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四十人の中にはいない

作者: SET

 ブロック塀以外には目もくれず、いつも以上に強く腕を振った。ブロック塀を砕くくらいのつもりで投げているのに、軟式野球用のボールは淡々と手元に戻ってくる。

 ボールを、捕る、握る、ブロック塀に向かって放る。あまり使われなくなった公園のはずれで、僕はその動作を何も考えずに繰り返していた。黒いTシャツが太陽の光を吸収して熱を帯びている。暑さに負けて意識が少し混濁し始めた所で、ボールをくわえさせたグローブをコンクリートに放った。近くの縁石に腰を下ろす。芝生に後ろ手をついて空を仰ぎ見れば、目を射ったのは昨日と同じ太陽だった。

 中学に入って初めての夏休み。部活の合間に友達と遊ぶ、そんな日常が近所で繰り返されている中、僕は一人で壁当てをしている。そう考えただけで、意味もなくイライラした。


 小学校を卒業しても、ほとんどの同級生は同じ公立の中学校に進学する。僕は入学して少しの間、これまでの生活とたいして変わりはないと勝手に思っていた。学区が広がって他の小学校の生徒と混ざることになるし、もちろん不安はあったけれど、それはいま感じている寂しさやもどかしさとはまったく別のものだった。

 みんな、部活というものに入れと強制されてからおかしくなった。野球で遊びたいと思って、小学生の時の草野球仲間に声をかけても、部活で忙しいからと何度も断られた。野球部に体験入部した友達を誘っていると、居合わせた顧問の先生に「そんなに野球が好きなら野球部に入りなさい」と言われてしまった。僕は先輩に顎で使われ、我慢に我慢を重ねて他人を蹴落とし、レギュラーを奪い取る退屈な野球がやりたいわけじゃなかった。


 体験入部の期間が過ぎたあと、僕のクラスメイトはそれぞれ気に入った部活の入部届を正式に提出した。新しい生活に馴染み始めた彼らは「絶対面白いから」と熱心に部活に誘ってくれたが、僕は断り続けた。せっかく誘ってやってるのにと不機嫌になる奴もいた。それでも断った。親や教育指導の先生などにも部活に入るよう催促されたが、僕は頑として首を縦には振らなかった。担任にも職員室まで呼ばれ、説教された。

 僕がそこまで部活を頑なに拒んだ理由は、姉が受けていた部内いじめが原因だった。姉は歯に衣着せないタイプで、苛立つとつい、厳しい口調になる。そこが狙われ、姉は毎日毎日いじめを受けた。最初の頃は、家に帰ってきて僕や両親に当たり散らしていた。僕が遅くまで楽しく遊び、帰って来てからもその余韻ではしゃいでいたら、睨みつけてきたりもした。しかしそんな姉が怖くて近寄らないようになってしばらくすると、姉はどんどんふさぎ込むようになっていった。その頃になってようやく、母は姉の変化が反抗によるものではないと気付き、理由を訊いた。そうして姉は、当たり散らしてから何ヶ月も経った後、部活を辞めたいと泣きながら母に告げた。僕が姉の泣いている所を見たのは、それが最初で最後だった。中学一年の冬を迎えていた姉が元の姉に戻るまでには、高校入学を待たなければいけなかった。

 普通は、そんなことは起きない。そう言われても僕は、部活という言葉が大嫌いだった。


 もともと、注目の的になるような存在ではなかった僕が、別の意味で目立ってしまったのが原因だろうか。しばらくすると僕は、別の小学校から入学してきたクラスメイトを中心に、徐々に敬遠されていった。部活での友達が作れなかった僕は、クラスメイトから敬遠されてしまうとあまり喋る相手が居なくなった。

 別に、いじめというほどじゃない。なんとなく変な奴という先入観で僕のことを見て、僕が話かけると無視に近い反応をしたり、何か失敗をすると笑ったり小馬鹿にしたりするだけ。僕にはそれが正面切っていじめられるよりもなんだか苦痛で、人前で自分のつまらない体験を話したり、運動神経の悪さを晒したりするのが嫌になった。僕の通っていた小学校の人数は、隣の学区の小学校の半分以下で、新しい環境になじむのが大変だ。だから、今まで仲良くしていた友達もその空気の中では話しかけて来ない。中には僕を馬鹿にする奴の言葉を聞いて、一緒になって笑っている奴もいた。

