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ぷろろーぐ


1997年7月。

その日、東京では例年を超える猛暑日に見舞われ、街頭には熱中症対策を促す街宣車が回っていた。


こまめな水分補給をと呼びかける声が蝉時雨に掻き消される中で、それは降ってきた。


最初に見えたのは巨大な腕。

いや正確には巨大な脚だった。

節足動物ように無数に蠢く脚は人のものと酷似していた。

それが徐々に地表に近づくにつれ、昆虫の体節の彷彿とさせる胴体が大きな影を落とし、その両側には人の顔を模した気門が口の様に開閉していた。


それは止まり木を探すように空中で脚を振り回し、近くにあった高層ビルへとへばりついた。

頼りない足が何度もビルの壁面に撫で、その周囲に瓦礫を撒き散らす。


周囲の人々は礫のように降ってくるガラスを雨の様に見つめ、ただ茫然と目の前の光景を受け止めきれずにいた。そしてそれは、頭を持たぬ肉百足と呼ばれるそれの腹から、無数の卵が産み落とされてもなお、変わらなかった。


この日、人口1200万人を抱える大都市は

その化け物とその子供達の住処となった。


後に、その化け物達は16世紀の占星術師の予言になぞられ魔王種と呼ばれた。


⬜︎⬛︎


至急至急。

県警本部から北広島管内。魔王種事案と思われる入電あり。場所は青葉2丁目、青葉中央公園周辺。

散歩中全長2m〜2.5mの昆虫にペットの犬が襲われたと通報。通報者は当事者の男性‥‥付近の警察官及び3級以上の対魔官は言急・現調願いたい。どうぞ。


「‥‥だってさ。出番だぞ」


無線機から流れた音声をそのまま渡す様に、運転席の座る男が後部座席で横たわる少女に声をかける。


「‥‥やだ、だるい」


「だるいって‥あっもしかして体調悪いのか?病院行くか?」


しかし、無線の逼迫した緊張感とは裏腹に少女の対応は見た目相応の子供じみたものだった。端的な言葉で拒否だけを示し、後は背中そのみを後部座席で顔を隠すように背を向ける。


男はそんな少女の態度にため息をつくでもなく、心配そうに身を乗り出して少女方へと振り返った。


「別に体調は普通‥ただ虫型ってキモいし‥‥それに犬食べたんでしょ‥死体とか見たくないなって」


そう取ってつけたような理由を述べる少女。

これぞ思春期といった無気力さが滲み出ており、傍から見ると男の心配している様子にも何も感じていないかのようだった。しかし、後部座席のヘッドレストに腰掛ける僕にはそんな少女の広角が上がっているのが見えていた。


「そうか‥それならいいけど。でも、少しでも変だったら教えてくれよ」


「うん」


「‥まぁ、人サイズの虫って普通にホラーだよなぁ。あの複眼とかトラウマになるレベルだわ」


「でしょ?だからやだ」


男は少女が何か自分に真意を隠してるのだろうと深読みしているのか優しく共感を示す。

それは男に求められている未成熟な子供のメンター、補佐官としての役割でもあった。


「大きさ以前に、大人になると虫が苦手になるんだよな。あれなんでだろ?あんなに小さい頃は平気だったのにな」


「私は小さい頃から嫌い‥全然可愛くないし」


「でも、敵としてなら嫌いなやつの方が良くないか?」


「そりゃあ‥倒す前提なら可愛いのよりはいいけど」


「前のウサギとか別の意味でキツかったな‥‥心なしか周囲の人の視線も痛かった」


2人がそんな話をしている間も無線からは応援を要請する通信が流れていたが、男は何も言わずに無線の電源を落とした。


「いいの?」


「偶にはいいだろ‥今回の3級案件なら訓練した大人でも何とかなる」


「でも、怒られたりしない?」


「まぁ最悪、俺が行ってくるよ。たまには俺も動かないと鈍るし」


男はそう言うとグローブボックスの中から拳銃を取り出す。革製のホルスターに入ったそれは随分と年季の入ったもので、男の先生とも言える人物から譲り受けたものだと聞いていた。


「やっぱ行く」


さっきの気怠さは何だったのか、少女は早々と脱ぎ散らかしていたスニーカーを履き始める。

その変わり様に男は困惑する。


「あ?急にどうした?‥別に無理なんてするなよ」


「いいから!私が行くって言ってんの!早く車出して!」


少女は声を荒げ、急かす様に運転席に蹴りを入れる。そこまで言うならと男は何も言わずにエンジンをかけ、無線で聞いた場所へと車を走らせた。


向かう途中少女は貧乏ゆすりをしてぶつぶつと何かを呟き続ける。そして男はそんな少女の様子をルームミラーで伺い、怪訝そう表情を浮かべていた。


男にはわからないだろう。

少女が今何を呟き、思っているのか。

それが自分が見せたホルスターになる黒いシミによって引き起こされた事など。


彼は知らない。

だがある意味彼女も知らない。



◇◆


鮮やかな金色の髪が右へ左へと激しく揺れている。小さな体躯には、似ても似つかない無骨な鉞がその手には握られていた。大の大人でも扱うのに苦労しそうなそれを、少女は片手で易々と振り回し、飛び跳ねる。


