俺は好きになれないタイプだ。薄茶色の髪でいかにも女にアピールする感じに前髪をすだれみたいに垂らしている。
どうやら今日は女を連れていないようだ。
俺は大いに焦った。いつもお一人様の俺が女と一緒に密着して歩いている。相手はどう思うか?不審に思って俺達の動向をマークしないだろうか?まあ、同じマンションとはいえ喋ったこともないし気にすることないか?俺は自分にそう言い聞かせて平静を装って歩いて行った。
でも、哀しいことに俺の勘は当たってしまった。俺達に気付いた男は、近づきながら俺と女を興味深そうに見比べている。ねっとりした男の視線が「イイ女連れてるじゃん」と訴えかけている。俺は手錠が見えないように一層女とわき腹を密着させて歩き続けた。
そして俺と女とは平静を装って男の横を無事に通り過ぎることが出来たのだ。「第一関門突破!」俺がそう思って安心した瞬間、
「あの・・・この辺にホームセンターってありますか?」
女が男に声をかけたのだ。まずい。
「えっ?ホームセンターねえ・・・。駅の南側に1件あるよ。これから二人でお買い物ですかぁ?」
男は弾んだ声で女の問いかけに答え、俺達に対して冷やかし気味に質問を投げかけた。「こんなところで時間食ってないで早く行こうぜ」祈る気持ちだった。でも、女は俺の気持ちに反して、
「ありがとう。ていうか、私達ってカップルに見えますか?」
とまたしても余計な会話を続けようとする。
「どこから見てもラブラブのカップルだよ」
「嬉しい・・・。けど、残念ながら私達は兄妹なの」
「そうなんだぁ。あまりにも仲良くくっつきあってるから、俺はてっきりメガ級のラブラブカップルだと思っちゃったよ」
「私達は仲よし兄妹って評判なんだよね、お兄ちゃん」
「あ、ああ。そうなんですよ・・・。俺達って恋人みたいな兄妹って、よく言われるんですよ」
違和感メガマックスな気分で仕方なく女の即興芝居に付き合う俺。
「へぇ、そうなんですか。ちなみに妹さんには彼氏とかいるんですか?そんなに綺麗だから当然いますよね?俺、へんなこと聞いちゃってるなあ」
「実は先月別れたばかりで、今新しい出逢いを求めてまーす」
「そうなんだー。俺も丁度、妹さんみたいな綺麗な恋人募集してるところなんですよー。あ、俺、工藤っていいます。工藤春馬。お兄さんの2つ隣りの部屋に住んでるんでよろしくです」
男がさっきよりも目を輝かせて女を見つめる。
「私は美咲。前原美咲っていいます。こちらこそ、よろしくね」
女が愛想よくほほ笑んで頭を下げる。
もうこれ以上2人の会話に付き合ってはいられない。俺は工藤春馬に手錠を気付かれないように「さあ、そろそろ行こうか」と腰の後ろで右手をぐいぐいと引いた。すると女はようやく、
「分かったわよ、お兄ちゃん。じゃあまたね」
と工藤春馬に右手を振った。
「こちらこそ、引きとめちゃってゴメンね。俺、またゆっくりと美咲ちゃんと話が出来ると嬉しいな」
工藤春馬は勝利を確信したかのような笑顔を浮かべている。それを横目に見つつ俺も「じゃあ、これで」とひきつった愛想笑いを浮かべ、再び女とピッタリ寄り添って歩き始めた。
「工藤春馬。名前からしてチャラい男だね」
マンション前の通りへ出ると、女はそう言って「くくくっ」と鼻先で笑った。女は怖い。
「あ、前原美咲っていうのは私の本名だからね。よろしく、藤田政道君」
突然自分の名前を言われて俺はギョッとした。
「何でおれの名前を知ってるの?」
「玄関で表札見たもん」
「そ、そうか」
俺は安心したような、それでいてどこか地に足がつかないような不安定な気持ちになった。俺の名前を知ってる女といえば母親と学生時代の同級生くらいだから、前原美咲と言う初対面の女に名前を言われてなんとなく居心地悪いというかむず痒い気分だ。
でも、だからといって俺の女性アレルギーが治るわけでもない。「まえはら みさき」俺は頭の中で右隣りに寄り添う女の名前を呟いてみた。でも俺にとってそれは特に意味のない単なる記号にしか感じられなかった。
「政道ってイケてる名前だね」
俺の真横で前原美咲が楽しそうに笑っている。
俺は何ともコメントできず、再び体を強ばらせながら歩くしかなかった。
俺と前原美咲は人の通りが多い表通りを避け、裏通りを歩いてホームセンターに向かった。でも、人が少ないとはいえ全く無人と言うわけではない。駅へと向かう会社員や学生ともすれ違う。その都度、手錠を見られないように右手を腰の後ろに回した。
でも前原美咲にはそんな俺のやり方が気に入らなかったようで、
「この体勢、なんか歩きにくい」
と言うと同時に、手錠で繋がれた左手で俺の右手を握ってきたのだ。
「ヒィィィィィィィィ。や、やめて・・・くれよ・・・」
俺は寒気を感じて立ち止まった。頭がくらくらしてきた。顔中に脂汗がにじんで意識が薄れてくる。これは、かなりやばい感じ。
「どうしたの?顔色悪いよ」
前原美咲の声が遠くでこだまのように反響して、前原美咲の顔が俺に急接近して来て・・・俺は意識を失った。 (つづく)