第2話 ぎこちないまま始まる新生活
サントゥール領地の端、緑豊かな小さな町のそのまた端。
一件の空き家を前にした笑顔のフルールと、戸惑うメイドと護衛の二人がいた。
「奥様、本当にこちらにお住まいになるので……?」
顔をひきつらせ及び腰のメイドは、事の事態についていけず発言した。
言葉にこそ出していないが、護衛の男も無言で家を見上げている。
――綺麗な家じゃないの、何が不満なんだか。
古さはあるが、外観に修繕が必要な箇所はない。立派な佇まいの家だとフルールは思う。
「私は一人でもやっていけるから、貴方たちは屋敷に帰って良いわよ?」
フルールは特に期待もせずそう言うと、ハンカチを口許に巻いて後ろで結び、玄関の扉を開けた。
――侯爵家の使用人ともなれば、下位貴族の出身が多いものね。
扉から溢れた埃に、メイドは顔をひきつらせ、護衛は黙ったまま視線を逸らしている。
それらを無視して、フルールは家へと入っていった。
内見の時にも思ったが、本当に埃っぽい。
――長年買い手が無かったと言うものね。一人だと、今日中は難しいかも。
優先順位をつけて、掃除をして行った方がいいだろう。そうフルールが思考を切り替えようとした。
すると背後から、おずおずといった体でメイドが進言する。
「……お手伝い、いたします」
「そう? じゃあ家中の窓を開けて、上から順に掃除をしていくわよ」
不平不満の態度が見え隠れするメイドに指示を出して、フルールは二階へ向かった。
窓を開ければ、そこから町全体が見えた。屋根がポツポツと見え、規模もそこそこの町だ。さらに遠くに湖と山が見えた。
「こじんまりしていて良いわね」
「……夫人、本邸に帰られませんか?」
散策のしがいがあり環境として悪くないと、フルールは思っていた。
けれど部屋の入口、剣を携えた男はそうではならしい。彼は、ルゼルヴェが付けた護衛だった。
――旦那様の教育の賜物なのでしょうね。私としては、必要ないのだけど。
フルールは彼らと一緒に王都から領地、領地の別邸から、この町へとやって来た。
道中、会話らしい会話もせず、二人はほぼ無言でフルールに付き従っていた。
「私が帰る家は、今日からここよ。何度も言うけれど、二人が帰っても私は構わないわ」
フルールは、護衛の前へ立ち止まるとじっと見上げた。
日に焼けた肌は褐色気味で、それでいて淡い銀髪がよく映えている。
目がつり気味で、きつい印象のある男だ。
「この数日で分かったでしょう? 私は貴方に護衛される価値のある侯爵夫人でもなければ、メイドに世話を焼いてもらわないと、生活が出来ないわけではないの」
嫁いだ時は、ルゼルヴェが夫として義務を果たすのなら、フルールも女主人として務めを果たすつもりでいた。
けれど、貴族令嬢に白い結婚を持ち掛け、離婚を前提にするなど暴挙もいいところである。
いくらわけありの令嬢でも、普通なら泣いてるだろう。
そう思えるのも、フルールに前世があってこそだった。
――私、黙って言いなりになる性分ではないのよね。
護衛は喋らず、フルールもそれ以上は言わなかった。隣の部屋へと向かい、フルールは窓を開ける。
――早く掃除を終わらせて、買い出しも行かないと。寝るにも食べるにも困ってしまうわ。
今日だけでも、やることは山積みなのだった。それもこれも、ルゼルヴェの両親の対応の悪さもあるだろう。
――子が子なら親も親ね。
『フルール、ねぇ。ルゼルヴェの元から逃げて泣きついて来ても、私たちが貴女に何かすることはなくってよ』
領地の屋敷に着いて、フルールが屋敷の者へと手紙を見せた。
居合わせたルゼルヴェの母は、見下した目でフルールに刺々しく言ったのだ。
その冷ややかな態度といったら、嫌悪こそあれ、とても好感の持てるものではない。
息子の結婚式に両親の参列がなかった時点で、フルールもそんなところだろうと予想はしていた。
義父の顔を見ていないが、きっとろくでもないことだろう。
フルールは布で上から順に埃を掃きながら、そっと目を細めて思う。
――だからって、妻にも冷たくしなくて良いのではなくて?
別邸はルゼルヴェのご両親の領域だった。そこで気遣って生活するのなら、ルゼルヴェと別れた本邸と何も変わらない。
むしろ好きにしていいと言っていた、ルゼルヴェの方が、まだマシなくらいだ。
フルールはすぐに、次の住まいを探すことにした。
そうして行き着いたのが領地の端、山と湖に囲まれた小さな町だった。
「住居を整えたら、さっそく何があるか調べないとね。スキンケアは、早急に取りかかりたいわ」
そのために色々と、ルゼルヴェにせがんだのだから。
領地にあるものは領主のもの、フルールが好き勝手して、後から何かを言われても困る。
「奥様、一階の窓を全て開けてきましたが、その……すきんけあ、とは?」
メイドが指示を仰ぎにフルールの元へとやってきた。焦げ茶のショートヘアが、埃まみれになっているが、彼女に気にした様子はない。
「ありがとう。スキンケアは、お肌の手入れのことよ。私、ずっと作りなおしたくて仕方なかったの!」
メイドの真面目な一面を好意的に受け取って、フルールはそう返した。
前世、メイクや化粧品は溢れていた。それでも肌に合う合わないが多々あった。
なのにこの世界と来たら、化粧水はほぼ水。美容液も乳液もない。
清潔感を保つための匂い消しの香水は、キツくて臭い。
パウダーには、鉛白が使われているものもあってゾッとした。
嫁ぐ前に使用した白粉で、肌荒れを起こしたことがあって気がついた。
「サントゥール家の責務も果たせない。貴族の務めを出来ない上に、そこに醜くく老いるだけなんて、私は嫌」
どうせなら白い結婚で離婚後に平民となっても、貴族より優美に老いてやろうではないか。
前世の知識をもってして、誰も得られない美を身につけて見返してやるのも面白そうだ。