相対するは、無機質な羽音を響かせる人間よりも頭二つは大きな怪物。虫型の魔王種だった。


バッタをそのまま大きくしたような姿は、生理的嫌悪感を呼び起こす。人間も捕食対象として見ているのか、しきりに顎を左右に動かしていた。

噛みつかれれば肉を裂き骨すら砕かれる万力の凶器。それを前にしても、少女は好戦的な笑みを絶やさずにいた。


傍から見れば、小柄な少女が無謀な戦いを挑んでいるように見えるだろう。そんなのは少女の実力を知っている‥‥正体を知っている同僚からしてみれば一笑に付すものだが、そうではない特に良識ある大人には難しいことだった。


「部長!あの子あのままじゃ殺されますよ!加勢しなくて良いんですか!?」


そう近くにいた自らの上司に食ってかかったのは、現場封鎖のために配置された警官の1人だった。


近隣の交番に勤める彼は、ただ遠巻きに眺めることしかできないことに苛立ちを隠せなかった。

そんな部下の様子に詰め寄られた年嵩警官は黙ってろと叱責する。だがその胸中には若い警官に似た義憤、大人としての矜持が渦巻いていた。


その証拠にその拳は強く握られ、その顔は奥歯を噛み締めたるあまりに強張っている。そうやっていられるのは勤続年数に比例して組織の規則に染まっただけでなく、魔王種が現れて20年以上が経った今日までの無力さを嫌というほど理解しているからなのかもしれない。


「‥‥くっ」


若い警官には、そんな上司の苦悩は理解できなかったようで、静止させられたことなど忘れたように足が少女達の方へと向く。それに上司たる警官は今度は言葉ではなく行動によって押さえつけようとするが、それよりも先に補佐官たる男が立ち塞がった。


「警官さん、あんまり先輩を困らせたらだめだよ」


「あなたは、ここは立ち入り禁止ですよ!民間人の方は離れていてください!」


「いや一応関係者‥というか、あの子の補佐官です」


そう言って男が差し出した手には、補佐官の証明たる幾何学的図形と記号で構成された紋章が刻まれていた。


「なら貴方にだって分かるでしょう!…まだ子供じゃないか…彼女だけ戦わせて、それが大人のやることか?」


「それがあの子の仕事だよ。人にはそれぞれできることをやるだけじゃないか」


男の言いようは、警官にとって他人事のように無機質なものに聞こえた。それが我慢ならなかった。


「‥‥補佐官が人でなしばかりってのは本当だったんだな」


補佐官は基本的には民官問わず適性のあるものが採用されているが、傾向として公安職にあった人間が選ばれやすい。それ故、口さがないものは、義務を捨て本来は守るべき子供を戦わせている者として非難されることもあった。


頭に血が上ったその警官には、男の姿がそれそのもののように映った。


「違いない。ほんとクソみたいな仕事だよ」


そう言って男は苦笑し、パートナーたる少女の方へと、怪物との戦場の方へと歩き出した。あまりにも自然な様子で行くものだから、激昂していたはずの若い警官は、反射的に止めようとした。

が、その瞬間遠くから身の毛もよだつ奇声が辺りに響いた。


生物としての本能が警告し、体が硬直されるほどの衝撃。周りの野次馬達は勿論のこと、訓練を受けた警察官達でさえそれには抗えず、身を竦める。


そんな中、1人の男。

補佐官の男だけが悠々とその声の方に向かう。


「‥どうして」


若い警官は呆然とそう呟く。

さっきまで自分が持っていた矜持は怪物の一声に掻き消された。なのに、なぜ目の前の男は平気なんだ。


自分がしようとしていた事を目の前でされ、それがしかも非難した相手だったことが余計に警官の心を蝕む。


「おい!それくらいしとけ」


最初、上司が男を止めたのだろうと思った。

そう安心したのも束の間、肩を掴まれたのは自分、追い縋る若い警官の方だった。


「いい加減にしろ!お前にはお前の仕事があるだろう!」


肩を掴む上司が指す先には、何事かと集まる民間人の姿があった。


分かっている。

自分がなすべき仕事は二次被害を防止することであり、目の前の戦いの当時者になることじゃない。


それでも、厳しい警察学校を乗り越え、桜の大紋を身に付けるようになる前から自らの胸にある信念が遠ざかる目の間の男の背に被って見えた。


「あんたに、ただの人のあんたに何ができるんだっ!」


自らにも問いているようなその言葉に、補佐官の男は振り返り答えた。


「何も‥でも、これが俺らの仕事なんだわ。俺たちはあの子達を1人で戦わせてもな、1人にはさせないんだよ」


◇◇


少女と怪物は周りでそんなことが起きていることなど知りしなかった。ただただ目の前の敵をどう調理してやろうかとそれだけに思考を割いていた。


怪物は脚をムチの様にしならせる。当たれば骨折で済めばような威力を持つそれを、少女は難なく最低限の動きで躱わす。そこには一分の恐れもなく、伝説のボクサーのように完全に見切った故の余裕があった。


