『からんころん』と生きてます 80年代 女子高校生の回想録
あなたも夢を見るでしょうか?
私は同じ夢を何度も見ていました。
子供の頃、よく見た夢は母が出てきます。
母が庭でしゃがんで草むしりをしています。後ろ姿のうなじから、10センチ位の糸が出ていて、
「お母さん、糸が出てるよ」
と、引っ張るとドンドン出てきて。それが内臓に小腸に大腸になっていってしまうのです。
私は母が死んでしまうと思い、大慌てで止めようとするのですが、流出は止められません。恐怖で叫びます。
怪奇的な夢。
もう一つは、お風呂の夢。母と私と妹と家のお風呂に入ってます。母と妹が楽しそうに浴槽に入っていて、私が体を洗っています。すると突然、浴槽の底が抜けるのです。
私は、二人の手を掴み助けようと引っ張ります。
パニック映画のような夢。
中学生になると、プールの夢をよく見るようになりました。
大きな薄暗い建物の中に、透明なガラス製の巨大なプールがドンと置いてあります。
濁った青緑色のドロドロな水の中に、大きな魚が何匹も蠢いています。
そこへ梯子で登り、私は頭から飛び込みます。ゾクゾクとした嫌悪感を抱きながらも、一生懸命にクロールで泳ぎ、反対側にたどり着き、プールから上がります。
サバイバルな夢。
それらの夢を何度も見ました。不思議に思い、人に聞いたり、調べたりしました。
現代の夢占いだと、
怪奇的な夢は、強い精神的ストレスを暗示しているそうです。言いたいことを我慢して、爆発寸前の状態。
納得です。前回の追懐でも、感情が爆発することがあったと記述しています。
その前によく見ていた夢だったのでしょう。
母に自分を理解して欲しい。でも、嫌われたくないから、言いたいことが言えない。ジレンマなのでしょうか。
結局、爆発して、ますます面倒くさい難しい子と認識されたように思います。
パニック映画のような夢。
家族間のトラブルの予兆を感じ、その困難から家族を守ろうとする、ポジティブな夢らしいです。
思春期特有の潔癖症や正義感は旺盛でしたので、これも納得しました。
病弱な兄がおりましたから、先が不安で心配だったのでしょう。母と妹には笑っていて欲しい。それを守りたいと思っていたようです。
実際は家事のお手伝い程度しか出来ず、褒めて貰えるように、勉強や部活に精を出していたように思います。
大した事は出来ませんでした。
サバイバルな夢。
不安、恐怖、寂寥感、疲労。感情が不安定。
しかし感情に溺れず、挑戦して困難な状況でも諦めない。目標達成や計画が順調を暗示するポジティブな吉夢。
現実的に水泳が得意なのが、幸いです。苦労して成し遂げる。吉夢なのにガッカリしてしまいました。
目標達成や計画の順調が、兄の寛解なら、何回でも泳ぎ切らねばならず、夢で毎回泳ぎ切る私を褒めたい気持ちになりました。一方で夢でも頑張る私に、呆れるやら、笑えるやら。
透明な美しいプールでも、海でも、泳がせてあげたい。
浮き輪を浮かべてのんびりと。
だからでしょうか。現実では海やプールで泳ぐのも見るのも好きです。
夜、夢を見る前に、見る夢がありました。
ベットに寝転んでいると、天井がどんどん高くなり、部屋が広くなります。
時計や心臓の音がどんどん大きく速くなり、やがて、小さくゆっくりになります。
不思議に思ってじっとしていると、やがて収まります。
時計が壊れたのかしら?
夢でも見ているのかしら?
しばらくはそう思っておりましたが、毎晩のようになるので、これはおかしい、と思うようになりました。
時はちょうど、病弱だった兄が、夭折した直後。
それと関係があるような気がしました。精神的なものだと。
だからでしょうか、親には言いませんでした。
この現象に名前があることを知ったのは、ずっと大人になって結婚してから。主人が調べて教えてくれました。
不思議の国のアリス症候群。
なんとも優雅な可愛い名称。『ガリバー旅行記』でも良かったような、と思ったのは私だけでしょうか?
