✨️第044季 婚姻届の実感✨️
婚姻届という
言葉には
いままで少しだけ
「硬さ」
があった
制度
書式
受理
戸籍
感情とは
距離のある単語たちが
整然と並んでいる
だから私は
結婚式よりも
指輪よりも
この一枚の
一瞬の出来事が
一番静かに怖かった
それは
不安というより
責任の輪郭に
触れる感覚に近い
私はこれまで
言葉を扱う
仕事をしてきた
正確であること
誤解を生まないこと
誰かを傷つけないこと
文章は
丁寧に
運用しなければならない
一度書かれた文字は
簡単には消えないから
婚姻届も
同じだと思っていた
一度書いたら
戻れない
押印したら
人生が固定される
私はどこかで
そう思い込んでいた
けれど
りゅう君は違った
婚姻届を
「終点」
ではなく
「入口」
と呼んだ
「これで完成
じゃないでね」
そう言って
紙の端を
そっと押さえた
まるで
風でめくれないように
私の不安ごと
留めるみたいに
私はその仕草を見て
初めて気づいた
婚姻届は
未来を決める
のではなく
未来について
二人で
話し続ける覚悟を
二人の間に預けるのだと
机の上の白さは
冷たくなかった
むしろ
余白が多く
呼吸がしやすい
この余白に
二人のこれからの未来が
書き足されていくのだと思うと
私は少しだけ
ペンを持つ手を
信じてみようと思えた
紙は
約束を閉じ込めない
ただ
呼吸の位置を
示すだけ
名前を書くと
隣に
誰かの気配が生まれ
印を押すと
今日が
帰る場所になる……
役所の建物へ
りゅう君は
私の左側に座り
右でもなく
少し離れてもいなく
自然に左
それだけで
私は
「並ぶ」
という行為の意味を
考えてしまう。
「緊張するね」
私が言うと
りゅう君は
少し考えてから答えた
「うん
でも
嫌な緊張じゃないね」
同じ言葉を
同じ温度で
返してくれる
それが
もう夫婦?
なのかもしれない!
と少し思ってしまう
バックから
婚姻届を
大切に取り出し
クリアファイル越しに
見る紙は
驚くほど普通……
特別な装丁も
祝福の言葉もなく
でもその
「普通さ」
が私は好きだった
結婚は
特別なイベントで
終わるものではなく
いつも通りの一日を
誰かと重ねていく
ことだから
氏名欄を見つめ
ここに
書かれる名前は
法的な意味を持ち
でも同時に
これからの
生活の呼び名でもある
朝に呼び合い
夜に呼び合い
眠っている間にも
心の中で呼び合う名前
名字の選択について
私たちは何度も話し
感情を整理し
制度を確認し
それでも最後は
「感覚」
で決めた
理屈では
説明しきれないけれど
この選び方なら
毎朝
「おはよう」
が言える
それが
私にとっての
正解だった
ペンを持ち
インクの重みが
いつもより
はっきりと伝わる
私は深呼吸をして
文字を書き始め
急がない
誤字を
恐れすぎない
人生も
きっと同じ……
りゅう君は
私の書く様子を
静かに見守ってくれている
変に口や手を出さず
指図もせず
でも
目は離さないでくれる
その距離感が
私を安心させてくれる
「……あや様……」
不意に
私の名前を呼んでくれた
いつもの優しく柔らかく暖かく
呼んでくれた名前
私は顔を上げ
「大丈夫だよ!」
それだけ
でも
その一言で
私の背中は
まっすぐに
そして
印を押す
契約
承認
確認
そして
今日は
二人の人生
私は
りゅう君の方を
一度だけ見
頷く
それは
「進め」
という合図ではなく
「一緒にいる」
という確認
紙に残る音は
小さい
でも
私の中では
確かに
何かが動いた
それは
決断の音ではなく
生活が
始まる音
窓口に
提出する
職員の方は
丁寧に確認し
淡々と処理を進め
その世界は
私達の感情に
過剰に反応しない
だからこそ
私とりゅう君は
実感に集中できる
「受理いたします」
その言葉は
祝福ではなく
でも
拒否でもなく
正式に夫婦となり
生涯ともに歩む言葉
建物を出
空は
昨日と同じ色を
行き交う雑踏も
昨日と同じように
動いている
それなのに
私の歩幅だけが
少し変わった
「帰ろうか」
りゅう君が言う
「うん
帰ろう」
その
「帰る」
は住所ではなく
人に向かう言葉だった。
私は
その瞬間
はっきりと実感した
婚姻届とは
人生を
縛る書類ではなく
人生が
ともに手を取り合い
その手を離さない
と連動し始めたことを
そっと記録する
一瞬の出来事
婚姻届を
提出した日
私達は特別なことを
せず
外食もせず
派手な祝杯もあげず
いつも通り帰宅
靴を脱ぎ
上着を掛け
キッチンの
明かりをつけ
それだけなのに
胸の奥で
小さな音がした
「ここが
私たちの場所」
そう名付け直された音
夫婦になったから
といって
すぐに何かが
完成するわけではなく
むしろ
完成から一番遠い場所に
立った気がする
でも
不安は少ない
なぜなら
りゅう君となら
未完成のままでも
進めると知っているから。
夜
同じお布団に入り
同じ部屋で
同じ温度で眠る
昼間の理性がほどけ
言葉にならない
無意識の距離
無意識の向き
それらは
意外なほど正直に
私はふと思う
夫婦とは
起きている時の
会話だけでなく
眠っている時の
配置にも
宿るのではないか
と
次回
✨️第045季 ふたりの寝相地図✨️
夜の間に描かれる
私達の無意識の地図
近づく肩
離れる足先
安心すると
伸びる手
そこに
言葉より正確な
「関係性」
が記されていく
りゅう君は
きっと微笑みなから
言うだろう
「寝相も
毎日更新だね」
私はきっと
少し照れながら頷く
その地図を
一緒に読み解いていくことが
これからの
私達の静かな
冒険になるのだと思う