「ぎぃぎぃ気持ち悪いんだよ」


怪物の羽音に少女は毒づき、その懐へと自ら飛び込む。それと同時に慣れた様にグリップを滑らせ短く持った鉞で自らに抱きつこうとしていた怪物の前と中足を切り飛ばす。


これには痛覚を持たないはずの虫型も一瞬怯み、タタラを踏む。そしてその一瞬を見逃すほど目の間の少女は優しくは無かった。


少女はグッと身体を沈み込ませタメを作る。今度は長めに持った鉞が淡く光り、その刃をより大きく変え、脈動する。次の瞬間には横薙ぎに大きく振われたそれによって怪物は上下に両断されていた。


終わってしまえば呆気ないものだった。

噴水のように怪物の体液が散らばる中、その勝負の結末を周りの大人達は消化できずにいる。


知識として理解していることと、それを現実として目の当たりするのでは意味が異なる。


銃火器を使用しても駆除ができないような怪物もいるような魔王種に人類が絶滅させられなかった最大の要因が彼女達。

対魔法種作戦専門官、略して対魔官。

そして、人から生まれ人ならざるものに立ち向かう少女達を大人達は別の名で呼ぶ。


「あれが‥‥魔法少女」


◆◆


「うぇ、手に着いたぁ。最悪」


周りを囲む人達が呆然とする中、少女は手に着いた怪物の血を嫌そうに見る。さっきまで殺し合いをしていた少女が見せるにはチグハグな姿だ。

それも相まってか、周囲から少女に対して向けられる視線は異質なものを見るようで排他的なものを含んでいる。


少女はそれに気づいていないのか、それとも慣れているのかさして気にも留めず、ただぼんやりとそれを眺めていた。そんな少女のもとに、どこからともなく現れた男は何でもないかのようにウエットシートを差し出した。


「お疲れ様、良くやった歩叶。」


ほんの少し前には、少女の機嫌が悪いだけで狼狽していたくせに、戦い終わった彼女へは怪我の心配すらしていない。屈託のない笑顔をもって称えるそこには、彼女の実力への絶対的な信頼が見て取れる。


「‥別にあんなん余裕だし、それより疲れた。車に戻りたいんですけど」


ウエットシートを受け取りながらぶっきらぼうに言う少女。それに男は苦笑する。


「はいはい。あとは俺の方でやっとくよ」


「早くしてよね」


努力するよと男は答えると車のキーを少女に手渡し、そそくさと警官達を呼びに戻り始める。




「‥‥ねぇ、コノコ。私ね今すっごい幸せよ」


遠ざかっていく男の背中を見つめながら少女が呟く。


「‥‥2人は良いパートナーだぴ」


「そっか。パートナーか。私のパートナー」


何度も何度もその関係性を反芻し咀嚼する少女。

その顔が染められているのは夕日のせいか、それとも‥‥。




僕らはこんなものを求めていたのかもしれない。

怪物が脅かす世界で、選ばれた少女達とそれを支える青年。そこには春の訪れのような清涼な恋もあれば、燃えるような献身的な愛情があって、それを奪い去るような悲劇もある。

そんな物語を‥‥。




「おい、クソナマコ。さっきの録音してたよな?」


「はいだっぴ、ベリアル様」


「ベリアルって呼ぶな、今は田縁歩叶だ」

田縁歩叶(たべり あるか)

車内に戻った少女—田縁歩叶はそれまでの年相応の少女の皮を完全に剥ぎ取っていた。


本性が表に出るのと同時にその姿もより本来のものへと近づき、その容姿は男の前に見せていたものよりも大人びており、より女性的な魅力に富んだものに変わっていた。


そしてその頭からは山羊を連想させる2つの角、尾骶からは動物のものとは明らかに違う尻尾が伸びていた。


「魔法少女家業も疲れるわー、てかさ虫型の製造やめろってあのムカデに言えよな。マジで厳しいって」


「あいつも最近は色んな苦情が来すぎて対処できないみたいぴ」


こんなふうにかつての宿敵を擁護することになるなんて思いもしなかったぴ。それもこれも、この悪魔達のせいだっぴ。


「使えねぇな、やっぱもう一回ボコすわ。私の言うことだけ聞かせないとだめだわ」


ベリアルの口振はまるで近所の舎弟を可愛がるかのようだった。現実的な力関係が見えていた。


だれが想像しただろうか、もはや人類を脅かす魔王種なんてものはこの世にいないなどと。

もはやいるのは更なる上位種のマッチポンプ、盛大なマスカキに付き合わされる哀れな下僕だけ。


どうしてこうなった?


◇◆


本編へ。


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