第1話 出ていった妻と追い出された夫
「これは政略結婚だ。お前を愛することもないし、子作りする気もない。
今後、羽目を外さない範囲であれば、好きに過ごして構わない」
結婚初夜。あろうことか妻とベッドを前に見下ろして、夫となる男――ルゼルヴェ・サントゥールは平然とそう言った。
その瞳は冷めきっていて、妻に向けるものでは無かった。
「……はい、旦那様。でしたら私、領地へ行かせていただきたく存じます」
だから、私――フルールもにっこりと笑って立ち上がった。
相手がその気ならば、こちらだって相応の態度でいいだろう。
――そうと決まれば、荷造りよね!
来たばかりだから何もないけど、と呆れつつフルールは軽やかに立ち上がる。
「それが嫌なら、三年我慢すれば離――、は?」
目の前のルゼルヴェを無視して、フルールは衣装部屋に向かった。
夜着を脱ぎ捨て、一人で着られるデイドレスにフルールは手早く着替える。
寝室へ戻ると、こちらを見て呆然と立つルゼルヴェがまだいた。
忙しいのであれば、早くどこかへ行けばいいものを何をしているのだろう。
「あら、旦那様。まだ居らしたのですか?
お手間を取らせてすみません。どうぞ先に、お休みくださいませ」
――目鼻立ちも良いのに、残念なこと。
間抜けな顔のルゼルヴェに、フルールは声掛けだけをして、その前を通り過ぎようとした。
「おい。何を勝手に!」
正気に戻ったルゼルヴェにパッと手を掴まれ、フルールは振り返った。栗色の長い髪が、動作にあわせてふわりと舞う。
何かおかしなことを言ったかと、フルールは小首を傾げて考えた。
――そうか領地だと、ご両親が住んでいるパターンがあるわ。嫁姑問題ね!
領地の別邸には、おそらく義両親が住んでいる。その事に思い至り、フルールはさっそく代替え案を提示した。
「好きにして良いのでしょう? あ、領地の邸が問題でしたら、当面は離れでも、馬小屋でも、倉庫でも、雨風が凌げればなんでも構いませんわ。
もしくは山小屋でも――」
「いや、分かった。そこは邸でいい。朝に使いを走らせよう」
言いつのるフルールの言葉を、ルゼルヴェは遮った。
片手でフルールを掴み、もう片手で頭を押さえる、その彼の眉間の皺はかなり深い。
血も涙もない冷たい人かと思えば、さすがにそうではなかったらしい。
「それでしたら、一筆書くだけで構いませんわ。あと、馬を一頭お貸しくださいませ」
「何?」
「私、ご迷惑にならないよう、明日の朝にはここを発ちます。馬を貸していただければ、一人で向かえますので」
淑やかに笑ってフルールは、ルゼルヴェの手をやんわりと離した。
「幾らなんでもそれは、急すぎないか?」
普通の貴族なら、時間がかかるものだろう。
けれど、フルールは身一つで嫁いだようなものだ。荷物もなければ、急もなにも無かった。
「何か問題がございまして? 白い関係ですもの。好きにして良いと先ほど言われましたし。
あ、領地の一部の権利をいただけませんか?」
冷たい台詞を吐いたわりに、食い下がるルゼルヴェに対して、フルールは気にせず権利書の依頼もする。
「なんだと?」
「大それたことではありません。私、個人的にやりたいことがございますの」
夜のテンションとはよく言ったものだ。
ルゼルヴェの発言に衝撃を受けるどころか、自由を得たとフルールは、この先が楽しみで仕方なかったのだから。
そう。フルール・サントゥールは転生者だった――。
◇◆◇◆◇◆◇
「ルゼルヴェ! お前、なんで仕事しに来てるんだ!」
王城の一室で、朝からキンキンと喚いてきた男――ラフィネ・エグジュベランがいる。
ルゼルヴェの顔を見るなり驚愕を隠しもしない、王族として腹芸が出来ないとはいかがなものか。
「は? 朝になったから仕事に来るのは当然だろう?」
王太子補佐として、政務の補佐に就くルゼルヴェは仕事が山のようにある。
朝から夜遅くまで忙しい。昨日休んだ分の仕事だってあるというのに。
「お前は、昨日、結婚初夜だったんじゃないのか!?」
ルゼルヴェの素っ気ない一言に、一語一語を強調してラフィネは畳み掛けた。
「政略結婚だ。好きでもない女を抱くほど、私は困っていない」
初夜を意識して着せられたのか、清楚な装いのフルールを思い出す。
――傷物令嬢だと聞いたが、傷など見当たらなかったな。
ルゼルヴェはその姿を綺麗だとは思っても、それ以上の感情など持ち合わせていなかった。
「結婚早々、嫁さんを泣かせたな!?」
――そう言えば、ラフィネは愛妻家だったか。
ルゼルヴェはラフィネの相手を面倒そうだと感じるも、昨日のフルールを思い出して即座に頭を振った。
「……泣くどころか、喜んで邸を出ていったぞ」
本当に意味が分からない。文句も言わずに快諾したのはフルール自身だ。
持ち掛けたのは、もちろんルゼルヴェだったが。
「は……? 追い出したってことか、この冷血漢!」
「違う、本人からの申し出だ。私も驚いたが、領地でやりたいことがあるらしい」
ルゼルヴェには元々縁談が多く、対応が正直面倒になっていた。
仕事に差し支えるために、仕方なく結んだのが今回の結婚だった。
「権利書などと言うから、領主の真似事でもするのかと思いきや、土地を自由に使いたいだけだと言ってきた」
『そこにある各種資源の採取や生育、畑を自由に使う権利などが欲しいのです。ご迷惑はお掛けしませんので』
フルールが言っていた言葉を思い出しながら、ルゼルヴェはラフィネに説明した。
何をするのか知らないが、土地は領主のもの。
罰せられる前に、許可を希望する辺り彼女はかなり強かな女だ。
「自分に割り当てられる、年間の予算まで聞いていたな」
目立たず大人しいわけありの令嬢。身分も釣り合うからと、都合よく選んだだけのフルール。
昨日の夜にあった彼女は、芯がしっかりしていて、物事をきちんと考える思考を持っていたように見えた。
ルゼルヴェの家柄や権力に、ただすり寄ってくる色目を使う女性たちとは、雲泥の差だった。
「それで、お前は許可したと?」
「ああ。一人で出ていくと言うから、さすがに護衛とメイドは付けさせたぞ」
そんなフルールの印象から、当然理由もなく下手なことはしないだろうと、ルゼルヴェは判断した。
「当たり前だ! 相手はご令嬢だぞ。あ、いや……もうご夫人か。
じゃなくて、なに考えてるんだ。仕事は良いから、お前は奥さんとの義務を果たしてこい。終わるまで帰ってくるな!」
部屋の自席に座ろうとルゼルヴェが椅子を引けば、ラフィネがバンと机に両手を乗せた。
「政略結婚だ。関係ない」
「……なら、上官命令だ! 結婚早々働かせたとあっては、私の醜聞に関わるからな。
少なくとも、社交界で噂に上るような行動は慎め」
ラフィネは憤慨して、ルゼルヴェに指を突き立て命令した。