 次第に、部活が休みだという月曜日も一人でいることが多くなった。無口になった。



 こんなにも楽しみで、こんなにも楽しみに感じない夏休みは初めてだ。去年までは、学校は楽しいもの、だった。もう僕は、この状況が部活なんかのせいだとは思っていない。あれはきっかけ。馴染めなかった。中学という場所の、あのクラスの、あの雰囲気に。それだけなんだと思う。

 身体を仰向けに倒した僕は、近くに生えていた芝をむしり、ばらばらと零した。

「あー」

 家に帰るまでに自分の声を忘れそうで、無意味な言葉を吐き出す。想像していたよりも、いくらか低い声だった。変化を迎え始めたその声が、自分のものとは思えなかった。



 姉が履いているスニーカーの踵が玄関を向いていたため、反対向きに直した。その隣に靴を脱いで自分の部屋へ入る。濡れたTシャツを脱いで新しいものに着替え、僕は机に座った。夏休みの宿題を少し進めた。宿題なんて、今まで切羽詰まってからしかやらなかった。すぐにシャーペンを置く。何もすることがなくて、部屋を出た。

 居間の隅に置いてあるデスクトップパソコンの電源を入れると、ドアが閉まる音がした。足音も近付いてくる。僕はパソコンの前の座椅子に腰は下ろさず、立ったまま姉を待った。

「おかえり、こーた」

「ただいま」

「またパソコン?」

「一日一時間もやってないよ」

「こーたはぁ、そんなイメージないの。私みたいに家でだらだらしてないで、夜まで外で遊んでるのが似合う」

 姉は居間と繋がっている台所にある冷蔵庫を開け、取り出した麦茶をコップにそそぐ。

「みんな部活で忙しくて、午前中までしか遊べないんだよ」

 遊ぶ友達がいないなんて、言い出せなかった。パソコンが爽やかな音と共に起動した。

「部活入ればよかったのに。運動、得意じゃないけど好きだったでしょ」

「うん」

 僕が頷くことしかできないでいると、姉は麦茶を飲み干し、もう一杯を注いだ。

「でさぁ、こーた。さっき、なっちゃんのとこから帰ってくる途中でこーたのこと見かけたんだよね」

 責める口調に変化したのを、僕は感じ取った。肩に力が入る。こういうところには過敏になってしまった。

「今日、友達と遊んでくるとか言ってなかったっけか」

 耳を塞ぎたくなった。だが姉は僕のささやかな自尊心になどお構いなしで、あっさりと言い放った。

「前から思ってたけど、ホントは友達なんていないんじゃないの?」

 僕は反射的に、近くにあったティッシュ箱を姉に投げつけた。起動したままのパソコンを放置し、早歩きで居間を出た。





   ◇




 翌朝、特に誤魔化す必要のなくなった僕は、両親が出勤したあと起き出して、三時間ぶっ続けでネットをうろうろしていた。無料のオンラインゲームをやってみようかな、と思ったりもしたが、説明を読むだけにしておいた。そこでも除け者にされたりしたら何もかもが嫌になりそうだった。

 ドアが閉まる音。ディスプレイから視線を外した。

「こーた、昨日はごめん」

 姉は、顔を見せるとすぐに謝った。近づいてきて、僕の隣で立ち止まった。姉が着ているオレンジ色のTシャツが、ディスプレイに痛めつけられた目の端に鮮やかに映った。僕は昨日の言葉を引きずったまま、姉の方へ身体を向け、見上げた。

「でもこーた、寂しくなるような嘘つかないでよ。何回も嘘ついてまで、隠すことじゃないから、あんなの」

「だって、部活したり、休みの日に遊んだり、空き時間に一緒に話す友達がいないと、変なんでしょ。おかしいんでしょ。いけないことなんでしょ」

 友達がいない。言葉にすると本当に辛く、言っているうちに涙声になったのが自分でも分かった。情けなくて、泣きたくなった。

「僕が一人でいると、みんな馬鹿にして、笑ってくる」

 姉は僕が話している途中でしゃがんで、目線を合わせてきた。

「おかしくないよ。たまたま、気の合う奴が四十人の中には居なかっただけ」

 そう言われてしまうと僕は、何も言い返せなかった。今の僕と同じ時期に、今の僕と同じような経験をした姉の言葉には重みがあった。

「私、考えたんだけど。敏也くんに電話してみれば? 引っ越して、私立に行った子。一番、仲良しだったよね」

 姉は僕の手を握って軽く揺らし、微笑んだ。小さい頃、僕が泣いていると姉がよくやっていたあやし方だ。恥ずかしいのか懐かしいのか分からない気持ちになり、目元に溜まっている涙が零れそうになった。僕はそれを気合で堪え切って、姉を見つめ返した。

