第8話 スローライフの中でも忘れてません、旦那様
「二人に一度、屋敷に帰って欲しいの」
夕食後の自由時間、テーブルを囲んで皆で座り、フルールは話を持ちかけた。
「フルール。私、なにか気に障ることをした!?」
「俺もなにか……」
「ああ、違うのよ。石鹸が出来たら、そう決めていたことなの」
ガタッと立ち上がったカームを宥め、フルールはそう二人へ釈明した。
二人のそのリアクションは一ヶ月前とはずいぶんと違い、思わず胸が温かくなる。
少しは、フルールを受け入れてもらえていたらしい。
「ほら。家出……じゃないけど、ここに住んでいることを誰にも伝えてないでしょう?
私は別にこのままで良いけど。二人は給金のこともあるし、ちゃんと指示を仰いだ方が良いと思うのよ」
領地の別邸は無いなと即座に判断して、すぐに出てきた。
新生活の資金は、王都の屋敷で多めにお金を貰ってきたことと、途中で要らないフルールの持ち物を換金して出来たものだ。
お陰で家を買うのにも、生活にも困っていなかった。
最近では、物々交換で食料にも費用がかからなくなってきている。
それでも今のフルールに、二人へ給金を払うほどの余裕は無い。
ルゼルヴェの命とはいえ、侯爵家での二人の立ち位置も気がかりだった。
小分けにした石鹸を二人に持参させ、現状報告をして貰おうと、かねてより決めていたのだ。
「そのついでに、二人は宣伝となって、石鹸とか配ってきて。仮にも女主人だからね。
その間くらいは屋敷の人たちが、粗悪品に手を出さなくて良いようにしたいわ」
「そういうことで、カームだけでは荷物も多いし道中も心配なの。護衛をよろしくね、ガルド」
「俺が一人で行ってきますよ?」
キョトンとして、ガルドが提案してくれる。それはしごく真っ当な意見だった。
「二人で行ってきて。使い方とかの説明は同性同士がはかどるでしょう?
旦那様にはガルドが、メイドたちにはカームが紹介してくれると良いわ」
――そのまま戻って来ない可能性もあるけど。それは仕方ないし。
二人の雇用主は、ルゼルヴェだ。侯爵夫人として名ばかりのフルールではない。
二人がここに留まる必要はなく、主の元へと返さなければとずっと思っていた。
これは、フルールなりのケジメだった。
「私も町にずいぶんと慣れたし、一人でも大丈夫だから、ね?」
そういって、フルールは二人にお願いした。
◇◆◇◆◇◆◇
「全く、どこに行ったというんだ……」
ラフィネに追い出され、屋敷へと戻った翌日。ルゼルヴェは仕方なしに馬車へと乗り込み、領地に向かった。
その帰路の馬車の中、景色を見るでもなくルゼルヴェは苛立ちから、トントンと膝を指で叩いた。
『あら、アンタ帰ってきたの』
『母上。私の妻が、ここに来ていると思うのですが』
国境警備に明け暮れる父は、家族の元へはほとんど帰らない。
母はそんな父に愛想を尽かし、領地の別邸で好きに暮らしていた。
昔はルゼルヴェと王都で過ごしていたが、ご夫人たちの嫌味に肩身が狭く、長年苦渋を呑まされていた。
ストレスの捌け口に、ルゼルヴェに当たることも多かった。
――女は、面倒な生き物だ。
ギスギスとした関係は、長く続かずルゼルヴェが学園に入学すると、母は領地へ帰ったのだ。
それ自体は別に良い。良いのだが……。
『妻って、ただの傷物じゃないの。ここには居ないわよ、その日に帰ったみたいだから』
偶然通りかかっただけの母は、それだけ言うと去っていった。久しぶりに会ったといっても、こんなものだった。
――大方、嫌味でもいって追い出したんだろうが。
穏やかに過ごして、少しは変わったかと思えば、昔のままらしい。
彼女も彼女だ。わざわざ母の機嫌など取らずに、適当に済ませておけば良いものを。
ルゼルヴェの妻となったフルールの足取りは、その後掴めていない。
どうやら出ていく時に、侯爵家の馬車を使わず、徒歩でどこかへと向かったらしい。
――幸いなのは、彼女のそばに護衛とメイドがついたままなことか?
目撃した別邸の使用人曰く、三人一緒に出ていったらしい。
本邸に帰るなら馬車を使うはずだが、フルールは使わなかった。
彼女が二人と仲違いしている可能性もあったが、そうではないらしい。
社交界での彼女の噂は知っていた。ルゼルヴェとの白い結婚を断ることもないだろうと、利用したきっかけでもあるからだ。
けれど万が一にも、目の届かないところで肩身の狭い思いをさせるつもりは、ルゼルヴェにはなかった。それでは母と変わらない。
これは、ルゼルヴェのなりの侯爵家のプライドだった。
念には念をと、昔からいる貴族出身の使用人ではなく、ルゼルヴェが直接雇用した平民を専属にした。
もともとガルドもカームも身分をわきまえ、人に馴染むのが上手かった。
仕事も真面目で有能な二人だ。彼らがついているなら、大丈夫だろう。心配は要らないはずだ、はずなのに。
「普通、貴族の女が歩いて出ていくか?」
行動が読めないフルールに、結婚する相手を間違えたかとルゼルヴェは今、本邸に戻るべく馬車に揺られながら考えていた。
一度戻って、人を使った方が早いと判断したからだ。
いっそ、何かあれば向こうから連絡を寄越して来ないだろうか。
ラフィネにも報告を上げて、ルゼルヴェは仕事に戻っても良いのではないだろうか。
――私の妻は、どこに行ったんだ!?
内心の動揺を外には出さず、ルゼルヴェはため息を吐くのだった。