私の場合は、やはり精神疾患。総合失調症やうつ病の初期症状。だったのではないでしょうか。
幽体離脱もその頃に体験しました。
それも解離性障害。自分の身体から抜け出して離れたところから自分を見ている感覚。体外離脱体験だったようです。
幽体離脱の方が面白かったのにと、ちょっと残念。
夜になると体が浮いて、ベッドで寝ている自分を上から眺めます。そして、家の中や庭を彷徨いました。
庭では家の屋根の雨樋を掴んでいます。手を離すと、風船の様に何処までも上昇するのが、分かっていて怖かったのです。もう、二度と帰ることが出来ないと解っていました。
『赤毛のアン』も窓ガラスのお友達とお話することが書かれておりますが、これも解離性障害の一つの行動です。
私も夭折した兄と良く話しておりました。部屋では声も出していたように思います。兄もちゃんと話していて、会話が成り立ちました。兄の返答が彼の声で、スラスラと頭の中に流れ込んで来てました。
心臓の音。
これはどうも動悸だったようです。
重度の離人症。
自分が自分であると感じられなくなる状態で、現実感を消失します。
自分の行動をまるで遠くから客観的に眺めている感覚。自動的に動いている感覚。
これは、自分を守る防衛反応だそうです。
平均発症年齢は十六歳。まさに私の年齢でした。
しばらく、フワフワと生きていました。
私は兄の部屋を引き継いで使っていました。だから、その現象が起こるのかとも思いましたが、部屋を出る気にはなれませんでした。
兄を身近に感じられる空間を離れたくなかったのです。
そして、もし現れることができるのなら、いつでも来てほしいと思っていました。
その場所はこの部屋に違いないと。
兄は蛍光塗料のついた星型のシールを、部屋の天井中に貼っておりました。しかも、様々な長さの糸で高低差を作りシールを貼っています。
まさに満天の星空の下で寝られるのです。
星空が遠くなったり、近くなったり。広くなったり狭くなったり。時に瞬いたり光ったり。それは美しく幻想的です。
BGMでもかけてみれば良かったな。と今なら思えます。
おかげで、高校を卒業してその部屋を出るまでずっと、それらの症状は治りませんでした。
そんな状態だったので、あんなに夢中だった勉強も、全く意欲が喪失してしまいました。
遅れた勉強は取り戻せず、成績は下がりました。
「全科目、成績が良いのだから、国立を目指せるね」
と兄に言われていたので、国立大学に行きたかったのですが、受ける前から落ちると思っていました。
「大学受験を辞めて働きたい」
と父に言いましたが、許可してもらえませんでした。親族の中で、大学に行かなかった人はいないと。
私が一人目でも良いのではと思いましたが、落ちれば必然的に就職だと思い、取り敢えず受験することに。
結果、私立大学に受かり、とうとう家を離れる事が出来ました。
あの部屋を出て、一人暮らしをしても、結局治りませんでした。
その大学で、自分の存在を認めてくれる人と巡り会えて結婚しました。
彼は秒針がスムーズに動く時計をプレゼントしてくれました。
兄の話を聞いてくれました。
結婚してしばらく経つと、いつの間にかその症状は消えていました。
親にもその症状のことを話しました。
愛情を注げる子供が誕生したことも、良かったのかもしれません。
発症して八年程経っていました。
無表情でぼんやりしていた私をそっとしておいてくれた、女子高校の友人達。
本当に有難う御座いました。
よく考えれば、兄の葬儀に参列してくれたのですから、知っていて当然でしたのに、私は友人達は兄の死を知らないと思っていました。
ですので、兄は居るものとして、彼女達と会話をしておりました。
当時、兄の事を現在形で話していたと、後に友人に言われて申し訳なく、恥ずかしい気持ちになりました。皆、困惑したり、不気味に感じていただろうと。
誰も兄の死を指摘する人はいませんでした。
本当にごめんなさい。でも、とても助かりました。
当時では、心が耐えられなかっただろうと思います。
今、同じような症状で困っている方。
すぐに、誰かに相談しましょう。病院に行っても良いです。今はいい時代です。色々な方法があります。早く治まることをお祈りいたします。
たまにリハーサルの夢(夢のシュミレーション機能)をみながら、今は元気に生きています。
アリスも自分の心安らぐ場所に辿り着いたようです。
今日も、朗らかに懸命に、生きていきましょう。