「でもあいつ、引っ越してから手紙が来ただけで、ほとんど連絡ないよ。忙しいなら、僕みたいなのが邪魔しても悪いし」

「卑屈になんないの。敏也くんはこーたのこと嫌ってなんかないよ。ほら、早く。電話」

 姉に急かされ、パソコンをシャットダウンした。敏也からの手紙を探しに、部屋へ戻った。


 敏也の手紙に書いてある住所は、隣の、隣の市のものだ。近いようで、遠い。手紙の入った封筒を持ってドアを開け、居間へと歩く。居間では、姉がソファではなくテーブルに腰をかけて待っていた。

「見つかった?」

「うん。番号と、メアドも書いてあった」

 僕はまだ、携帯を持っていない。高校生になってからで十分だと言われている。

「いまかけるなら、居てあげるよ」

 電話の前に立って、深呼吸した。鬱陶しそうに応対されたりしたらどうしようと怖くなったが、姉の方を見ると彼女は「頑張れ」と励ましてくれた。それだけで僕はなんだか安心した。

 ひとつひとつ、ゆっくりと時間をかけて番号を入力する。何回かのコール音の後に、敏也が出た。

「はい。もしもし」

「あ、敏也?」

 本人を前にすると、声が少し上ずった。

「ん……あ、耕大、か?」

「え、よく分かった、ね」

「や、ひっさしぶりだなぁお前。俺も、耕大がどうしてっか気になってたから」

「そっか。どう、そっちは。面白い? ここよりずっといい所だって親は言ってる」

 七月になってからはほとんど喋る相手がいなかったのに。僕は敏也の弾んだ声を聴いただけで嬉しくなって、すらすらと喋ることができた。

「ああ。結構な。近くに何でもあって便利だし。最初は周りが知らない奴ばっかで不安でさ。でもどうにか友達もできた。今は楽しいよ」

「そうか。いいな、敏也は」

 思わず素直な感想が零れてしまった。

「耕大は? まー同じとこから上がる奴が多いから、相変わらず楽しくやってんだろーけど」

「いや。隣の学区からの奴が結構クラスにいて、あんまり馴染めないんだよ」

 ここで楽しいと見栄を張って、後ろでじっと待っていてくれている姉に怒られるのが嫌だったので、敏也に対しては初めから本当のことを話した。

「だからなんか、敏也のことが懐かしくなって。でも、敏也はちゃんとやれてるみたいで、よかった」

 僕が言うと、敏也はしばらく黙った。

「ごめん。今、俺、嘘ついた」

「ん?」

「俺も、あんまり、馴染めてない。学校に」

 急に俯き加減になったような声だった。

 その後、敏也は再び黙り込む。僕も、何も言えなかった。


「遊ぼう、か」

 僕から、沈黙を破った。

「そこまで行くの、電車使えば、すぐだよ。卒業らへんに一緒にやってたゲームあるじゃん。あれ、持ってくから」

「あれね。いいよ。駅まで歩いて五分くらいだから、俺、出口で待ってる。いつにする?」

 断られたら嫌だなと思いながら言った言葉を、敏也はあっさりと受け入れてくれた。

「今日。今日行く。午後、一時に」

「わかった。駅の出口で待ってる。一つしかないから、すぐ分かるよ」

「うん。じゃあ、一時に行くから」

「乗る電車間違えんなよ?」

「そのくらい間違えないって」

 笑いながら言って、僕は電話を切った。

 座っていた姉を振り返ると、姉は立ち上がって近付いてきた。彼女は得意げに言った。

「ね。電話して、良かったでしょ」

「うん」

「私の言うことはいつでも正しい」

「それはないけど」

「何。生意気な」

「ありがと。姉ちゃん」

 早く準備をしないとすぐに一時になってしまう。居間を出る前に、僕は壁掛け時計を一瞥した。

(2010年2月14日)

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