第16話 温度差を痛感するけれど、その理由にまではまだ気づかない旦那様
森にルゼルヴェが足を踏み入れると、いつの間にかガルドが先頭を走っていった。
躊躇わずに、彼が崖を飛び降りたかと思えば――。
「フルール!」
――おい、人の妻をなに呼び捨てにしてるんだ。
「……がるどぉ」
「――っ!」
光る鳥のせいか、久しぶりに見たフルールは、キラキラと輝いて見えた。ルゼルヴェは思わず、足を止めて息を飲んだ。
――なんだ?
目を潤ませて赤らんだ顔で見上げる――その無防備な姿に、ドキリと鼓動が跳ねた。
戸惑うルゼルヴェの先で、ガルドがフルールに話しかけている。
どうやら、彼女は足を怪我しているらしい。
――ちょっと待て、お前ら。距離が近いだろうが。
ルゼルヴェも続いて崖を降りるのだが、フルールがこちらに気づく様子が全くない。
ガルドへ寄せるフルールの安心しきったその様子に、言い知れないざわつきを感じた。
初夜で見せたハキハキと淡白なフルールの姿と、今のか弱い姿が、ルゼルヴェには同じ妻だとどうしても結びつかない。
そう思っていると、ガルドがフルールを抱き上げようとしているではないか。
「ガルド、それは私の妻だ」
どうしてか見逃すことが出来ず、ルゼルヴェは固くなった声をかけた。
眉間に深く皺を刻んだガルドが、物言いたげな眼差しでルゼルヴェを見つめてくる。
――私は何も、間違ったことは言っていないぞ。
フルールを見つけたのは、ルゼルヴェの魔法によるものだ。褒められこそすれ睨まれる謂れはない。
むっとしたルゼルヴェは、ガルドと意味もなく火花を散らしていた。
自分でも不思議なことに、この状況がとてつもなく面白くないのだ。
「……あれ。旦那様、ですか?」
ガルドに見せた親しみのある様相から一転、ルゼルヴェに対して、よそよそしく他人行儀なフルールの声が響いた。
そのことにまた、なぜか苛立ちを感じながら、ルゼルヴェは上着を脱いで近寄った。
「……君の、夫ルゼルヴェだ。忘れたとは言わせないぞ」
「忘れてはいませんけど……?」
その震える肩に上着を羽織らせ抱き上げれば、彼女は身を強張らせていた。
腕の中にすっぽりと収まったことに、ルゼルヴェは驚いた。
――こんなに小さかったか?
結婚式は形だけ、初夜でだって話をしただけ。さらに聞きかじっただけのフルールの破天荒な印象から、勝手に存在感が膨らんでいたらしい。
「あの、汚れてますから。私はガルドの手を借りますので……。
旦那様のお手を、煩わせるつもりはありませんわ」
降りようとモゾモゾと動くフルールに、ルゼルヴェは、なぜかざわりと胸が騒いだ。
――ガルドは、ただの護衛だろうが。
こちらは仮にも夫だぞ。男としてガルドより頼りないか。そんなやわな鍛え方は、ルゼルヴェだってしていない。
落としてなるものかと、自然と力が入った。
「動くな。落としたらどうする」
口をついて出たのは悪態で、気の聞いたことも言えなかった。
――これでは、喧嘩をしに来たみたいではないか。
そうじゃないとルゼルヴェは渋面になり、別のことに気がついた。
日が落ちて冷えるというのに、フルールの身体が熱かった。
――熱か?
見れば、顔も赤い。足首も太さが変わるほどに腫れている。怪我による発熱か、もしくは疲労か。さらには、頭の先から足まで擦り傷と砂だらけだ。
ルゼルヴェがフルールの体調に気を配っていると、彼女から予想外の話を振られる。
「ああ! わざわざ、アレの使用感について感想でも言いに来られたのですか?
それとも、まとまった数の追加がほしいと言うことでしょうか?」
ルゼルヴェが呆気にとられて見つめたフルールのその目は本気で、そうだと思いこんでいる。まるで、商談を持ちかける商人だった。
「はぁ?」
ガルドの後を追って、初めて訪れた妻の家は玄関扉が破壊されていた。
中にフルールは居らず、ガラの悪い男が家の中を荒らしていた。
いつから帰っていなかったのか、無事なのか、わざわざ探知魔法を使って探したのだ。そうしてようやく見つけたというのに、この妻はルゼルヴェをなんだと思っているのだ。
――俺がそこまで人でなしに見えるのか。
ルゼルヴェだって、心配くらいはする。森へと向かう道すがら、町民も彼女の安否を心配をして協力を申し出ていたくらいだ。
いったい、フルールの態度の何がこれほど気に入らなくてイライラするのか。ルゼルヴェにはその気持ちが何か、まだ分かっていなかった。
「……交渉事も、相談事もある。否定はしないが、今はそこではないだろう。
お前は、自分の状態を分かってるのか?」
咳払いをして苛立ちを抑える。言葉を選び、取り繕う必要はない。ルゼルヴェは事実を簡潔に述べて、フルールの見当違いを指摘する。
「状態……。急いで帰る必要もなかったので、捻挫を考慮してちょっと休んでただけですわ」
心配するルゼルヴェを余所に、フルールは他人行儀になおもどこかずれた返しをしてくる。
それが余計に、ルゼルヴェに苛立ちを募らせた。
「――仮にも侯爵夫人が、供も付けずに外出などするな。野宿などもっての他だ!」
「旦那様、なぜそれをご存知で?」
堪えかねたルゼルヴェの叱咤に対し、驚きに目を丸くしたフルールが訊ねてきた。
――コイツ。こちらの気も知らないで。
「……普通は、家を真っ先に訪ねるものだろう。不在だから、森にまで探しに来たんだぞ」
「あら旦那様、家も訪ねられたので? 困りましたわ。おもてなしなど出来ない有り様でしょうに」
のらりくらりと、他人としての一線を引き続けるフルールに、ルゼルヴェはひくりと顔をひきつらせた。
面白くないと思う感情が、ずっと胸の奥で燻っている。
そしてフルールの言葉に、確かな引っ掛かりを覚えた。
――おい、まさか。フルールは、あの家の状況を把握している?




